トヨタは一流だね。

トヨタの次期社長が発表になりました。(コチラ 参照)

昭男氏が社長を退く。内山田氏も会長から退く。

新社長の佐藤さんは53歳。13歳若返ります。丁度一回り、というところでしょうか。

時代に追いつくためには、時代に越されないトップが必要。言うまでもないことです。

それが出来るトヨタは、やはり一流企業ですね。

# ただし、決まり方が公平な場合、ですが。

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ラーメンの価格は幾らが適正か?①

サッカーの本田選手や、イエール大学の成田准教授が口火を切った「ラーメン2000円論争(コチラ など参照)」。

ホリエモンの1万円発言もあったりして、エンタテインメントとして楽しく見ていますが。。。成田さんではないですが「適正価格はいくら?」となると、経済の初級問題として面白いものになります。

まず。「ラーメンの適正価格は何を基準に作成するのか」という問題。

それから、成田さんがいう「消費者物価はどの程度の上昇率が適正か」という問題。

ともに、大学1年生でも答えられるはずですが、経済学者が本気で考えてもすぐには答えが出てこない難問でもあります。今日は後者を考えてみましょう。

「消費者物価指数の上昇率は、2%が目標」と黒田さんが言ったのはもう10年近く前です。世界経済の安定のため、消費者物価指数は2%上昇が適正という「世界のコンセンサス」が採れています。(本当に2%が最適であるか、については論争があります)。では、ラーメンが2013年に700円だったとして。10年後に幾らであるか。 700× 1.02^10 =700 *1.22= 850円。成田さんのいうような2000円、という数字は出てきません。 

バブル前の1982年ころ、無風凧の記憶ではラーメン一杯350円~500円程度。それから40年、価格は1.02^40=2.2倍程度になります。これでも700~1100円。というか、、、今の実売価格、意外と2%の伸びをしてきたのではないのかな、と思ってしまいます。このように考えると、成田さんのいう価格は「いつの価格を基準に考えるのか?」が大切なことになります。

成田さん、2000円はどこから出してきた数字ですか?

ということで、「消費者物価指数向上の観点では、2000円が適正は根拠が薄い」と結論できそうです。

補足: 成田さんが「物価が上がっていく必要がある」という意味で2000円と発言していることは理解しています。だから、否定はしません。ただ、例としてラーメン2000円、はちょっと適切ではなかったような気がします。

蛇足: 缶ジュース。一本100円の時代が長かった。そして、今でも120~130円。 これは明らかに「もっと高くなっていても良い」例でしょう。ドトールのコーヒー。1985年ころは150円。今230円。1.7倍。 物価指数的にはもう少し上がっていても良いかもしれませんが、企業規模が大きくなっているので、企業努力の範囲と言えそうです。

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都のチルドレンファースト5000円

東京都の小池都知事が、年始早々ぶち上げてくれました。チルドレンファーストの5000円バラマキ(コチラ など参照)。

エコノミスト、政治屋、そのほかいろいろな方が言いたい放題言っていますが、おおむね「反対」の方向です。

1) 一律ではなく、必要な世帯におくるべき。

2) 5000円は少ない。

御意見はもっともかもしれません。でも。チルドレンファーストの言葉に隠されてしまい、もう一つの問題を突いてないいない。優秀な人にありがちな「課題は分割して小さくして解いていく」ことに慣れているため、「もっと根本的な問題=ほかの課題と相乗効果的解決」が視野に入っていない。

その相乗効果は、COVID-19のみならず、日本のGDPが上がらない。それは、つまるところ消費が少ないから。消費を上げるための工夫が必要です。少ないところからでも構わないから、消費を上げる。

その消費を上げるための施策の実現性が無い、という意味で、無風凧は「意見アリ」です。

5000円は少ないかもしれないけど、ないよりはまし、と考えれば、2)の反対は成立しません。生活困窮者に届けるという意味では、1)は必須。そして、「必要でない世帯」には「消費の拡大=GDP向上」の役割を担う仕組みにすれば、三方一両得です。そのために何が必要か。それは、生活困窮世帯は「まずは貯蓄」と考える世帯が多いですから、保護Moneyの意味を強調するためにも消費の拡大=すぐに使う、必要があります。

そのためには。時限Moneyとして配る、ことを提案します。毎月1000円。電子マネーで配る。時限です。今月使わなければ、来月は支払わないようにすれば、おのずと消費が増えていきます。これを5カ月、、、いや、1年続けるというのはどうでしょうか?

中抜きの提案になってしまいましたが、今のままの5000円バラマキ施策から、時限5000円バラマキに変えるだけで、日本の経済は幾許か向上します。

 

 

 

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2023年はInvention元年(バッハは偉大だな)

正月。ふとしたことで、J.S.Bachのインベンションを聴きました。ピアノを習った方には、必ず「いじめられた記憶」がある曲です。なので、Etudeとしてとらえている方が多いのではないでしょうか?

