人間の分類

これは、暴論かもしれませんが永年感じていること。こういう「分類もある」という事例です。

無風凧の廻りには二種類の方がいます。

片方は、常に改善=全体のレベルアップ を目指す人。以下ではAと書きます。

もう一つは、その場をまとめで波風立てないようにする人。現行肯定で人によっては現行肯定の為の争いだけは辞さない、というばあいもあります。以下ではBです。

AタイプもBタイプもそれぞれリーダーのタイプがあります。当然、AタイプのリーダーとBタイプのリーダーは言動や素行がことなります。組織論的に言えば、Aはアントレプレナー、Bは調整型リーダーシップやサーバント型リーダーシップであるばあいが多いように感じます(学術的な超調査をしたわけではないので、無風凧の私見に基づく)。

面白いことに、AはBを包含で来ますが、BはAをスポイルする。現状をかえるというだけで「輪を乱す」と思うのでしょうね。今の世の中、改善がさけばれ喫行ブームからアントレプレナーが求められてますが国としてはBが増えてるように感じます。これでは、ユニコーンは育ちません。

 

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ヒラメ幹部(集英社オンラインの記事が面白い!の続き)

週末の詰将棋記事はお楽しみいただけましたか? 新しい週に入りましたが、先週の続き、です(まずは、コチラコチラ、をご覧ください)。引用元の記事(コチラ)の中にある、「ヒラメ幹部」について、今日は書いてみます。

ヒラメ幹部とは、、、これも記事からの引用ですが「上のことしか見ておらず、部下のことは眼中にない上司のこと。魚のヒラメの目が上のほうに向いていることから言われている。」

官僚になって、一日2~3時間睡眠で奉公滅私した挙句、ヒラメ幹部になるのが関の山、という人生に今の若者は魅力を感じない、というのが集英社オンラインの記事の「意訳」です。(この意訳には、若干、無風凧視点が入っているかもしれません)。

このような中間管理職は、官僚に限らず色々な企業でみることができます。その意味では、「当たり前のこと」のように思います。いわゆる大企業病の症状の一つ。大企業病は、起業衰退の一つの兆候ですが、それが「官僚」という組織にも起きているというだけの話です。

ここで危惧しなければならないことは3つ。

1. 官僚ヒラメ幹部が天下ると、その組織に「ヒラメ化が進むこと」。つまり、大企業病に罹患して衰退が近づくということ。

2. 官僚組織を「官僚株式会社」と見たときに、就職先の魅力がなくなっていること。これが集英社オンラインの主張の一つでしょうか。

3. 政治家と官僚の力関係から学ぶべきことは、意思決定者と実行者の分割は衰退を招くということ。これは、最近の「組織論」の方向とは逆という意味でも、由々しき大事です。DAOにしろTealにしろ、権限移譲+現場主義は言うまでもない今の組織論の方向。しかし、政治家と官僚の関係は、この逆です。ここまで書けば気が付いて下さる方も多いと思いますが、持株会社制・ホールディングカンパニー制も早晩おなじ運命をたどることを預言できます。(すこし説明不足かもしれませんが、このあたりで止めておきます)。

今の官僚という組織、既に150歳に近い。企業体としてみれば、既に寿命を終えています。人心一新、ではありませんが、組織の行動規範から変えなければならないときが来ていることに、気が付いてほしいものです。

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意思決定の方法(会議の進め方)

先日。とある省の審議会Youtube配信を見ていて。

お役所仕事は、一度「局所最適」に陥ると、二度と全体最適には戻れない意思決定方式なのだな、ということに気が付きました。

1)前例踏襲が基本の会議形式で、スクラッチ&ビルドはしない。

2)経営責任に相当するものがないから、一般企業なら責任追及になる場面が存在しない(せいぜい、トカゲのしっぽ切り)。

3)所謂「お役人と上級国民」だけでの意見交換

4)そのお役人と上級国民の友人の例が「日本の傾向である」といわんばかりの意見交換(=所謂「汎化」をおこなっており、統計に基づかない)。

5)Generalistかもしれないが、素人意見ばかりの委員。

これでは、「真の改善」は望めません。日本の官僚システムは優秀だと言われていますが、その実はこの体たらく。失われた10年のあと、更に暗黒の20年に突入しているのは、官僚による審議という会議形態・意思決定方法だと断言できるような気がします。そういえば、閣議も同じような意思決定方法、、、日本の今後はますます暗くなります。

