一種の適者生存競争

学校の9月はじまり、に関して、安倍首相が断念しました(こちら 参照)。安倍さんの求心力低下云々が叫ばれていますが、9月はじまりに関する無風凧の私見は こちら をご覧ください。

今日は、よく言われる「教育の遅れ」問題です。COVID-19で外出自粛、学校が休みでネット授業、など、教育課程(シラバス)に対して、随分遅れています。いま、教育界も学校も親も生徒・学生も、遅れてしまうことを懸念・問題視しています。普段、休講になると喜ぶことが多い学生も、世の風潮に乗ってか、勉強したい熱、に浮かされているようです。

そして。大学では(無風凧は、小中高を調べていないので確かな事が言えない)遠隔地教育、つまり、e-Learning全盛です。猫も杓子もネット学習。マスゴミなどでは、ネット教育の成功は針小棒大に、マイナスな点は、控えめに報道しています。実際は、電波状態一つとっても、満足な状態とは言い切れないことが多いようです(NIIのシンポジウムより)。加えて、「ZOOM疲れ」という言葉が指し示すように、遠隔地教育ならではの「疲労」があります、、、無風凧も最近、ZOOMとTeamsに疲れているのですが、この疲れは、今までの研究生活・社会人生活の中で経験した疲れ方とは異質です。無風凧の場合、これまでの疲れは、睡眠と運動で大体コントロールできていたのですが、ZOOM疲れは異様食欲に転嫁されつつあり、、、大いなる問題です!

閑話休題。

学生(大学に限ります)たちは、本当に「勉強したい」のでしょうか?それとも、大学卒業の資格、が欲しいのでしょうか?ここでいう勉強は、学問的な勉強を指しています、というのも、現在問題になっている「課程の遅れ」は「学問伝授」の場合の話だからです。

本当に勉強したいなら、今は、チャンスです。適者生存の競争時期です。もちろん、大学の講義も必要でしょう、、、でも、往復の通学時間は不要です。友達とのコミュニケーション・タイムも学生時代に必要なことでしょうけど、それも過度には不要。その上、教材は至る所で入手可能です。日本国内、アマゾンで注文して入手できない本はほぼ皆無です。4,5月の二か月間、ふだんよりも専門書4冊くらい沢山読めているのではないでしょうか?友人たちが、大学の方針に不平を述べている時間に、他人よりも4冊沢山読める、、、これって、すごいことです。読む本のレベルにもよりますが。この時期は適者生存の競争をしている時期だ、と言えると思うのです。

今からでも遅くないので、今は競争の時期だ、と思って勉強してみてください。バイト代が入らない分、家にいて支出が減る、と思えばなんとかなります。国も色々な補助金を用意しています(こちら など参照)。今こそ勉強の時期、適者生存の時期です。頑張って勉強しましょう!!

追伸: かく言う無風凧は、専門書は2冊、新書文庫や一般的な単行本は6冊くらい読みました。

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大学は変わらなくてはならない。

今回のCOVID-19騒ぎで、大学も色々と変わらなくてはならないことが見えてきたように思います、、、、特に、大学の存在意義について。今日は、最近のバズワードを拾いながら、無風凧のオピニオンを示したいと思います。

まず。

一番盛り上がっていたのは、遠隔講義・遠隔授業ではないでしょうか?企業のテレワークと同様に、学生の講義もテレ講義というわけです。ここで恣意的しておきたいことは、文科省は当初「対面授業型」にかなりこだわっていたということです。つまり、双方向通信でリアルタイム会話ができるような講義形態です。

Active Learning大流行のこのご時世、何を主張したいのかな、、、はっきりとはわかりませんでした。大教室での講義が時代遅れになりつつあることはわかります。無風凧も2012年から反転授業を実践していましたから。でも、反転授業やActive Learningが、「対面授業型でないと実践できない」というのは、工夫が足りません。これにこだわった挙句に、四角四面にZoomやTeamsでで講義することで、特に講師の方も全くなれていないラジオのパーソナリティー型で進めることで、どれだけ教育の質が落ちたのでしょうか?文科省の一瞬の判断ミスで、随分無駄というか学生に不利益を与えたのではないか、と思っています。

