犯罪被害者のための「新あすの会」

Yahooの独自記事として、「新あすの会(新全国犯罪被害者の会、代表岡村勲弁護士)」がとりあげられました(コチラ 参照)。

日本において。犯罪被害者・被害者遺族へのサポートは本当に弱い、と無風凧も思っています。

上記記事からもお判りいただけると思いますが、日本においては「加害者」に支払う国家予算の方が、「被害者」に支払う予算よりも大きいのです。ありえない!と思いませんか?

無風凧は、岡村弁護士の「新あすの会」に賛同です。(新あすの会のホームページは コチラ

と同時に。

日本において、もう一つ、ないがしろにされている被害者があります。それは、いじめ等に起因して精神的なダメージを受けた「患者」に対するサポート、適応障害と言われた方々へのサポートです。職場環境になじめない、という場合、現在は「新参者が悪」「新参者が起因」とされることが多いですが、実際は「ムラ」社会型である日本の風土的いじめに相当することが多い。結果として転職を余儀なくされたりPTSDになったりした場合の補償など、まったくと言ってよいほど手付かず。大企業に所属しているなら「休職」期間はいくらか手当てが出ますが、昇給もできず、結局退職に追いやられる、、、ことなど考えれば、まったく不十分なサポートと言えるでしょう。

結果として、日本はなんでも「やられたもの負け」な社会。弱肉強食と言えば、動物の常ですが、ヒトは、社会的な動物。社会的、という言葉の含む意味の一つとして、「やられた者のためのサポート」を加えなくてはならないと思っています。

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世論は正しいのか?

暴力・体罰は絶対にいけない、という世論が形成されたのは、戸塚ヨットスクールが新聞記事になったころだったでしょうか。その頃、児童虐待もやり玉に挙げられていました。結果として、どんな場合でも体力・暴力はいけない、という風潮が出来上がりました。

では、紹介の記事を見て下さい(コチラ)。

学生の態度があまりにひどい。教員だって人間ですから感情があります。暴力はいけない、と知っていても、感情が抑えられなくなることを止めることが100%求められるのはむりではないでしょうか?

失礼な態度、というのをどのように定義するのか、という問題はありますが、原因は学生側ではないか、と思うのです。その原因を解決することなく、暴力だけを取り上げるのは、なにか合点がいきません。

やくざさんの因縁とおなじようなもの、といってもよいのでしょうか?ちょっと違うかな。第二次世界大戦の前の国政連盟みたいなもの?という方が正しいかもしれません。そんなわけで、悪口を言われ続けて、反発して手が出た場合、100%手を出した方が悪い、というのは不公平な気がします。悪口を言った人が半分以上悪い。

原因に対する解決無くしてペナルティを与えるのは、世論が間違えていると無風凧は断言します。

# 無風凧の廻りでも似たような事件がありました。原因を作ったのは体制側のメンバー。体制側の意見のみで判断が下され、本来何も悪いことをしていなかった無風凧の友人は、理由を確認しようとしただけで反体制とみなされて解雇となりました。

 

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パーティー

政党を英語で書けば Political Party.つまりの「政治におけるパーティー」。

パーティー=Party。皆さんも卒業式や誕生会などで経験したことがあるでしょう。あのパーティです。

語源は、「部分」を意味する「Part(パート)」。

国を司る政治の「部分を担う」という意味で「Party」なのです。

ところが。

大きな「Party」が力を持つ。「ちいさなParty」が「提携して大きなParty」になっていく。

さらに言えば、Partyに所属しなければ「政治の一部を担う」スタートラインに立つ=立候補すらできない(実際は無所属でもできますが、当選する確率は限りなくゼロに近い)。

昨日も立憲民主党と維新の会が手を組むという話が出ていました。

Partyがだんだん「全体」を目指す、、、なんとなくおかしい気がしませんか?大きなPartyに対抗するために結託するのは、支持でも合意でもありません。戦略です。

ネットの時代、新しい「政治の仕組み」を作ることができると考えています。

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COVID-19: 自宅療養で治る人

20230118 久しぶりに、COCID-19に関してのEvidence Baseの話(注)。

この図は、John Hopkins UniversityのDashboardの1月18日(日本時間)午前6時半のものです。日本全体の感染者数と死亡者数の推移を示しています。横軸は週単位です。

上が感染者数。下が死亡者数。感染者数の週次は第7波を越えていませんが、死亡者数は超えている。これは何をいみしているか。

1)カウントされていない感染者=自宅療養で治る人や、そもそも発症しない感染者が増えて生きている、ということを意味していると考えられます)

