経営のイノベーションジレンマを助長するもの=株主

SDGsを実現するために最も必要なこと。それは、経営テクノロジーに関しても、イノベーションのジレンマに陥らないようにすることと共に、経営目標自身の「Sustainable Goal」です。

経営目標のSustainable Goalのために、何が必要か。ズバリ、株主の理解です。現在の株式会社という枠組みは、株主価値の最大化、ということが当然のように謳われています。株主は、継続的に利益(配当、還元)を増大してほしいもの。だから、経営テクノロジーのイノベーションのジレンマに関係なく、利益を追求します。よって、Sustainableなゴールにならず、青天井ゴールということになってしまいます。

このように考えれば。

SDGsを実現する第一歩は、株式会社における「株主価値のSDG」だと結論できると思うのですが、いかがでしょうか?

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究極のSDGs

昨日の続き(昨日の記事は コチラ)。

無風凧が経営学を勉強したとき、「経営者の最初の仕事は、次の経営者を見つけること」というの習いました。当時、大企業に勤めていましたので社長交代のことを思い浮かべたのですが、なんとなくそういうものかなと思っていました。今思えば、次の経営者を見つけて育てることにより、自分の経営テクノロジーを承継するとともに、イノベーションのジレンマにならないようにするための一つの方策なのかなと合点がいきます。

自分の子育ては間違えていたかどうかが分かるのは自分に孫ができた時だ、ということを聞いたこともあります。これは、自分の子供の子育ては自分の子育てと同じでしょうから、自分の子育てを客観的に見て判断するということだと習いました。この伝でいくと、経営者が自分の経営方法は正しかったかどうかを判断するのは、自分の2世代あとの経営者がどのように育ったからだということができます。

経営者の世代が変われば、当然目標も変わります。もちろん時代の進行により、企業環境も変わっているでしょう。その環境に適応していくためにも、目標は言うに及ばす、色々な経営テクノロジーも変わらなくてはなりません。このような環境下で企業が生き残っていく、これこそ本当の意味でのSDGsではないでしょうか。

 

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経営テクノロジーの「イノベーションのジレンマ」

日本電産の永守さんが、またCOOを変えそうです(コチラ など参照)。今年の4月にCEOに復帰したときに予兆はありましたので、驚きはありません。

永守さんは、今78歳。まだまだ現役、頑張れる、ということはわかりました。しかし。ここからが今日のテーマです。

日本電産という企業経営を考えてみます。

良くも悪くも永守イズムという経営テクノロジー。ここまではうまくいっていました。でも、これから先、世の中の変化、技術の進化、そして経営者の承継など、いつまでも永守イズムが通用するわけではありません。人の寿命のことを考えれば、必ず「テクノロジーの代替わり」が存在します。これが遅れるのは、経営テクノロジーの「イノベーションのジレンマ」に比定されます。

今すぐ結果が出なければ、「自分がもう一度」と考えることは理解できます。でも後進を育てる、それは今の結果だけで測定できるものではありません。地道に力をつけていき、出藍の誉れを待つ。それが本当の意味で更新を育てることではないでしょうか?

 

 

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過疎とPDCA。

こんな記事を見つけました(コチラ参照)。

記事によると、少子化のために、10年間で小中学校の児童生徒が100万人減っている。その上、地域の小中生が30%以上減った自治体が346(日本の全自治体数は1892だから、18%です)。これらの自治体は当然のように過疎化が問題になっているとのことです。

根本的な問題として。

民主主義(ここでは、その定義を厳密に言うわけではないですが、自由主義、競争社会、多数決原理と言い換えても良い)の下で、過疎化は止めることができません。現象としては、技術進歩による工業社会と、それが作り出した規模の経済が大きな比率を占めています。

その前提で論を進めて。20世紀後半の「マネジメント」志向が過疎を生み出したと言ってよい。テイラー、デミング、コトラー、、、A級戦犯でしょうか。

たとえば、今の経営層の99%以上の人はPDCAサイクルと言って否定する人はいないでしょう。最近、その進化版としてOODAやSTPDなど色々なループやサイクルが提唱されていますが、「経営目標=金儲け」をする場合に、そして「目標値を実現する」世界においては、最終的にPDCAに落ち着いています。

一例として、あるプロダクトを売ることを考えます。売り上げ目標と利益目標があります。それを実現するために、プランを作り実行します。目標に届かない場合、修正プランをつくることになります。経営指標として、利益率を考えた場合、市場規模(顧客の数)が一定数いなくては投資できません。遠いとそれだけ運送コストがかかる。結果として、目標達成機できないという理由で、地方は切り捨てられていきます、、、過疎です。

上記は、私企業の例ですが、2000年以降、行政組織も同様のマネジメント手法が用いられるようになりました。無い袖は振れない、という言い方もできるかもしれませんが、行政もコストカットが求められます。結果として、目標設定をして、その効率を上げるためにPDCAを回し、過疎が進んでいきます。

20世紀型のMBAからは脱却してほしいと思っていますが、PDCAは20世紀型MBAの負の遺産です。

追記: チェックの際もしくは新プランをつくる際に、Product Portforio Managementを用いている場合が多いでしょうから、PPMも諸悪の根源ということができるかもしれません。でも、PPMを意識せずに、目標達成のために切り捨てられていくという、一段階メタな立場でPDCAを取り上げています。

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新しいビジネスモデルを生み出せないかな?