今でこそEtudeのように使われるこの曲ですが、当時は「Invention=発明」だったわけです。通奏低音として扱われた居た鍵盤楽器を、両手つかって二声以上扱えるようにする先鞭をつけたのは、間違いなくBachの功績と言ってよいでしょう。その意味では、BachのInventionが無ければ、Beethovenのピアノソナタも生まれなかったわけです

さて、ここからが今日の本題。

BWV772から始まるInventionは、「インベンション=発明」と名付けられています。新しい試みを実現化することは、invention。最近、経済界で求められている Innovationとは、違う言葉です。新しい事業をおこせ、起業しろ、そのためにはイノベーションが必要だ、、、、というそのInnovationは、シュンペーターが本来は「New Conbination=新しい結合」と呼んでいたもの。ある時期から、シュンペーターがInnovationというようになり、今では世界の共通語のようになっています。でも、「新しい結合」です。右のものと左のものを「つなげること」がInnovation。

つまり。シュンペーターの定義した5つのイノベーションは、どれも「発明」は入っていません。想像や空想に相当する意味もない。新しい価値を生み出すのではなく、これまでの価値をどのように最大化するか、を論じているに過ぎない。

この視点で見ると、ビジネスモデルなんて言うものは、ほとんど「New Conbination」にすぎず、これまでの価値の再分配するのがせいぜいです。まあ、思いついた人の「経済的な利益」にはつながるでしょうけど、それ以上のものではない。大学における経営学もイノヴェーションに関しては滔々と語りますが、Inventionについては、ほとんど手つかず(経営系の教科書を見て下さい。本来の意味でのインベンションについての記述は、ほとんどありません。MOT系の教科書には、技術革新とか”InnovationのDiLenma”などという言葉は出てきますが、ごく一部で、インベンションの重要性を説いたものではありません)

このように考えると、いま、求められているものは、InnovationではなくInventionであることに気が付きます。InventionとInnovation。似て非なる言葉です。でも、言葉が変わると、意識が変わります。意識が変わると行動が変ります。

皆さん、2023年を「Invention元年」にしようではありませんか。

 

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ツイッター、メタ、アマゾンの大量解雇が想起させるもの。

この二週間で、IT系企業の解雇が続きました。Twiitter, Meta(facebook), Amazon。

各社なりの理由はあると思いますが、やはり、収益視点(予測)、でしょうか?

無風凧は思うのですが。収益視点なら、今、解雇するのは早計だと思います。現在の規模をキープすることは、雇用創出の視点からも賛同されるのでしょう。マスクだって、ザッカ―バークだって、ベゾスだってジャシーだってわかっている。その方が株主への説明もしやすい。

ではなぜ、いま大量解雇なのか。

おそらくなのですが、、、技術の進歩に見合う人材を準備したいのだと思うのです。今のWeb3やAIの技術は、今の30代のエンジニアまで。10年後の世界を担うエンジニアは、次の世代のエンジニアなる。その場合、「新しい価値」を生み出すこと自体が次の時代のエンジニアだということを意味しています。そして、、、古い世代は邪魔でこそあれ、戦力にはならない。

だから、大量解雇して、人的新陳代謝をよくする。

無風凧はそのように考えるのですが、皆さんはどのように考えますか?

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経営のイノベーションジレンマを助長するもの=株主

SDGsを実現するために最も必要なこと。それは、経営テクノロジーに関しても、イノベーションのジレンマに陥らないようにすることと共に、経営目標自身の「Sustainable Goal」です。

経営目標のSustainable Goalのために、何が必要か。ズバリ、株主の理解です。現在の株式会社という枠組みは、株主価値の最大化、ということが当然のように謳われています。株主は、継続的に利益(配当、還元)を増大してほしいもの。だから、経営テクノロジーのイノベーションのジレンマに関係なく、利益を追求します。よって、Sustainableなゴールにならず、青天井ゴールということになってしまいます。

このように考えれば。

SDGsを実現する第一歩は、株式会社における「株主価値のSDG」だと結論できると思うのですが、いかがでしょうか?

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究極のSDGs

昨日の続き(昨日の記事は コチラ)。

無風凧が経営学を勉強したとき、「経営者の最初の仕事は、次の経営者を見つけること」というの習いました。当時、大企業に勤めていましたので社長交代のことを思い浮かべたのですが、なんとなくそういうものかなと思っていました。今思えば、次の経営者を見つけて育てることにより、自分の経営テクノロジーを承継するとともに、イノベーションのジレンマにならないようにするための一つの方策なのかなと合点がいきます。

自分の子育ては間違えていたかどうかが分かるのは自分に孫ができた時だ、ということを聞いたこともあります。これは、自分の子供の子育ては自分の子育てと同じでしょうから、自分の子育てを客観的に見て判断するということだと習いました。この伝でいくと、経営者が自分の経営方法は正しかったかどうかを判断するのは、自分の2世代あとの経営者がどのように育ったからだということができます。