大学も文科省も、学生への講義の在り方については駆らわなくてはならない、と感じます。

もう一つ。

大学の教員から、テレワークでは研究が進まない、という声があまり聞かれなかったことに、少し驚いています。無風凧が、理論系の研究畑にいるからでしょうか、普段から「大人数でつるむ」ようなことはあまりありません。もともと、メールやチャット、電話で大半が済んでいて、あとはひたすらワープロとの格闘(つまり論文書き)。だからでしょうね。COVID-19環境下では、講義が負担だという先生は多く研究時間が取れない、という声は多かったのですが、自粛だから研究ができない、というタイプのオブジェクションは聞かれませんでした。ただ、実験系の先生方は、もっと声を上げてよいと思います。今期の業績評価にひびきますから。

次に、盛り上がったのは学費返還の問題でしょう。

顧客(学生とその親)は、知を授けてもらう(講義)対価として学費を納めている建前です。その講義が無かったのだから、学費返還を申し出るのは、消費者行動としては理解できます。
学校側としては、施設維持費などの固定費がかかります。大学は、教育だけではなく研究もあります。多くの大学は、それらを含めた年間の必要経費を、人頭月割りしたのが学費として算出されていますから、講義がなくても学費は必要です。

これらの事実から、(少し上から目線で書いていることはお許し頂きたいのですが)、大学が「サービス産業化」しているのだなあ、、、と寂しくなります。学府という言葉からかけ離れた存在になっています。この意味において、つまり、大学は教育機関にとっかするのか研究機関であることを続けるのか、を決めるところから、大学は変わらなくてはならない。そして、顧客(学生と親)に対して、学費の意味を理解してもらう必要があります。

COVID-19で、いくつかの大学の問題点がはっきりしました。結論は、大学は変わらなくてはならない、です。

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4月か9月か。(学期を考える)

COVID-19の影響で、休校が続いています。これは、義務教育である小中から大学まで、全て、です。

そこでここ数日、「これを機会に、海外で用いられている9月始まりにしてはどうか」という声が聞こえています。今日はその是非を考えてみたいと思います。

第一に考えなくてはならないことは。

「コロナがなくても9月にすべきかどうか」

だと主張します。今回のコロナウイルス禍の「辻褄合わせ」のために9月にするというのであれば、それは将来、反動があります。絶対に9月始まりにすべきではありません。

これは、4月から9月への切り替えコストは考えずに、定着した後の良し悪しで決めなくてはならない、ということです。

このように考えれば、「本質問題として」議論をしていない今年、いきなり9月に切り替えることは、拙速になるということを指しています。

つまり、「今、COVID-19感染拡大対策で慌ただしい中、議論をする優先順位は低い」と言い換えて良い。

以上のように思索して、「2020年に学期始まりを9月にすることはあり得ない」と、無風凧は主張します。

 

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大学は何のためにあるのか?

無風凧の大好きな箱根駅伝。今年は、強い青山学院大学が戻ってきて、復活優勝しました。青学関係者の皆様、おめでとうございます。

青学のトレーニングの風景などは、四連覇の時にマスゴミなどで報道されました。若干の脚色があるだろうとは思うものの、青学の強さの秘密は徹底した科学的トレー二ング(Physical、Mental、Eqipment全てに)に立脚したものである、と言えましょう。もちろん、今年の好成績に「厚底シューズ」の影響も無視することはできないでしょうが、それも含めて徹底した科学の裏付けがなされているようです。

さて。ここからが今日の主張です。(コチラ も参照してください)。

無風凧の出身大学もそうでしたが、いわゆる「体育会系」な学生がいます。彼ら彼女らは、「学業よりも体育会活動」が優先されることがおうおうにして許されています。例えば、対外試合の場合に認められる「公欠」なども一つの例ですね。

このような学生は、、、大学の建学の精神や、アドミッションポリシー、それより何より、教育基本法の大学の本分・目的を逸脱しています。

そこで改めて、問いたくなります。「大学は何のためにあるのか?」

大学は、体育会系の学生にとっては「体育系の活動」の場を提供してくれる存在以外の何物でもありません(卒業証書、という肩書きもあるかもしれませんが)。少し乱暴な言い方ですが、大学の本分で無い以上、「選手個人の趣味」ということができます。彼らが趣味を謳歌するために、、、私たちの税金が使われています。少なくとも、「補助金」という形で大学に配布され、その幾許かは体育会系活動の活動資金となっています。このように考えると、もう一度考えたくなりませんか?