任天堂が、20年近く前に販売したWiFi機器を使わないようにアナウンスしています(コチラ など参照)。

これは決して不具合を出したわけではなく、技術の進歩により、以前のWiFi機器の暗号化が危険になったため、です。その意味において、任天堂は、非常に真摯に対応しているといってよいのではないでしょうか?情報技術の進歩は非常に早く、一般消費者もうかうかしていられない、という状態であることは間違いありません。この場合、パソコンのOS系でおきている「計画的陳腐化」というビジネス戦略とは一線を画していると言えます。

しかし。

古い考えの人にとっては、少し???な点があるのも事実。特に、「まだ使えるのにもったいない」という方は多いのではないでしょうか。古くても良いものを使い続ける、というのも違うものです。古いというだけで「悪いものになっている」という商品。

整理すると、時代が下がると危険になるもので、それが計画的なものではなく技術進化によるもの。それに対する顧客不満を解消することができれば、それは一つのビジネスモデルということができます。

簡単に「だったらリースやレンタルをすればいいではないか」という方もいるかもしれません。そうです。一つの答えではあります。しかし、それは「計画的陳腐化」や「飽き」に対しても通用するビジネスモデルです。それとはことなり、「技術進化による安全性阻害に特化」した解を求めたい。その基本モデルができれば、きっと黎明期の 「Satoshi」 を持っている程度には「億りびと」になることができるでしょうね。

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論破王の「日本人の平均給与を上げる方法」

論破王の「日本人の平均給与を上げる方法」が盛り上がっているようです(コチラ など参照)。

内容を転記すると下記のようです。

《低給外国人労働者のビザ停止。
 日本国民全員に最低限の生活費支給。
 配偶者控除の拡充。
 年金受給者の労働には年金支給額引き下げ。
 高等教育無償化。

 生活の為に無理して働く人が減ると、働き手を確保する為に昇給が起きます。
 また、自動化が進み生産性も上昇》 以下略。 

論破王を論破するつもりはありませんが、聊か、日本の実情に合っていないように思います。

もっとも大きな誤解。というか前提の違いと言った方が良いかもしれませんが、、、日本人のほとんどが「上昇志向」「努力」をすることが前提だということです。まあ、生活のためには仕事しろ、少しでも良い生活をしたい、とか「地域のために貢献したい」という気持ちがあることが博之案の根底にあります。

しかし。実際は、どうでしょうか? 生活できるだけの最低限の給料をもらえれば、あとはきままに生きたいと若者が多い中、最低限の生活費を貰ったら、しごとをしなくなる人が増えるというほうが、的を射ていると考えます。さらには、労働人口が減れば、供給力が弱体化しますから、外国人労働者の存在は今まで以上に顕著になります。それが無ければ、モノが不足し、物価向上。だからと言って、機械化やAI化がそれを代替できるというレベルには今はまだなっていません。結果として、「上級国民のみ」が健康で文化的な最低限度の生活ができるようになる、と予想します。

更には、高等教育を無償化すると、平均が下がることは火を見るよりも明らか。ひいては、やる気のある学生の「やる気」をそぐことになり、結果として国力の低下、国際競争力の低下を招きます。

ということで。

論破王を論破するなどというだいそれたことはできませんが、将棋でいう三手の読み、をしてみました。

 

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三者間

三者間のビジネスモデルを網羅的に記述する、ことに挑戦しています。

ネットワーク理論的(有向グラフで考えて)には三種類しかないものです。しかし、現実にビジネスとして考えれば、無限と思えるほど多い。それは、各々のプレーヤーの役割が異なるからです。

電気回路で言えば、抵抗とコンデンサとコイルがあるように、ビジネスプレーヤーの働きも幾つかの素子に分解できます。二者であれば、どんな素子であっても同じだ、と考えていたことの見直しから、再スタートです。

