図書館の仕事

今日の記事は、

「よっぽどなんだろうな」市の図書館、窓口業務の停滞をお詫び→返却図書は戻せず、予約本も長期間渡せない状態(コチラ参照)

を読んだことがキッカケです。決して、上記記事中の図書館のことを非難する記事ではないことを予め申し上げます。

。。。

最初に、主張を申し上げますが、「外部委託をやめ、内製化(正規職員での対応)をした方が、User利便性が上がり、トータルのコストも下がる」という主張です。

無風凧は、某図書館の「管理システム」を、責任者として入れ替え、その後の管理をマネジメントしたことがあります。たかだか20万冊(図書館としては決して大きい方ではない)のシステム入れ替えですが、大仕事でした。この際に感じたことが今回の主張の根拠です。

1.まず、最大の違いは、User視点で、今(2025年)時点で、「蔵書の検索」と「現物の探し出し」は別の作業であり、前者は業務委託が有利(システムに慣れている)ですが後者(実際の本の場所)は勤続年数依存すなわち正規職員の方が潤滑な作業が可能です。

貸し出しのための探し出しのみならず、返却された本を「正しい位置に戻す」ための作業も含みますから、場所を探し出す僅かな時間差は、冊数が増えると膨大になります。よって、正規職員で勤続年数が長い人の方が効率的な作業ができます。

2.業務の分断化、即ち業務分掌が委託と正規とで異なります。決済が絡むような依頼が入ったり、専門性を必要とする内容の場合は、委託職員では対応できないことになります。結局、正規職員だより、になってしまいます。

3.これは、無風凧が困難に遭遇したわけではないですが、図書館の責任者は正規職員で統括、一般職員は委託ということになると、法律を的確に準用すると直接の業務指示を行う事が出来ません。その為、一つひとつの意思決定に非常に時間がかかります。例えば、業務分掌や業務プロセスの変更なども、委託の場合は週単位で時間がかかります。繁忙期などで人手が足りない場合の柔軟な対応が出来なくなります。

4.最後に、図書館司書が、非常勤の委託として入ってくる場合、ある意味で「専門性の逆転現象」が起きます。この場合、例えば司書の方の「能力の一部」しか使わないことになりますが、結果として色々な不満(?)が溜まっていくことになります。これは、組織管理の観点からは明らかに損です。

などなどの理由から。

図書館は、正規職員による運営が望まれると考えます。

記事(エビデンス)を探し出すことが出来ませんでしたが、いま、司書の方の時給が問題になっています。せっかく司書の資格を持っていても、司書としての仕事・対価を貰える場合は非常に少なく、一般事務職員と同等の「アルバイト生活」が多いと聞いています。このような方を正規職員として雇用することは、三方一両得な経営方針だと上記より結論します。

上述の「大阪中央図書館」のみならず、日本中の図書館を運営する方は、是非ご一考ください。

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欠勤の代役は誰が探すの?

バイトや仕事の欠勤の代役を探すのは誰か。

最近よく話題になります。 欠勤する人が代役を探すのが当然という、風潮が形成されつつあるのではないかなと思っていたのですが、 意外とそうでもなく、「 それは経営者の責任でしょう」 という意見も多いようです。

無風凧は思うのです。

企業をはじめとするサービスや賞品提供側(官庁、学校、などなど)は、リスク対策をしておく必要があるということを。 欠勤は、リスクの最大のものでしょう。 例えば、病院には 当直があるように、 万が一に備えて何らかの手段を講じておく必要があると考えます。

業務を回す上では、欠勤者対策を必要でしょう。 病気への対応は言うに及ばず、 事故、 交通手段の遅延、などなど、世の中は リスクに溢れています。 加えて。 バイトや 従業員が「仕事に行きたくなる」ための施策をすることも必要です。 ブラック企業をはじめとし、 安い給料で長時間労働、では休みたくなるのも 人情。  そうならないように、 モチベーションを保つ 施策をすることも 経営者には求められます。

そもそも。

20世紀型のMBAでは、無駄を省く、ことが推奨されていました。 人件費の無駄をという名目のもと、欠勤というリスク対策がないがしろにされてきた背景があります。端的には、補助要員や、業務に人的余裕がない状態を作ることが推奨されてきたということです。その意味では、 非常勤職員でその場対応をし、経営を行ってきたことが、今になって、 ボディブローのように効いた来た、 つまり 健全経営ができなくなってきた、ということでしょう。