「大学は何のためにあるのか?」

教育基本法が変わり、新しい教育機関として「専門職大学」「専門職短期大学」というものができました。これを機会に、サイド「大学は何のためにあるのか」を本気で論じる時期に来ていると無風凧は考えます。

# 無風凧的には、大学が多過ぎる、と思っています。職業訓練校や専門学校が一条校大学を名乗っているので、本来の「大学」との区別が必要だと、と言い換えても良いかもしれません。

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大学教員は変わらねば。

昨日、とある忘年会での話題から。

ある大学の講師の話です。

一年生必修(約500人)の情報工学で、この科目は講義と演習で成り立っている。講義は全員を集めて大御所教授がおこない、演習は50人くらいづつに別れて講師や助教が行う。無風凧の友人は演習担当だそうです。

ここからが驚きの話ですが、、、使っているテキストは30年近く前に出版されたもの。無風凧も学生の頃に読んだ記憶があるものです。当然ですが、内容は古い。歴史の勉強ならいざ知らず、現在、既に忘れ去られたデバイスやメディアの説明が延々と続くのでそうです。

友人は自嘲気味に、「Fラン大学はこんなもの」とのことですが、明らかに不満を語っています。

もちろん、大御所教授も変わらなくてはならないと思いますが、友人の講師も変わらねばならない、と強く思います。

大学の制度自体の是非もさることながら、大学教員は、常に変わらねばなりません。これは、自戒も込めて、です。


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d3892 イクラ? (付: 大学定員)

20181218 このイクラ、イクラ?

写真出典 フリー素材屋Hoshino
特に意味はないのですが、このハマチはハウマッチ?なんてのもあります。え?鰆には触らないで?今日は泥鰌をどうじょ。

さて。

医学部の不正入試事件で、新たな問題が起きています。各大学が追加合格を出すために、今年の正規入試の「定員が減る」という問題です(コチラ 参照)。

不正入試で「不合格」になった学生も被害者ですが、今年の受験生も被害者です。なぜこのような問題が生じるのか、というと、簡単に言えば各大学には、「総定員」があり、総定員を大幅に超えると補助金を貰えないことをはじめとして、教室が足りなくなる、教員が足りなくなる、、、などの問題が生じるからです。つまり、総定員は絶対。昨年までの不正の方を合格させることは、今年の定員分から「減らす」事を意味しています。

更には。

来年は「総定員ギリギリ」まで学生数が増えることになるでしょう、、、、とすれば、教員一人当たりの学生数が増えれば、その学生に掛ける時間は減ることになります。つまり、学生全員が被害者になります。。。

更に、更には。

そのような「質の下がった医師」に診療してもらう患者は、、、被害者ですね。

さて、このような問題はどのようにして解決していけばよいのでしょうか?そう、このブログを読んでいる方には簡単ですね。「入学定員制」ではなく、「卒業定員制」にすればよいわけです。なぜこんな簡単な事が実現できないのでしょうね?理解に苦しみます。

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[3759日目] 東京医大の加点問題

文科省役人子息の裏口入学に端を発した東京医科大学の入試操作問題。新たな展開を呈してきました。それは、入試における女性減点、浪人生減点、、、などなど(例えばコチラ 参照)。

不正は良くない事、だと思います。だから、ここから先は、「違う星の入試システム」の話だと思って読んでください。

問題1:
その星Aでは、医者が100人必要です。男性は一人平均30年。女性は一人平均10年、医師として働きます。医者を一人養成するのに必要な費用は、1000万円だとします。では、男性と女性の医師の比率は、養成費用の問題だけを考えるとしたら、何人づつが最適でしょうか?
答:
全部男性。