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公正さ、の定義。

宿題を一つ忘れていたので、今日はそのネタです(コチラ 参照)。

公正さ、って何でしょうね。野球の判定の公正さと、人事評価の公正さ。どこが違うのでしょうか。

その前に、「温度計」の公正さをについて考えてみましょう。

温度計は、温度が高い/低い、を水銀の高さで表す器具です。温度が高いほど膨張して水銀が高く、温度が下がれば水銀が下がる。これを発見し、再現性があることを証明し、そのうえで、「全員がそれを認めた」から、温度計は出来上がりました。最後の「全員がそれを認めたから」の部分が大切です。

野球の判定は、機械(AI)によっての判定が、「人力での判定よりも正しい」ことを「全員が認めた」から、AIを使おうという主張が強くなっています。

では人事評価。これも、何らかの方法で「全員が認める」順位付けをすることができれば、少なくともその順位が「公正な評価」と呼ばれることになります。でも、ここで大きな問題が一つ。「全員が認める順位付け」を作ることができるのか? きっとできない。であれば、少しだけ緩くして「多数決で最も沢山の人が賛成する順位付け」もしくは「もっとも反対する人が少ない順位付け」を公正な評価と定義する。これであれば、少なくとも公正に一歩近づいたように思います。そのうえで、「再現性」が認められれば、もうほとんど「公正」と言ってよいでしょう。

実際は、、、このレベルですら「公正な評価」は実現できていない。なぜかって?人事評価は「上司」がするものだと、暗黙の了解があるから。あれ?ここで皆さん気が付きますよね? 野球は「アンパイヤが判断するもの」。人事は上司、野球はアンパイヤと呼ばれている人だけで、評価をするから、もめごとになるのです。

このように、野球と人事は同じロジックで「公正ではない」ことが証明されました。

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誤入金問題

山口県阿武町 の4630万円誤入金事件。

色々な人がいろいろなことを言ってますが、要は法律的には「灰色領域」。勿論、倫理的にはさっさと返すべきでしょうが、町の対応も心情的には課題があったと思います。

ここで。

絶対の真理は一つだけ。 人間はミスをする動物である、ということ。事の起こりが、フロッピーで渡した指示書にあるわけですから、その指示書の間違いを100%なくすことが出来れば、再発は防げます。でも、100%はありえない。人間がチェックする部分がある場合、絶対に正しい結果を出すことはできません。再発防止を謳ったところで、たかが知れてます。必ず再発します。

ですから、事件が起きたときの「フォロー(補償)」の方法を法定する必要があります。そして、その「費用」を見越した運営をしなくてはなりません。一つは、ケアレスミスでも100%の補填をするようにする。もしくは「保険に入る」ということで代用する。

誤送金を返さないことが「犯罪を構成しているかしていないか」は別して、色々な理由で「もどってこない」ことを想定して、その分のプランBを立てておく必要があります。

これまで何度も書いてきた「Natural Risk」への対応は、これしかないのです。識者の方々が百家争鳴ご託宣を述べてますが、論理的に言えば、Riskに対応した保険を掛けておく、が唯一の方法です。

 

 

 

 

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ルールと公正と

NPBの白井審判の炎上が止まりません。 どこを事の発端とするかは難しいところですが、「4月24日の佐々木朗希投手への詰め寄り」が炎上の導火線だったように思います。

ネット上を見ていると。

ルール重視派: 野球は、審判が絶対に正しいのだから、そのルールには従うべき

公正さ優先派: テクノロジーが進んだのだから、審判を機会判定等にすべき。

この二つの意見で対立しているように見えます。

でも。この2つはお互いが補完関係にある、という意見は見当たりません。

野球のルールが決まった数十年前。まだビデオ撮影すら今のレベルから見ると段違いに低く、「リクエスト制度」に耐えられるものではない時代です。公正さ優先主義としても、それができない時代でした。だから、「審判を絶対正」というルールを作りました。

その意味で、上記2つの対立は対立ではなく、可能な範囲での補完関係でした。もしくは、「公正さ優先」のための「手段」としてルール絶対でした。目的は、公正なゲームを成立させる、です。

さて。

時代はすぎて。今は、公正さを確認することができるようになりました。ビデオでのリプレイ一つとってもそうです。もちろん、毎回確認していたらゲームが進まなくなる可能性はありますが、それでも技術的に可能ではあります。とすれば、ルールの変更して、より公正なゲームが成立することが可能です。

ならば。

この2つは「技術で公正さを担保するルールに変える」が正しい選択のように思います。

と言ったところで。

ここまでの話は前座です。スポーツは「公正さ」が第三者的に判断されますが(極限的には絶対評価が可能という意味です)、組織における人事評価はどうでしょうか。同じ土俵で議論することが可能でしょうか?アウト・セーフとも人事評価も、そして入試も、、、すべて「だれかの判断」です。なのが違うのでしょうか?

続きは明日。

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