規模の大なるを追わず、健全経営のための適正規模(余裕をもって営業できる範囲)を守ることは、経営学で最も大切なことの1つではないか、とすれ思います。

そう考えると、経営学全体が、その指針を間違えた結果が上述の「欠勤の代役を探すのは誰か」という問題に行き着いているように感じられるのです。

リスク対策としての人員配置。 まずはその点から見直してみるというのはいかがでしょうか。

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TPPにイギリス加盟

昨日から、イギリスがTPP(環太平洋パートナーシップ協定)に加盟しました(現在は、TPPというよりCPTPPという方が正しいのですが、なじみの深いTPPという表記を使います)。もっとも、調印はとっくに済んでいて、効力発行が昨日から、というのが正しい認識です。

そして、、、イギリスって、太平洋と接していたっけ?という疑問もは勿論正しい。イギリスは大西洋の右上の方(笑)にある国です。なぜ大西洋の国が?と思いますが、今や世界は「地縁」よりも「経済圏」で動いているようなものですから、経済圏が広がった、ということです。

でも。GDPの単純比較では、イギリスが入っても、TPPは、アメリカ、中国には勝てず3位のまま。無風凧のランキング理論的に言えば、少し???となる加盟です。なにせ、経済はトップ総取り、な部分がありますから。イギリスとしては、EU(ヨーロッパ共同体)から抜けたので、TPPに参加して経済圏を広く持ちたい、ということでしょうか。

現在、TPPの中では、日本は主導的な位置(TPPの中では、トップ)にある、と理解していますから、その意味ではイギリスの参加は、日本にとっては「良い方向」だと考えます。

現在、中国もTPPに加盟申請していますが、イギリスが加盟したことで、難しくなるだろう、という読みです。

ちなみに。ロシアと戦争をしているウクライナもTPP加盟申請しています。え?ウクライナって、EUにも加盟申請してなかったっけ、、、

これから益々、「経済圏」の陣取り合戦が激化していきます。最後の勝者は、、、つづく。

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起業家教育考

最近、とある起業家教育の専門家の方とお話をしました。かなり高名な方で、無風凧も名前は知っている方でした。その方と話をしていて思ったのですが、「最近は、起業家教育が画一化してきている」のではないでしょうか。

学問に王道がないのと同様、起業にも王道ありません。ですが、昨今のアントレプレナーブームに乗り、誰かの言ったことの2番煎じで似たようなことを話をする。それがあたかも集合知のようになり、実際にはないにもかかわらず、起業家の王道、が形成されてしまったのではないかなと感じるのです。

無風凧が話をしたその起業家の方も、こういう言い方は大変失礼ですが、その片棒を担いでいる方のように思えます。P.ティールが昔。その著書Zero to One に書いたように、ペイジもゲイツも二度と生まれることはありません。つまり彼らと同じことをしても、絶対に成功者にはなれない。

アントレプレナー教育をする方は、そのことを肝に銘じて、学生に接してほしい。そのように考える次第です。

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ビジネスのアート思考

昨今、ビジネスにもアート思考が大切である、という論調が高まりつつあります。ミンツバーグも、アート性の大切さは主張ていましたが、その枠を超えて「アート思考(もしくは、アート志向と言ってもいいかもしれません)」礼賛の傾向があります。

無風凧には、この風潮に少し違和感があります。ミンツバーグを持ち上げるつもりはありませんが、彼は、アート、クラフト、サイエンスの3つが大切であり、そのどれかに突出したものではないと理解しています。

ゼロtoワンの著者、ピーター・スティールも、アートの要素が大切なことは主張しているように読めますが、それは、芸術としてのアートというよりは、発想の転換という意味でのアート志向=夢を見る力=批判力(工夫をしたり違う視点で考えたりする力のこと。決して非難する力のことを指しているのではない)が大切だと述べているように読めます。

今、日本は国を上げて、アントレプレナー教育に特攻しているような感じがあります。その中核に、AI とアート思考が陣取っている。違和感以外の何者でもありません。

(そして、アート教育が始まり、みな同じ方向の「アート」を思いつくような教育を行い、結果として本来求められていた「発想の転換(上述の文鳥中の言葉でいえば)」から遠ざかっていく、、、そんな未来が見えます。これは批判?非難?)