問題2:
その星Bでは、医者が100人必要です。男性は一人平均30年。女性は一人平均10年、医師として働きます。男性は医大の卒業確率が50%、女性は100%医者になるとします。簡単のために、卒業できてもできなくても、一人頭の費用は、1000万円だとします。では、男性と女性の医大入学の比率は、養成費用の問題だけを考えるとしたら、何人づつが最適でしょうか?
答:
全部男性。

経済効率から考えれば、星Aも星Bでも、医師は100%男性である、、、ということになります。この結果は、平均就業年限を30年と10年という極端にしたことによるものですが、これを変更すれば、いくつかのパタンが出てきます。

このように考えると、「医師養成機関」としての医大は、卒業した「医師の能力」=「世の中のNeeds」によって、入学者の男女比率を変えざるを得ないことが判ります。

決して、不正を是とせよ、と言っているのではありません。でも、世の中のNeedsに従った「医師養成機関」としての医大の立場も、まったく理解できないものではないな、と思います。

この話は、一般的な企業でも起き得ます。入社して10年目。それまでは、新人研修にはじまりある意味「お客様」だった従業員が、やっと「戦力」になる、、、その時に、結婚・出産・子育てで長期離職。。。すべてが経済効率だけで決まるわけではありませんが、企業経営者としては、泣きたくなる気持ちもわかります。勿論、その分沢山従業員を確保しておけばよいのですが、それには費用が掛かりますし、費用を調達するために商品の値上げをすれば、お客様は買わなくなり、、、、結局破産してしまえば、元も子もありません。

何が正しいのか、今一度よく、考えてみたいと思います。

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[3727日目] パワー全開!(付:東京医科大学裏口入学事件)

20180706 けんたくん:
無風凧さん、朝のトレーニング、もっとハードにしたらどうだい?

写真出典 自前のα350
この元気良い しばわんこ は、けんたくん、と言います。秋田犬ではないか、と思うほど、立派な体格で、肩の辺りの筋肉は「むきむき」です! きっと、ボディービルに通っているのでしょう。。。

さて。文部科学省の佐野太容疑者が逮捕されました。容疑は受託収賄罪。息子を「裏口入学」させたという疑いです。(コチラ など参照)。

不正をすることは、「悪い事」です。これに関しては、一点の揺るぎもありません。でも、「不正を無くす」手段を考えることは必要です。裏口入学に関しては、とても簡単に不正を無くすことができます。しかも、大学の「レベルアップ」にもつながります。

それは、入学定員制から、卒業定員制に移行する事。要は、全員入学させてしまって、定期試験の度に、一定数落第させていく、という方法。(基本的な考え方は コチラ や、 コチラ もご覧ください。)

全員入学させるのだから、「裏口入学」ということが無くなります。

そうすると、定期試験や卒業試験で「不正が起こる」ということになることを心配する方がいるかもしれませんが、、、、そこは、次の手段。

成績の完全公開をします。試験の点数やレポート点など、全て公開。個人情報だからやめてほしい。。。という声も聞こえてきそうですが、もともと大学などというところは競争社会。単位認定過程を見せることも一つの手段です。結果、「あいつより俺がなぜ低い?」「私の方ができるのに、、、」ということで、あからさまな不正を行えないように序列の自浄作用が働きます。

卒業定員は決まっていますから、合否線上の一点を争う事態となり、学生たちの「勉学」に対する姿勢も向上します。

如何でしょうか?裏口入学の無い世の中を目指して、「卒業定員制」に移行してみたくなりませんか?

# 実際は、当落線上に少し幅を持たせる必要はあると思います。というのは、レポートや記述式の試験の場合、採点官の「採点ユレ」があるから。

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[3718日目] 高校も変わらなくてはならない!?

