昨日の続き。(入学前教育2)

入学前教育で思い出すのは、無風凧にとっては高校入学前の学習。(大学でないので、少し事情は違いますが)。

よく覚えているのは数学なんですが(無風凧は数学大好き)、高校生向けの参考書(青チャート)を1冊渡されて、全部やってくること、以上。

一か月で全部目を通すだけでも大変だった。英語も、似たような感じだった、、、理科・社会は課題がなかったように思います。

高校入学に向けて燃えている時だったから、1か月、ずい分頑張った記憶があります。受験勉強より厳しかったな、と今は思いますが、入試のような「切迫感」はなく、ワクワク感でチャレンジしたことを思いだします。とはいえ、最初に実力考査は惨敗だった(涙)。

こういう入学前教育なら、つまり、先取りの学習なら「やる気のある生徒」にはすごく効果的ではないかと思います。

翻って今の大学は、手厚いサポートをしすぎ、なのかもしれません(昨日の記事参照)。

試験を行うよ、とだけ言って、テキストを渡す。落ちこぼれる学生はそれまで、と腹をくくれば、それが一番良いのではないかなあ、、、暴論ですか?

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入学前教育

最近の大学は、所謂「入試(一斉に行うペーパーテスト)」ではなく、総合選抜を始めとする、昔でいうなら「推薦入試、AO入試」による入学者選定が増えています。

ペーパーテストは、一発勝負の為、その日の体調などによる「ブレ」がありますが、総合選抜等は、何度かの面接をおこなったり、高校の内申点などを重視する為、「ブレ」が少なくなると言われています。

年内に進学先が決まる為、大学も学生も高校教諭も「安心」することは間違いありません。

反面、合格決定後の学生の「学修」に大きな課題が残ります。ペーパーテスト組に比べて、約半年早く入学が決まります。高校3年間で見れば、6分の1です。端的に言えば、学修時間が6分の1、すくないことになる生徒(入学生)が多い。

たった6分の1、と思われるかもしれませんが、この差は意外意外と大きいし、なんといてっもペーパーテスト組は「追い込み」を経験しますから、ある意味では「学修の仕方」をおぼえますが、大半の総合選抜組はその「学修の仕方」をおぼえずに入学します。

結果として、大学入学時の学力差にバラツキが大きくなると共に、経験的には学力が「下がる傾向」にあると無風凧は感じています。

この差、、、を入学前教育と称して、大学側から課題を課していることが多い。でも、それも何となく、変だなあ、、、。

学生にしてみれば、大学からの課題と高校の課題の両方をすることになるし、何といっても「先生が二人居る(大学と高校)」状態になり、どちらのいうことをきけば良いの?みたいな状態になります。

そんなことをつらつら考えていて。

やはり、大学は希望学生全入制度(初年度~2年度はオンライン重用)、そして、科目ごとの「合格点」を厳しくとり、学内淘汰を旨とする。そして、転学(学校間流動性)をあげて、専門性をより深めるようにする、、、、このようにするのが良いのではないか、と思うのです。

結果、大学の序列化(ランキング)は、進むでしょう。しかし、そこは大学毎に「特色を出す」部分でもあります。その特色を生かすことが出来なければ、18歳人口が減っていく今後、大学として生き残れないことも必定ですから、丁度良いのではないでしょうか?

ある意味暴論とは思いますが、ちょっと私論を述べてみました。

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大学の講義の長さ

無風凧が大学生の頃。

1コマ(1校時)は90分でした。最近は105分の学校も増えていますね。

授業数も、当時は講義13週で、その後が試験期間でしたが、今は16週目が試験になるところが多いようです。105分の学校は広義13週+テスト。

これは、文科省からの指導で「90分×15回の時間をを守るように」とのお達しがあったからです。

今回、この制度にたいして面白い記事を発見しました(コチラ 参照)。東京外大の例ですが、15週の代りに「90分×13回と2回分のアクティブラーニング(自主学習)」という制度にしていたという話。それを、評価機構からしてきされて、15週に変える、というものです。