 

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株式会社は誰のものか。

株式会社はだれのものか。

経営学・組織論としては、古典的な問であるとともに、色々な答えが正解になる問題でもあります。

しかし、これまでの議論は、Stake Holderとして、「経営者」「従業員」「株主」を中心とした議論で、おざなりに「消費者(客)」や「社会」が入っている程度でした。

そんな意味で、TwitterのCEOであるE.マスク氏が、Twitter User全体にたいして自分の進退を問いかけるという「前代未聞」な行動が注目されています。(コチラ など参照)

これは、新たなる「株式会社の意識決定者=だれのものか」がしめされたということです。つまり、Twitterのユーザすべてが意思決定者。しかも、上記記事のとおりだとすると、議決権はみな等しい。

マスク氏の行動は、敷衍すると「株式会社の存在意義」にまで広がります。つまり、業務内容・サービス内容ですら、Twitterで多数決をとりながら進めることが可能だということを示しています。

無風凧は。

衆愚ということ言葉があるように、多数決の結果が必ずしも正しいものではないと思っていますし、StakeHolder毎の「近接度」は考慮されてしかるべきだと考えています。つまり、完全多数決主義につながるような経営意思決定には懐疑的です。

この結末、どのようになるのでしょうか? しばらくは目が離せません。

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尼崎市長選挙の結果考

さて昨日の続き。尼崎市長選挙の結果です。

7月の参院選で勝った維新。その維新の候補.が落選した、というのが多きなトピックでしょう。そして、維新の本拠地は大阪ですが、その隣の市である尼崎で負けたというとは、Opinion の拡散効果が薄れている、ということです。

代表の馬場さんは、「次の統一地方選で600人」と公言しています。大きな目標を持つことは悪いことではありません。否、望まれることでしょう。しかし、ここで大きな問題があります。

「出る杭は打たれる」。無風凧の提唱している「ランキング理論(社会学的ランキングの動理論)」によれば、ランキングは「オーバーシュートする」のですが、まさに「出る杭は打たれる」でしょう。

維新の会は、確かに勢いもありますし、いま、ランキングが伸びているところでしょう。しかし、600人を目指すこと自体が「オーバーシュート」に相当すると、無風凧は分析しています。来年の国政選挙の時点で400~450人程度が「質実剛健」に規模を大きくしていく場合の最適値だと考えます。

このことの証左は。参院選で中条きよし氏を擁立し、見事当選しました。中条氏の集票力は大きなものがあったと思います。しかし、国民視線で考えれば、いわゆる「タレント議員」に見えている。国会の発言で、自分のCDを紹介したりコンサートの話をしたりするのは、個人の資質・常識の問題であり、党の責任とは思いませんが、「急激な規模拡大のための宣伝戦略」と捉えられます。堅実な「拡大」をしていない。その結果、「オーバーシュート」を起こすものと考えます。オーバーシュートすると、必ず反動があります。反動の結果で、解党、という結果になるリスクも考えなくてはなりません。発展的解党は否定するものではありませんが、オーバーシュートによる解党は、失敗の結果です。

民主主義(というよりは、選挙主義)において、集票がすべてを決めることは言うまでもありません。これを変えることは、無風凧の生きている間には無理でしょう。だからこそ、地道に規模を大きくすることにより、最終的な「地位の逆転」を行うしかありません。

尼崎市長選挙を戒めとして、戦略の立て直しを考えてみてはいかがでしょうか?