九州の高校バスケットボール大会で、コンゴ人留学生選手が審判を殴打する、という事件が起きました(コチラ 参照)。

勿論、暴力はいけません。暴力はいけない事ですが、、、第二次世界大戦前に、日本が開戦するようになった経緯のように、後々の歴史研究からやむに已まれぬ開戦だった、と言われています。窮鼠猫を噛むと言いますが、完全に追い詰めてしまうと反発がありますから、少しは逃げ道を用意しておくのも戦略です。盗人にも五分の魂、という言い方がこの暴力事件に適してないとは思いますが、コンゴ人選手にも、言い分はあるでしょう。

この事件。マスゴミ報道をまとめてみると、「やむに已まれぬ」があるように思います。

反則判定が、厳しかった、、、これは、コンゴでは反則でなくても日本では反則取られることがあったのかもしれませんし、身体が大きいから倒れずにすんで相手にぶつかったように見えることも有ったのかもしれません。

しかし、それ以上に問題は、、、スポーツ留学、という制度のような気がします。日本でも、高校野球の国内留学が問題視されたことがありましたが、スポーツは高校の広告塔としての価値を持っています。それを追及することは、高校の本分をから外れていくことのように思うのです。。。その意味では、大学のみでなく、高校も変わらなくてはならないのではないでしょうか?

最後に、教育基本法から、高校に相当する41条42条を抜粋します。

学校教育法第41条

 高等学校は,中学校における教育の基礎の上に,心身の発達に応じて,高等普通教育及び専門教育を施すことを目的とする。

同法第42条

 高等学校における教育については,前条の目的を実現するために,左の各号に掲げる目標の達成に努めなければならない。

一 中学校における教育の成果をさらに発展拡充させて,国家及び社会の有為な形成者として必要な資質を養うこと。

二 社会において果さなければならない使命の自覚に基き,個性に応じて将来の進路を決定させ,一般的な教養を高め,専門的な技能に習熱させること。

三 社会について,広く深い理解と健全な批判力を養い,個性の確立に努めること。

 高等学校の教育課程は,この目的の実現と目標の達成とを目ざし,中学校教育の基礎の上に,この段階における完成教育を施すという立場を基本とするものてある。

 このため,高等学校の教育課程は,進んだ程度の一般教養をすべての生徒に共通に得させるようにするとともに,課程の別により,さまざまな変化と弾力性をもつようにして,生徒の個性や進路に応じ,それぞれに分化した学習をさせるように配慮して,編成され展開されなければならない。

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早稲田の政経入試で数学必須

昨日(コチラ 参照)に続いて、大学入試ネタをもう一つ。

早稲田大学の政経学部入試で、2020年度入試から数学が必須になるとのことです(コチラ 参照)。

早稲田の政経、と言えばかつては(今でも?)私大最難関の一つ。そして、科目数がすくなくて、特に数学受験が必須で無い事が特徴でした。とは言え理科系の文転の際は、英語と数学だけで受験出来て重宝でしたので、「経済勉強するのに数学受験無しでも良いの?と思っていました。

経済学部で数学の受験が無い、、、無風凧はかつて、某有名私立大学の経済学部の教壇に立った際、Σ 記号を書いて、「先生、それなんですか?」と言われたことがあります。その大学の経済学部は、数学無しで受験できるのでした。Σは、、、エクセルの関数でいえば SUM(A,B)で表すことが出来るものですが、、、、総和 という意味。だから、

 Σ (従業員の給料)

と書けば、企業における従業員の給料総額、を表すわけですが、この意味が通じない。これなどはまだ、言葉で言い換えればよいのですが、

100万円を年利3%で10年預けたら、10年後は幾らになっているか?

という問題すら、筆算で解くことが出来ないという悲惨な状況。ググって、福利計算のサイト見付けて100、3、10と入れれば、できるかもしれませんが、、、

早稲田大学でも、きっと同じようなことが起きていて学内で問題視されたのではないでしょうか。2020年入試から、数学が必修になります。

無風凧が理科系出身だから、というわけではありませんが、基本的な数学は、大学の一般教養だと断言します。そんな意味で、早稲田の政経は、ちょっとだけ「変わろうとしている」と感じました。

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