2)そもそもとして、重症化率・死亡率が上がっいる。

どちらかですが、今のところWHOの発表では、オミクロン以降に2)を示す兆候は無いようです。ということは、1)が増えている、ということに帰着します。

では次に。(できれば、コチラ を先に読んでください。)

無風凧は、第8波の週次の死亡者数のピークを2500人程度。そして、死亡者のピークは2月と予測しています。上述の2500人は前倒しで「実現」してしまいました。死亡者ピークは、感染者数ピークの後に来ますから、その意味では、死亡者の週次の数字はまだ増える可能性がある、とこのデータは物語っているようです。

死亡率は季節性インフル程度、とのことですが、それでも感染者数が増えれば絶対数が増えます。その点を忘れてはいけません。

そして、感染者が増えれば「変異株が増える可能性が高い」ということも事実(コチラ 参照)。感染拡大対策を今一度、徹底しませんか(注2)?

注: 死者の内訳や、死因の究明など死者数の算出方法には異論がありますが、まずは、JHUのデータを信じての議論です。データを信じる信じない、は別のスレッドにしましょう。

注2: マスク不要論者をはじめとする通常に戻すべき派の方へ: 今の感染状況が季節性インフルエンザなら、学級閉鎖や学校閉鎖になるレベルです。高齢者向けに、同様の施策を考え、徹底することを考えませんか?
また、国民のコンセンサスとして、「COVID-19での死亡率は、年齢別に〇〇%です。それを許容する社会にしましょう」というキャンペーンを張ってください。今大切なことは、「マスクをするかしないか」、ではなくて、「致死率を受け入れることができるかできないか」が最も根本の問題ではないでしょうか。

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ラーメンの価格は幾らが適正か?①

サッカーの本田選手や、イエール大学の成田准教授が口火を切った「ラーメン2000円論争(コチラ など参照)」。

ホリエモンの1万円発言もあったりして、エンタテインメントとして楽しく見ていますが。。。成田さんではないですが「適正価格はいくら?」となると、経済の初級問題として面白いものになります。

まず。「ラーメンの適正価格は何を基準に作成するのか」という問題。

それから、成田さんがいう「消費者物価はどの程度の上昇率が適正か」という問題。

ともに、大学1年生でも答えられるはずですが、経済学者が本気で考えてもすぐには答えが出てこない難問でもあります。今日は後者を考えてみましょう。

「消費者物価指数の上昇率は、2%が目標」と黒田さんが言ったのはもう10年近く前です。世界経済の安定のため、消費者物価指数は2%上昇が適正という「世界のコンセンサス」が採れています。(本当に2%が最適であるか、については論争があります)。では、ラーメンが2013年に700円だったとして。10年後に幾らであるか。 700× 1.02^10 =700 *1.22= 850円。成田さんのいうような2000円、という数字は出てきません。 

バブル前の1982年ころ、無風凧の記憶ではラーメン一杯350円~500円程度。それから40年、価格は1.02^40=2.2倍程度になります。これでも700~1100円。というか、、、今の実売価格、意外と2%の伸びをしてきたのではないのかな、と思ってしまいます。このように考えると、成田さんのいう価格は「いつの価格を基準に考えるのか?」が大切なことになります。

成田さん、2000円はどこから出してきた数字ですか?

ということで、「消費者物価指数向上の観点では、2000円が適正は根拠が薄い」と結論できそうです。

補足: 成田さんが「物価が上がっていく必要がある」という意味で2000円と発言していることは理解しています。だから、否定はしません。ただ、例としてラーメン2000円、はちょっと適切ではなかったような気がします。

蛇足: 缶ジュース。一本100円の時代が長かった。そして、今でも120~130円。 これは明らかに「もっと高くなっていても良い」例でしょう。ドトールのコーヒー。1985年ころは150円。今230円。1.7倍。 物価指数的にはもう少し上がっていても良いかもしれませんが、企業規模が大きくなっているので、企業努力の範囲と言えそうです。

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今から400年前にAIがあればガリレオは助かったのか?

最近のAIブーム。無風凧はある意味で「恐ろしいなあ」と思うことがあります。今回は、「400年前にAIがあれば、ガリレオは助かったのか」を考えてみましょう。

ガリレオは、天動説を唱えた人。そして「それでも地球は回っている」と言って拷問にあった、と語り継がれています。まあ、裁判の史実がどうかは別にして、当時AIがあったら、ガリレオの「天動説」は救われたのでしょうか?