追伸: ここでも、昨日の話の続きになりますが、「自分の目の黒いうちに」ということを考える「長老」が跋扈してはいけません。馬場さんはまだ58歳、ですが、65歳で引退するつもりで、それまでの「長期戦略」を立てることをお勧めます。

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大臣人事

昨日は、大きな政治ネタが二つ。一つ目は、寺田総務相の辞任(更迭)。そして尼崎市長選挙。

今日は、寺田総務相の話をきっかけに、持論を展開します。

自民党の大臣・閣僚人事は、

① 首相が使いやすい人を選ぶ

② 派閥の調整をとる

そのうえで、付随するかのように

③ その人の得意分野を考慮する

という順番に見えます。①と②は、②の方が重要かもしれません。

この決め方、組織論の中では大きな問題を持っています。つまり、現代組織論とは対極的な決め方を行っていると考えられるわけです。

例えばリーダーシップ一つとっても、今はServant TypeのLeadershipが求められる異なりますが、大臣人事は今でも結果としてTopDown. 権威主義的であることは仕方がないとしても、専門性が低いことは、次の問題を生みます。

それは、官僚の跋扈。結果として、官僚vs国会の対立を生み出し、国民は蚊帳の外。結果として「人事権」という形で官僚左遷の仕組みをつくってしまい、専門性がより下がった「施行」がなされる。

更には。大臣に選ばれるためには、という打算的行動がなされます。選ぶ人は、ほとんどの場合「年寄」。つまり、権威慣性の法則がせいりつしてしまい、いつまでたっても「若返りができない」という現実を生みます。つまり、「政治の若返り」をする「駒としての大臣」が若返っても、彼ら彼女らを選ぶ人はいつまでたっても「爺さんたち」ということになります。

岸田さんも65歳。一般的には役職定年を超えています。ご自身の「早目の退陣」が必要なのではないでしょうか?

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組織立ち上げの第一歩

今日は組織立ち上げコンサルの現場の話から。

アントレプレナーな人は組織を立ち上げるということも必要になってきます。言い換えれば、起業する際には必ず新しい組織を立ち上げます。その意味で組織をどのように立ち上げるのかということは最も重要な課題のひとつです。

では、組織立ち上げの第一歩は、何でしょうか。それは、参加してくれる人とビジョンを共有することです。ビジョンとか目的とか成果だとか色々な言い方ができるかもしれません。最終的に自分たちが目指しているものが何であるかということを共有することが第一歩です。

色々な教科書に限らず無風凧の経験上でも、ビジョンの共有に失敗した組織で成功した例は知りません。それぐらいビジョンの共有は大切です。

先日コンサル仲間から聞いた話ですが、とある新規プロジェクトで、ビジョンの共有に相当する作業が行われなかったものがあったそうです。案の上、2年もしないうちにそのプロジェクトは瞑想を始めたとのことです。友人に聞くと、「プロジェクトリーダーがビジョンをまとめるということをないがしろにしていた。自分が第三者的にアドバイスをしたのだけれども通じなかった」と嘆いてました。

プロジェクトを立ち上げる前に色々考えたリーダーであればあるほど、早く結果に結びつけたいから、ビジョンの共有よりもワークの割り振りに目がいってしまうことになります。よほどカリスマ的なリーダーであればそのようなやり方でもうまくいくかもしれません。しかしそれでも無風凧はその事例をしません。それほどまでにビジョンの共有は大切です。

アントレプレナーの皆さん、少なくとも立ち上げ期は、言い換えればお金で労働力を買うというフェーズに来る前は、ビジョンの共有こそ最も大切なことだと心得てください。

 

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人の資質としての「位置、速度、加速度、加加速度」その3

さあ、このテーマも3回目です。1回目(コチラ)、二回目(コチラ)もぜひご覧の上、お読みください。

皆さんも、自分の周りの人を、見まわしてみて下さい。各々の顔が浮かぶのではないでしょうか?上司、部下、同僚、、、自分の周りに、4つのタイプの人が居ることが分かると思います。そして、、、仲の良さそうな人同士を思い浮かべて下さい。

無風凧のこれまでの観察の中では、上司が右(加加速度に近い方)で、部下が左(位置の人)であれば、所謂秩序を守った定常型の組織にはなります。もし、上司が位置の人なら、部下は必ず位置の人です。逆転すると、チームは雰囲気が悪くなります。