履修主義ではなく修得主義をとっている無風凧にしてみれば、13週にするか15週にするか、よりも「修得内容の多寡」を問題にしてほしいと思うのですが、官僚は「時間」が大切なんでしょうね、、、、大学がどんどん履修主義(出席優先)に革って言っています。

ところで。講義って、なぜ90分だかご存知ですか?もともと、大学の講義は2時間=120分だったんです。この120分は、教授が部屋を出て自分の部屋に戻ってくるまで、ということで、片道15分かかるとして(随分広いっキャンパスですね)90分になったのだとか。

今の学生は120分はおろか90分でも集中が続かない学生が多いようなので、昔はよい学生が多かったのかな、なんて思ったりもしますが。

人の集中は20分しか続かない、という学説を読んだこともあるので、90分の集中がもとないのは当たり前かもしれません。無風凧は、、、が付いたら一晩、ということもあるので何とも言えませんけどね。

ちなみに、一単位は自学学修もいれて45時間程度となっています(学校教育法)。だとすれなば、自学の時間を延ばして、「修得主義」にすればよいのではないかなあ、、、と思うのは無風凧だけでしょうか?

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ここまでやるの?(勉強時間申告・ランキングシステム)

ちょっと驚きのニュースを発見しました(コチラ 参照)。

記事によると、

・ある学校では、定期試験の勉強時間を申告するシステムがある。

・学生は勉強時間を申告する。

・学生には勉強時間の順位が表示される

とのこと。

この記事だけだと、高校なのか大学なのか、はたまた中学なのかはわかりませんが、ここまでやるの?という驚きで一杯です。

ランキング理論的に言えば、「正しいランキングの使い方」ではあります。つまり、上を目指す人にとっては、ランキングと言う第三者評価は一つの目標になるので、結果として正の効果を生みます。その意味で正しい方法、だと言えます。

しかし。

勉強時間を申告させ、そこで管理を行う、というのはどうも無風凧には理解できません。数学が苦手な人は、定期試験の前に数学に時間を割くでしょうし、その分国語の時間は減るでしょう。それを、一律の「時間」という尺度で測るということに、どのような意味があると言えるのでしょう?

また、それを「学校側が管理する」という仕組みは、社会人的には、「サービス残業で査定する」ことを想起させます。

大学の場合、一単位は45時間の学修と言うこと教育基本法で定められています。半期2単位科目の場合、毎週4時間半の勉強をすることが前提です。教員は、その前提に従って課題を出します。学生の能力や興味によって早く終わる人もいれば、それ以上にかかる人もいるでしょう。でも、その勉強時間を管理することに、意味があるとは思えません。

学生によっては、予復習をこえた学修をする場合もあります。それらの「内容の違い」を考慮せずに、時間だけ申告させる、、、あたかもタイムカードみたい。

という訳で。

家庭での試験勉強時間を申告させるシステムに驚きを隠せない無風凧でした。

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当世学生気質

一部の私立大学では、今は前期末試験の真っただ中、ではないでしょうか?

無風凧が学生だった◎◎年前は、15回講義への縛りが緩かったこともあり、7月後半には夏休みに入っていました。

しかし、昨今は、文科省からの指導が厳しく、15週の講義の上に「定期試験」という形になります。また、前期の始まりもなぜか遅くなっているように感じます。(これは、オリエンテーションの期間が長くなったことに起因?)。

さて。8月初旬は、夏祭り・花火大会とイベントが山積。学生は、試験にしようか、お祭りに行こうか、悩むのではないか、、、と思っていたのですが。

街行く人波を見ていると、試験はどこ吹く風でイベントに行く学生が多いように感じます。まさか、「ガクチカ(学生時代に力を入れたこと)」として、お祭り参加と書くためにではないとは思いますが。

無風凧が学生だった頃は、試験期間中は缶詰になっていて、仙人のような生活をしていた記憶があります。そして、少しでも良い評価になるように、一点をがむしゃらに取りに行く、、、でした。でも、これは当世風ではないのでしょう。