考えるべきは3つでしょう。

1) ネットがあったとして、データマイニングをした結果として天動説が支持されたか。

2) 太陽や星々の動きをデータ解析して、物理現象としての天動説を導出できたか。

3) それを世論が支持することができたか。

人は、正しいと思うものをだけを信じる動物です。だから、自分が信じていないものがいかに真実であっても否定する。物理的や化学などの実験をしてみせても否定する。だから、ネット上に「地動説が正しい」という世論が多ければ、Web上をスクロールしてデータを集めても、その結果として導出される結果は「地動説」。ChatGPTをはじめとする「優秀なChatBot」も、地動説を支持していたことでしょう。

太陽や星々の動きのデータを解析して天動説を導出できたか。これもおそらくは否。というのも「天動説のモデル」が無い限り、教師無しに天動説を唱えることはあり得ません。その意味で、AIに「正しいモデル」を入れることは重要です。

そして、これが最も大切。結果としてもし「天動説」が示唆されたとしても、当時のローマ教皇庁はその結果を支持しない。だからキリスト教下の国民は、天動説を支持することはない。

つまり、、、ガリレオは助からなかったということが導出されました。

さて。

今の世の中でも同じようなことが起きていないでしょうか。例えばCOVIDー19に関して、「報道される資料」は、だれかが信じることができたもの。将来予測も同様。このように考えると、人工知能がいくら賢くなっても、人の知能が上がらない限り結果を正しく運用することができない。

物理現象のように「世論とは関係なく真実は一つ」の場合でも、上述のように「間違い」が支持されることがありうる、という話です。前回(コチラ 参照)の社会ランキングの扱いと同様と考えてよいのかもしれません。

続きはまた後日。

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社会的ランキングはいずれなくなるのか?(ランキングについて考える)

久しぶりに、ランキングについて真向からの記事です。

論理的な正しさと多数決の正しさ、この比較って難しいと考えたからです。

簡単な例で説明しましょう。無数凧の趣味の一つ、将棋で考えます。将棋は、今やトップ棋士ですらAIを参照するほど。電脳戦がなくなって公式戦がなされていませんが、藤井聡太五冠もコンピュータで研究しているということですから、私たちアマチュアでは、AI が神様に近くなっています。

将棋のAI について考えてみると。

かつてはプロ棋士のの過去の将棋、つまり棋譜をデータベースとして教師あり学習型に作られていました。しかし今は、ルールだけを教えて、人工知能で教師なしに学習した将棋プログラムの方が主流になっています。

これをランキングの考え方で翻訳してみましょう。人間のさした棋譜のデータベースに従う、というのは、社会的ランキングが用いられていることと同様。そして、機械なし学習の方は、論理に従った原始的ランキング。将棋の場合、勝つことが正しい、と定義することができますから、原始的ランキングが社会的ランキングを凌駕していることを意味しています。

論理が成立する世界であれば、社会的ランキングは正しい結果を導かない、ことを示していると言い換えても問題ありません。つまり社会的ランキングは何なくなるのか、という今回のタイトルの質問に行き付けます。

答えは否。

論理が成立する世界という言葉を間違えてはいけないということ。例えばラーメンの味は、論理的な正しさを証明することができません。社会的ランキングが絶対的な正しさを持たざるを得ないものを、AI に任せてしまうことは、厳に慎まなくてはならないと言い換えてよいでしょう。その意味では社会的ランキングは、永久になくなることはありません。

このことから。

私たちが色々な判断をする場合、民主主義では多数決で決められることが多いわけですが、論理的な正しさがあるものを多数決で求めることは誤っています。論理的な正しさがあるものなのか、社会的なランキングが正しさの源泉なのかを見極めた上で、人工知能の結果を用いなくてはなりません。将棋は AI、ラーメンは人気。このような切り分けでできることが必要なことになります。

皆さん、ランキングを正しく理解して賢く生きましょう。

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COVID-19: もし真理が一つあるとしたら

お正月休みが終わり、またぞろCOVID-19の感染者数が増えてきました。全数把握は止める、という話もありましたが、結局ニュースバリューがあるんでしょうね。今でも報道されています。

COVID-19による一日の死者数も過去最高を記録しました。この死者数は、COVID-19に罹患していたらすべてカウントされますから、「直接の死因のみ」という訳ではないようです。基礎疾患が無ければ重症化も死亡もしない、という話もあります。しかし、COVID-19によって人生が幾許か短くなったことは間違いないでしょうし、超過死亡数もプラスのままです。

COVID-19が弱毒化し、死亡率が下がったことは事実でしょう。報告されていない感染者数を考慮すれば、現在考えられている以上に死亡率は下がっているでしょう。しかし。感染者数が減っていないことも事実。そして。COVID-19に関して真理があるとすれば、