経営者の世代が変われば、当然目標も変わります。もちろん時代の進行により、企業環境も変わっているでしょう。その環境に適応していくためにも、目標は言うに及ばす、色々な経営テクノロジーも変わらなくてはなりません。このような環境下で企業が生き残っていく、これこそ本当の意味でのSDGsではないでしょうか。

 

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経営テクノロジーの「イノベーションのジレンマ」

日本電産の永守さんが、またCOOを変えそうです(コチラ など参照)。今年の4月にCEOに復帰したときに予兆はありましたので、驚きはありません。

永守さんは、今78歳。まだまだ現役、頑張れる、ということはわかりました。しかし。ここからが今日のテーマです。

日本電産という企業経営を考えてみます。

良くも悪くも永守イズムという経営テクノロジー。ここまではうまくいっていました。でも、これから先、世の中の変化、技術の進化、そして経営者の承継など、いつまでも永守イズムが通用するわけではありません。人の寿命のことを考えれば、必ず「テクノロジーの代替わり」が存在します。これが遅れるのは、経営テクノロジーの「イノベーションのジレンマ」に比定されます。

今すぐ結果が出なければ、「自分がもう一度」と考えることは理解できます。でも後進を育てる、それは今の結果だけで測定できるものではありません。地道に力をつけていき、出藍の誉れを待つ。それが本当の意味で更新を育てることではないでしょうか?

 

 

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過疎とPDCA。

こんな記事を見つけました(コチラ参照)。

記事によると、少子化のために、10年間で小中学校の児童生徒が100万人減っている。その上、地域の小中生が30%以上減った自治体が346(日本の全自治体数は1892だから、18%です)。これらの自治体は当然のように過疎化が問題になっているとのことです。

根本的な問題として。

民主主義(ここでは、その定義を厳密に言うわけではないですが、自由主義、競争社会、多数決原理と言い換えても良い)の下で、過疎化は止めることができません。現象としては、技術進歩による工業社会と、それが作り出した規模の経済が大きな比率を占めています。

その前提で論を進めて。20世紀後半の「マネジメント」志向が過疎を生み出したと言ってよい。テイラー、デミング、コトラー、、、A級戦犯でしょうか。

たとえば、今の経営層の99%以上の人はPDCAサイクルと言って否定する人はいないでしょう。最近、その進化版としてOODAやSTPDなど色々なループやサイクルが提唱されていますが、「経営目標=金儲け」をする場合に、そして「目標値を実現する」世界においては、最終的にPDCAに落ち着いています。

一例として、あるプロダクトを売ることを考えます。売り上げ目標と利益目標があります。それを実現するために、プランを作り実行します。目標に届かない場合、修正プランをつくることになります。経営指標として、利益率を考えた場合、市場規模(顧客の数)が一定数いなくては投資できません。遠いとそれだけ運送コストがかかる。結果として、目標達成機できないという理由で、地方は切り捨てられていきます、、、過疎です。

上記は、私企業の例ですが、2000年以降、行政組織も同様のマネジメント手法が用いられるようになりました。無い袖は振れない、という言い方もできるかもしれませんが、行政もコストカットが求められます。結果として、目標設定をして、その効率を上げるためにPDCAを回し、過疎が進んでいきます。

20世紀型のMBAからは脱却してほしいと思っていますが、PDCAは20世紀型MBAの負の遺産です。

追記: チェックの際もしくは新プランをつくる際に、Product Portforio Managementを用いている場合が多いでしょうから、PPMも諸悪の根源ということができるかもしれません。でも、PPMを意識せずに、目標達成のために切り捨てられていくという、一段階メタな立場でPDCAを取り上げています。

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新しいビジネスモデルを生み出せないかな?

任天堂が、20年近く前に販売したWiFi機器を使わないようにアナウンスしています(コチラ など参照)。

これは決して不具合を出したわけではなく、技術の進歩により、以前のWiFi機器の暗号化が危険になったため、です。その意味において、任天堂は、非常に真摯に対応しているといってよいのではないでしょうか?情報技術の進歩は非常に早く、一般消費者もうかうかしていられない、という状態であることは間違いありません。この場合、パソコンのOS系でおきている「計画的陳腐化」というビジネス戦略とは一線を画していると言えます。

しかし。

古い考えの人にとっては、少し???な点があるのも事実。特に、「まだ使えるのにもったいない」という方は多いのではないでしょうか。古くても良いものを使い続ける、というのも違うものです。古いというだけで「悪いものになっている」という商品。

整理すると、時代が下がると危険になるもので、それが計画的なものではなく技術進化によるもの。それに対する顧客不満を解消することができれば、それは一つのビジネスモデルということができます。

簡単に「だったらリースやレンタルをすればいいではないか」という方もいるかもしれません。そうです。一つの答えではあります。しかし、それは「計画的陳腐化」や「飽き」に対しても通用するビジネスモデルです。それとはことなり、「技術進化による安全性阻害に特化」した解を求めたい。その基本モデルができれば、きっと黎明期の 「Satoshi」 を持っている程度には「億りびと」になることができるでしょうね。

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