当世学生気質は、「よく遊べ、そして単位を落とさなければそれで良し」となっているようで、Z世代は判らない、と改めて思いました。

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大学講義の14,15回目

友人の大学教授の話。

「最近、14回目15回目の講義は出席が悪い」

理由を聞いてみると、

「15回のうち6回以上休むと単位認定しない=5回目までは休める、と理解してる学生が多く、14,15回目を休んでも期末試験を受けられるなら休んじゃえ、ということ」

なのだそうです。想定されていることでもありますし、他からも聞く話ではありますが、無風凧としては「なんのために大学に行くの?」と学籍に聞きたくなります。

このような5回までは休める、という風潮は、負の意味で波及効果があって、

① 連続物の講義が出来ない=前提がとびとびになるので、学生は理解できない。

つまり、3,6,9,12,15回を休んでしまうと、講義全体の流れが分からなくなり、結局何も身に付かないことになります。

実習科目の場合は、もっと大変で、例えば3回目に「危険物の扱い方」を実習するとして、その回を休んでしまうと、4回目以降は危険な状態が続くことになります。勿論、大学教員は、危険にならないように色々な配慮・対策をするわけですが、結局それは、教員のボランディア精神の賜物であり、根源対策としては、5回までは休める、という制度の改正に結びつくわけです。

幸い、無風凧の講義ではあまりそういうことはないのですが、若干その傾向を感じたことはあります。

とはいえ。無風凧が学生だった頃は。「今日はどんな話を聴けるのかな」と講義にでるのが楽しみだったし、休むのはもったいないと覆っていたのですが、、、これも、無風凧が「老兵」になった証ですかね。寂しいものです。

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大学で四則演算を教える必要はあるのか?

最近、文科省と財務省の間で「大学で四則演算を教える必要論」が盛り上がっていますね。

この手の記事を読むときに、無風凧は思うのですが、「どの学科」の「何という講義」だったかを知りたい。

というのも。「数学科」の「代数入門」のような講義の場合。

群、環、体 と可換の定義と例として、四則を扱うことはあるのでしょう。決して掛け算の「計算方法」を講義しているのではなく、代数の基礎です。これを「教える必要が無い」と財務省官僚が発言しているのだとすれば、認識違いもいい所。四則を厳密に講義する必要があります。

でも、

商学部や経営学部等の「簿記」の授業で四則を教えているのだとすれば、、、それは、大学の存在意義の問題になります。いや、大学の存在意義ではなく、義務教育の存在意義と卒業の定義がおかしいことになるのかもしれません。いずれにしても、大学で教える内容では無く、財務省に軍配が上がります。

地方のFラン大学問題の一部として取り上げられることが多い大学の四則演算問題。そういえば、昔は「分数の足し算ができない大学生」という話題が一世を風靡したことがあったなあ、、、と思い出しながら、この記事を書きました。分数の足し算問題の解きにきちんと対応していれば、いま、こんな問題は起きなかったのではないかなあ、、、

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三日続けて教科書ネタ

さらに、久しぶりのBookOffネタが続きます(実際は30分もいなかったのですけどね)。

今回は数学の教科書の話。

BookOffに売っている大学以上向けの数学の教科書と、一般的な書店(例えば三省堂)で売っている教科書は、種類が異なります。それは、既にこのブログでも書いたような記憶があります。(物理のテキストで書いたのかもしれない)。

最近、研究が学問の進化・深化により、教科書事態も最新の情報を入れたものも、沢山出版されていますし、いわゆる定番の教科書は復刻されて一般書店には並んでいます。

そのような教科書が、BookOffには少ない、というか、ほぼ皆無。良い意味でいえば分かりやすさを追求した、教科書、悪く言えば、これが大学の教科書?というようなものが並んでいることが多い(この記述は、炎上するかもしれませんね)。文理融合や、推薦入試が増えて、数学教育のレベルが下がったことの証左ではないでしょうか。「手にした教科書を売ってしまう=二度と使わない」という事でしょうから、そのレベルの教科書ですらもう使わない、という事なのでしょう。定番の教科書は、昔に比べるとビックリするほど値上がりしていますが、BookOffには出てこない=売る人が少ない。