 

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ユニコーン企業

先日の続きですが。

いま、ユニコーン企業(ユニコーン起業?)を待望する風潮が強くあります。今ほどの起業ブームは、かつて無かった、と言っても過言ではないでしょう。それだけでも、経営戦略の立て方は時代により変化するもの、と言えそうですが。

無風凧は思うのですが、ユニコーン企業って、本当に必要なのかな、と。

経営コンサルタントとしては考え方が古いのかもしれませんが、ユニコーン企業は「評価額」で定義されます。つまり、実態ではなく「期待値」で格付けされると言い換えても良い。

この期待値、が出てきた瞬間に、無風凧は「ランキングはオーバーシュートする」という事実を想起します。ガートナーのハイブサイクルでいうなら「過度な期待」な時期ですね。この「過度な期待=バーチャル価値」を「利益化」を「いかに受け取るか」、が投資家の腕の見せ所で、投資家はそのために、投資をするし、結果としてのユニコーン企業を待望しているように見えるのです。

さらに言えば。利益最大な時に売り抜けてしまえば、後は野となれ山となれ、というわけで、、、起業家の中にも、そういう考え方の方が沢山いらっしゃることを無風凧はよく知っています。ビジコンピッチなどで色々社会的な意義を述べたりしているのを聴いていますが、本音は、お金。だから、一つ失敗したら「次の獲物」を狙う起業家が増えるわけです。

このような、バーチャル、をかつては「バブル」と呼んでいた、、、と言って賛同して戴けるのは、現在50歳以上の方でしょうか。時代は繰り返されているのかもしれません。

閑話休題。

評価額では無く、違う指標でユニコーン企業=ユニコーン起業を評価することはできないものでしょうかね?

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「企業戦略論」論

企業戦略論、という言葉を聞いて、何を考えますか? この質問の意図は、「企業戦略ではなくて企業戦略論はなにか」ということです。

企業戦略は、環境・時代よってどんどん変わっていきます。特に、2020年のCOVID-19のような突発的な災害、ChatGPTのような技術の進歩、今後は、南海トラフ地震などへの対応の、企業戦略の一部でしょう。

それに対して。企業戦略論は、というと、、、過去からの「企業戦略」がどのように変化してきたかを分析する学問です。だから、基本は全て「過去の事象の分類と検証、解釈」ということになります。

変化がまだそう早くなかった頃、、、今から思えば2010年頃までは、企業戦略論と企業戦略は「ほぼ同じ」であったように思います。20世紀型のMBAが重宝されたのも、企業戦略と企業戦略論がほぼ同じだったから。ほぼ同じ、ということは、「時間に対して線形予測」が可能だということと、「似たような環境を比べることができた」とうことを意味しています。

そして。

今はまさに「線形予測」が出来なくなってきた時代。その意味で、旧来の「企業戦略論」と「企業戦略」は大きく乖離してしまっていると言えます。つまり「企業戦略論」は、もう役に立たなくなってきている。SWOT分析や3C分析、なんて言っている間に環境が変わってしまいますからね。

無風凧は、戦略を考える専門家、です。今の時代にあったの「戦略」を考えます。その意味では、企業戦略は考えますが、企業戦略論は「過去の参考資料の一部」として参照するだけ。企業戦略論を語ることは、最近はめっきり減りました。

以上、「企業戦略論」論でした。

 

 

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経営はアートか理論か。

昨日の話の続き。

昨日の記事を書いた後、さる高名な経営実務家上がりの大学教授とちょっと議論する機会に恵まれました。(無風凧など、足元にも及ば梨レベルの経験と実績をお持ちです)。

その方曰く、「経営はアートだ」。

この話には、無風凧の考える「ビジネス構造の数理化」とい対極があります。つまり、無風凧が、

「ビジネス=構造という公理系+人の動きが状態関数」いう量子力学でいうシュレディンガーモデルに近い発想を持っていることが起点です。

長嶋元巨人軍監督ではないですが、「経営は勘ピュータも重要」というのが上述の先生のお考えでしょうし、ミンツバーグも同様の発言をしています。でも、変数が多すぎる、、、今のAIでもとても追いつかないでしょう。

更に会話は進み。

経営はそもそも学問か、という議論に発展しました。U.エーコの「理論化できないことは物語られなければならない」を考えれば、そもそも理論化できないのが経営だ、だから、事例(ケース)を物語り、議事的な経験を積ませることが経営学の教育の根幹である、というのが上述の先生の主張と受け取りました。

今日の話はここまでにしておきます。無風凧も上記には賛成です。経営学はまだ「学」にはなっていない。LLMの出現で、これまでの経営学の理論の大半は崩壊するだろう、と思っています。しかし、それは、その根底にある「構造」を見つけることが、まだ人類にはできていないだけではないか、というのが無風凧の主張です。つまり、理論は根底に眠っている。