仲間同士を考えると、同様の組み合わせが見られます。でも、加加速度の人同士が一緒にいることはありません。加速度の人もなかなか両立は難しい。船頭多くして舟山昇る、という感じでしょうか。

でも。次世代を担うべき人は、加加速度の人です。加加速度の人は、一般的には若い。上下逆転するから、受け入れられない。大概は疎んじられて外に出される。それでもなお生き残るリーダーシップを持っている人、その人こそが、真のリーダーでしょう。

さて今日の最後に。一国の宰相は、どのタイプの人が適しているでしょうか。

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公正さ、の定義。

宿題を一つ忘れていたので、今日はそのネタです(コチラ 参照)。

公正さ、って何でしょうね。野球の判定の公正さと、人事評価の公正さ。どこが違うのでしょうか。

その前に、「温度計」の公正さをについて考えてみましょう。

温度計は、温度が高い/低い、を水銀の高さで表す器具です。温度が高いほど膨張して水銀が高く、温度が下がれば水銀が下がる。これを発見し、再現性があることを証明し、そのうえで、「全員がそれを認めた」から、温度計は出来上がりました。最後の「全員がそれを認めたから」の部分が大切です。

野球の判定は、機械(AI)によっての判定が、「人力での判定よりも正しい」ことを「全員が認めた」から、AIを使おうという主張が強くなっています。

では人事評価。これも、何らかの方法で「全員が認める」順位付けをすることができれば、少なくともその順位が「公正な評価」と呼ばれることになります。でも、ここで大きな問題が一つ。「全員が認める順位付け」を作ることができるのか? きっとできない。であれば、少しだけ緩くして「多数決で最も沢山の人が賛成する順位付け」もしくは「もっとも反対する人が少ない順位付け」を公正な評価と定義する。これであれば、少なくとも公正に一歩近づいたように思います。そのうえで、「再現性」が認められれば、もうほとんど「公正」と言ってよいでしょう。

実際は、、、このレベルですら「公正な評価」は実現できていない。なぜかって?人事評価は「上司」がするものだと、暗黙の了解があるから。あれ?ここで皆さん気が付きますよね? 野球は「アンパイヤが判断するもの」。人事は上司、野球はアンパイヤと呼ばれている人だけで、評価をするから、もめごとになるのです。

このように、野球と人事は同じロジックで「公正ではない」ことが証明されました。

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ルールと公正と

NPBの白井審判の炎上が止まりません。 どこを事の発端とするかは難しいところですが、「4月24日の佐々木朗希投手への詰め寄り」が炎上の導火線だったように思います。

ネット上を見ていると。

ルール重視派: 野球は、審判が絶対に正しいのだから、そのルールには従うべき

公正さ優先派: テクノロジーが進んだのだから、審判を機会判定等にすべき。

この二つの意見で対立しているように見えます。

でも。この2つはお互いが補完関係にある、という意見は見当たりません。

野球のルールが決まった数十年前。まだビデオ撮影すら今のレベルから見ると段違いに低く、「リクエスト制度」に耐えられるものではない時代です。公正さ優先主義としても、それができない時代でした。だから、「審判を絶対正」というルールを作りました。

その意味で、上記2つの対立は対立ではなく、可能な範囲での補完関係でした。もしくは、「公正さ優先」のための「手段」としてルール絶対でした。目的は、公正なゲームを成立させる、です。

さて。

時代はすぎて。今は、公正さを確認することができるようになりました。ビデオでのリプレイ一つとってもそうです。もちろん、毎回確認していたらゲームが進まなくなる可能性はありますが、それでも技術的に可能ではあります。とすれば、ルールの変更して、より公正なゲームが成立することが可能です。

ならば。

この2つは「技術で公正さを担保するルールに変える」が正しい選択のように思います。

と言ったところで。

ここまでの話は前座です。スポーツは「公正さ」が第三者的に判断されますが(極限的には絶対評価が可能という意味です)、組織における人事評価はどうでしょうか。同じ土俵で議論することが可能でしょうか?アウト・セーフとも人事評価も、そして入試も、、、すべて「だれかの判断」です。なのが違うのでしょうか?

続きは明日。

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