感染者数が増えると変異確率が増える。⇒ 変異を減らすには感染者数を減らすしかない。

変異することでワクチンを回避するウイルスが出現する可能性が増えます。ワクチンの効果が半減すると、重症化率が上がります。ワクチンの効果を守るためにも「感染者数を減らす」ことが重要になります。

繰り返しますが、「感染者数が増えると変異確率が増えます」。だから、感染者数を減らすための最大限の努力をしましょう。

 

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都のチルドレンファースト5000円

東京都の小池都知事が、年始早々ぶち上げてくれました。チルドレンファーストの5000円バラマキ(コチラ など参照)。

エコノミスト、政治屋、そのほかいろいろな方が言いたい放題言っていますが、おおむね「反対」の方向です。

1) 一律ではなく、必要な世帯におくるべき。

2) 5000円は少ない。

御意見はもっともかもしれません。でも。チルドレンファーストの言葉に隠されてしまい、もう一つの問題を突いてないいない。優秀な人にありがちな「課題は分割して小さくして解いていく」ことに慣れているため、「もっと根本的な問題=ほかの課題と相乗効果的解決」が視野に入っていない。

その相乗効果は、COVID-19のみならず、日本のGDPが上がらない。それは、つまるところ消費が少ないから。消費を上げるための工夫が必要です。少ないところからでも構わないから、消費を上げる。

その消費を上げるための施策の実現性が無い、という意味で、無風凧は「意見アリ」です。

5000円は少ないかもしれないけど、ないよりはまし、と考えれば、2)の反対は成立しません。生活困窮者に届けるという意味では、1)は必須。そして、「必要でない世帯」には「消費の拡大=GDP向上」の役割を担う仕組みにすれば、三方一両得です。そのために何が必要か。それは、生活困窮世帯は「まずは貯蓄」と考える世帯が多いですから、保護Moneyの意味を強調するためにも消費の拡大=すぐに使う、必要があります。

そのためには。時限Moneyとして配る、ことを提案します。毎月1000円。電子マネーで配る。時限です。今月使わなければ、来月は支払わないようにすれば、おのずと消費が増えていきます。これを5カ月、、、いや、1年続けるというのはどうでしょうか?

中抜きの提案になってしまいましたが、今のままの5000円バラマキ施策から、時限5000円バラマキに変えるだけで、日本の経済は幾許か向上します。

 

 

 

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2023年はInvention元年(バッハは偉大だな)

正月。ふとしたことで、J.S.Bachのインベンションを聴きました。ピアノを習った方には、必ず「いじめられた記憶」がある曲です。なので、Etudeとしてとらえている方が多いのではないでしょうか?

今でこそEtudeのように使われるこの曲ですが、当時は「Invention=発明」だったわけです。通奏低音として扱われた居た鍵盤楽器を、両手つかって二声以上扱えるようにする先鞭をつけたのは、間違いなくBachの功績と言ってよいでしょう。その意味では、BachのInventionが無ければ、Beethovenのピアノソナタも生まれなかったわけです

さて、ここからが今日の本題。

BWV772から始まるInventionは、「インベンション=発明」と名付けられています。新しい試みを実現化することは、invention。最近、経済界で求められている Innovationとは、違う言葉です。新しい事業をおこせ、起業しろ、そのためにはイノベーションが必要だ、、、、というそのInnovationは、シュンペーターが本来は「New Conbination=新しい結合」と呼んでいたもの。ある時期から、シュンペーターがInnovationというようになり、今では世界の共通語のようになっています。でも、「新しい結合」です。右のものと左のものを「つなげること」がInnovation。

つまり。シュンペーターの定義した5つのイノベーションは、どれも「発明」は入っていません。想像や空想に相当する意味もない。新しい価値を生み出すのではなく、これまでの価値をどのように最大化するか、を論じているに過ぎない。

この視点で見ると、ビジネスモデルなんて言うものは、ほとんど「New Conbination」にすぎず、これまでの価値の再分配するのがせいぜいです。まあ、思いついた人の「経済的な利益」にはつながるでしょうけど、それ以上のものではない。大学における経営学もイノヴェーションに関しては滔々と語りますが、Inventionについては、ほとんど手つかず(経営系の教科書を見て下さい。本来の意味でのインベンションについての記述は、ほとんどありません。MOT系の教科書には、技術革新とか”InnovationのDiLenma”などという言葉は出てきますが、ごく一部で、インベンションの重要性を説いたものではありません)

このように考えると、いま、求められているものは、InnovationではなくInventionであることに気が付きます。InventionとInnovation。似て非なる言葉です。でも、言葉が変わると、意識が変わります。意識が変わると行動が変ります。

皆さん、2023年を「Invention元年」にしようではありませんか。

 

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