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起業教育、について考える

今日本は、国を上げて起業教育に邁進している感があります。イノベーション論、アントレプレナーシップ論、そしてスタートアップ、どの大学もファンドを持っている/持とうとしている。東大ではipcが最初に出来た投資事業会社ですが(その前にも、東大総研みたいなTLOもありましたが)、そのページを見ていると、企業はお金だ(ファイナンス戦略)、という論調です。

実際の学生たちはどうなのでしょうか。最近いくつかの大学の学生と話をする機会がありました。その感想を交えて今日は起業教育について考えます。

本屋でアントレプレナーシップやスタートアップに関する本を見ていると、2つに大別されることが分かります。1つはお金をどのように集めてくるか、もう1つはビジネスのアイディアをどのように出すのか(=事業計画をどのように書くのか)。本気で何がしたいの、それを論じているテキストは発見できませんでした。

つまり、起業して何をしたいのか、について本気で考えようとしている場/教材/著書はないような気がします。世の中のために立ちたい、そのために何をすれば良いか。仮にここまではよしとしましょう。でも、その起業アイディアがビジネスベースに乗らなかった場合、その起業家は次の起業を始めようとします。それまでやろうとしていたことを全く忘れたかのような分野であることも珍しくありません。もしくは、単なる経験、ファーストトライにすぎない、とらえているのかもしれません。

無風凧の目から見ると、「色々なことを言ってるけれども、結局お金儲けしたいんでしょ?」と写ります。それは頭から否定するつもりはありませんが、、、皆さんがビジネスコンテストなどで滔々と述べている社会問題への取り組み、意気込みなどが絵空事のように思えてしまうようになってきます。

このように考えて無風凧は思うのです。起業教育の第一歩目には、自分の人生経験に根差した本当に解決したい課題を見つけること、そしてそれに一生かける覚悟を決めること、ではないでしょうか。道半ばで敗れた場合、アントレプレナーからフォロワーに回らなくてはならないことがあるかもしれません。その場合も、自分の本来の課題に近い仕事をする。そのような教育が本当の起業家教育なのではないかなと無風凧は考えています。

そう思うと、今の起業家教育はすべて「成金を作るための教育」のように思えてなりません。

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池袋西武のストライキ

8月31日、池袋西武がストライキを決行しました。株式の売却に対するレジスタンスでのスト。西武百貨店は休業でした。

この経営判断としての売買は、今日の議題ではありません。

このストライキが、全百貨店で実に61年ぶりだった、ということの驚きがネタです(コチラ コチラ など参照)。

西武百貨店も61年以上、ストライキが無かったわけです。

よほど、家庭的で和気あいあいとした経営がなされていたのでしょう、、、は皮肉です。

精神論で聊か恐縮ですが。

日本人は、本気の喧嘩=意見のぶつけ合い、ができなくなりました。お互い、忖度しあって無風状態で決議する。そして、例えば「利益最高」をめざすよりも「安全に問題なく」という道を選んでいく。

東芝をはじめとして、「最高はなにか?」を議論し始めると紛糾し、意見のぶつけ合いではなく「人格攻撃」に近い非難合戦になる。いやいや、実際は西武百貨店でも、表に出な形で「安全に問題なく人格攻撃をして退場してもらう」ことが続いてきていたのだろうな、と推察します。逆明利君、な人も波風立てずに自ら幕引きしていったのでしょうね。

これが何を生み出したか。

結果として百貨店は軒並み業績悪化。いま、コロナ明けで少しだけ業績回復してるところもあるようですが、本質は右下下がりのトレンドです。これは、はっきり言いますが「60年間ストライキが無かったことのツケ」が回ってきたものです。経営革新の痛みを恐れるがゆえにゆで上がったかる状態になりつつあるわけです。

心ある人へ。ストライキは正当な権利です。きちんとルールに則って行使してください。そして、心ある経営者へ。逆明利君はあなたの会社の宝です。組合出身だから、などという時代ではありません。そういうことを言っている組織から、没落していくのです。

ここでは百貨店で話をしましたが、他の業界もすべて同じ。正当な権利に基づく、正当な意見のぶつけ合い=ストを恐れずに、アウフヘーベンできる土壌を作っていってください。

無風凧の関係している組織でも、これができている組織はV字回復をしました。残念ながら官僚主義的な形態から脱却できない組織は、、、今は目も荒れられません。

 

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