いま、IT人材不足で猫も杓子もIT教育と叫んでいますが、付け焼刃で何とかなるものではないことは皆さまご推察の通り。底上げも必要かもしれませんが、吹きこぼれ対策と、中央値や最頻値の向上(平均値ではなく)を目指して欲しいものです。

BookOffで平積みされていた「大学生向け数学の教科書」が、とても可哀そうに思えました。

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京都ノートルダム女子大の募集停止

女子大の苦戦が続いています。来年度から、名門京都ノダムも募集停止。

あまり大きくは記事になっていませんが、津田塾の数学科も国際データサイエンス科に名称変更、、、して生き残りを賭けます。

これらの例に限らず、今苦戦している私立大学は、無風凧の目から見て戦略を間違えています。

AIDMAではないですが(AIDMAは、随分古いモデルですね)、私立大学は何が商品で、どの様な価格を付け、どの様な広告を打ち、、、はい。つまり私立大学を、一般企業と経営戦略で捉えると、ずい分奇異な感じがします。勿論、文科省の「縛り」もあるのでしょうけど、それにしても酷い。

一言で言えば、将来の価値を犠牲にして、今年の入学者を確保する、という戦略に出ているようにしか見えません。年度会計の悪い所でもあり、また、就学期間が一応4年というルールがあるので、取れる戦略に限りが限りがある、という事なのかもしれませんが。

例えば。

大学の広報戦略の最大の武器は「卒業生の活躍」であり、就職率ではない。就職率を追い求めるのは、今年を良くすることが出来ても、その結果として地域の企業に無理をさせてしまえば、将来の「就職口を無くす」ことになります。そのように考えると「就職率」でないことは一目瞭然なのですが、経営が厳しい大学は、今年の就職率の向上を目指す。

同様に、受験生の全入化は、ある意味で「自分の大学のレベル低下」を宣言しているようなものです。レベルの下がった商品を買いたい、と思うお客様は何処に居るのでしょうか?

更には、留年させない施策。勿論、留年させることが良い事ではありませんが、学修内容を修得していなくても4年で出そうとする。結局、卒業生のレベルが下がり、大学の社会的評価も下がる。

更に更に、その「留年させない施策」のために、教員の「研究時間」が犠牲になります。研究成果が一つでも多くなれば、それは「大学の将来価値」を上げることになりますが、研究時間がなければ、将来価値を期待することが出来ない。つまり、将来の価値を犠牲に、今の入学生確保に走っているわけです。

経済学で良く用いる「最適停止理論」を用いると、大学経営を改善するには、まず、学生の質をあげること、からと結論できます。少数精鋭で、先ず、卒業生の「質」を上げて「対外的に評価されるような卒業生を輩出する」ことが肝要なのです。

今、苦労している大学は、殆どすべてが逆の戦略。少子高齢化のため、と愚痴るのではなく、自分たちの「戦略が間違ている」ことに、早く気付いてほしいものです。

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文科省の新しい大学評価の指標は意味が無い鴨(ランキングを考える)

文科省が、新しい大学評価の方向性を発表しました(コチラ など参照)。

これによると、「学生がどれだけ伸びたか」を指標とする(定量化する)ことで、脱偏差値、新しい大学評価基準としたい、ということが主旨です。

でも。

これまで無風凧の「ランキングについて考える」を読んでいる方にはお分かりだと思いますが、、、、

新しい評価軸が出来れば、その評価軸の弊害があります。

1) 評価軸が1つだけになる。

2)その評価軸で評価されるように大学は学生を評定する。

すくなくとも、脊髄反射でこの2つは絶対。

つまり。

指標=評価軸が変ることで、大学の見た目の序列は変わるかもしれません。でも、「大学での教育効果が向上する」「大学の教育が本当のいみでよくなる」ことは無いことは断言できます。

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