盛山さん、名案ありますよ!
新文部科学大臣の盛山さんが、教員不足解消の名案がない、と言ってますね(コチラ 参照)。
不詳無風凧、名案(と自分でいうのはおこがましいですが)持っています。
・教員不足解消
・日本全体の学力をあげる
・教育予算も下がる
・GDPも上がる
・(役人の天下り先も増やせるかもしれない?(笑))
如何でしょう?無風凧に連絡してみませんか? 数字はまだ作っていませんが、ビジネスモデルとしては出来上がっています。
新文部科学大臣の盛山さんが、教員不足解消の名案がない、と言ってますね(コチラ 参照)。
不詳無風凧、名案(と自分でいうのはおこがましいですが)持っています。
・教員不足解消
・日本全体の学力をあげる
・教育予算も下がる
・GDPも上がる
・(役人の天下り先も増やせるかもしれない?(笑))
如何でしょう?無風凧に連絡してみませんか? 数字はまだ作っていませんが、ビジネスモデルとしては出来上がっています。
先日、2024年に大学が4つ増えるという記事を書きましたが(コチラ参照)、文科省が、更に面白い提案(?)をしています。定員未達の大学の「マッチング」システム(コチラ など参照)。つまり、統廃合をするわけです。
学生全体を見た場合、定員充足率は99.59%。つまり、必ず「不足」の学校はあるわけです。都会のマンモス校では、若干の過剰入学がありますから、それらを考えると地方は随分惨憺たる充足率ということになります。
それらを中心に、「マッチング(統合・併合)」していこうという考えのようです。
今後、しばらくは人口縮小していくトレンド。大学希望者だけは増えてきましたが、それももう頭打ちで、減少基調になります。であれば、大学を統合することで延命させよう、というのが文科省の腹(考え)でしょうか。
はっきり言います。これは失敗します。一般企業の場合、不足する経営資源を提供しあうことで復活する例が「無いとは言いません」。それを夢想してのマッチングとすれば、随分考察が足りない。
今の大学生は、勉強のために大学に行くのではなくて、サークル(友達)とモラトリアムで大学に行きます。だから、ブランド価値が無い大学が100校揃っても、彼らの食指は動きません。結局、地方の大学の集客は失敗します。
それをするくらいなら、選択と集中、をする方が、ビジネス的にも理に適っています。大学を縮小する。学部や学科よりも、もっとピンポイントに専門性を絞る。そこで過剰な教育投資をして、優秀な学生を輩出し、ブランディングする。
ただし、、、、専門性を決める前に、「教養=リベラルアーツ」を2年間。その後に専門課程に入る。勿論、飛び級ありです。
これをすると、官僚の天下り先がなくなります。少なくとも、無風凧の知っている範囲で、天下りで一線級で戦える教員は数えるほど。だから、こういう「選択と集中作成」政策はできないでしょうね。
でも、大阪の吉村知事なら賛同してくれるかも。吉村さん、無風凧と一緒に実現しませんか?
8月30日に大学設置審の答申があり、新設大学が4つ、決定しました。また、継続審議(11月決定)の大学・学部が8案件あるそうです(コチラ など参照)。
大学ができることで町おこしができる、という前例もありますから、一概に否定するものではない、と無風凧も思います。しかし、大学の定員不足の現実に鑑みると、「また増やすのか?」と疑問を持たざるを得ません。たとえば、先日の産経新聞によると、入学定員割れの私立大学が53.3%です。(入学定員でみれば、99.59%ですが、マンモス大学が若干だけ定員オーバーした結果です)。(コチラ 参照)。
LGBTQをはじめとして、多様性の時代。大学に行かない、という選択肢をもっているひともいてよいはず。「親が行けというから」が本音の大学生も多いし、「友人を作るために」「就職に有利だから」という理由の学生も多い。学校教育法で定める大学の存在意義を理解したアドミッションポリシーなら、いうれも「入学不可」になるような学生。Fランになると、卒業率も低いと聞いています(つまり、途中で退学してしまう)。先日の「平均が理解できていない大学生(コチラ 参照)」が、大卒を名乗るかと思うと、背筋が寒くなりませんか?。
小中校の教員がブラック職場というのは、いまや常識の一つでしょう。でも、大学も、底辺大学になると「ブラックになること」はあまり変わりません。高校時代よりも「我がままな学生」が増える分、苦労もふえる、、、という場合もある。
難しいことですが、教育の在り方の「根本」を作り直す時期です。脱亜入欧で「追いかけていた」時代に作った学校教育法に縛られていては、今後の日本は「負け犬(PPMの表現)」に成り下がります。人口もビジネス規模も縮小していく日本だからこそ、生活レベルを上げるための技術、政治、文化、そしてそのための教育を設計してほしいものです。
というより。
無風凧は素案を持っています。これは、先日の「出井伸之の宿題(コチラ 参照)」の派生です。
# よくよく考えれば、入学定員レベルで100%を切っているのだから、その事実一つとってみても、新設校の意義は無いように思います。
この問題(タイトルの問題)、皆さんは解答できますか?
(7÷4) ×48 = 84
が正解(だと思います)。
「だと思います」と書いたのは、皆さんが考える時に、
(48÷4) × 7=84
とする場合もあるだろうと思うからです。無風凧が先生なら後者でも〇ですが、小学生の場合は × になるかもしれません。ということで「だと思います」。
この問題。日本全国の小学6年生(と言っても4月に試験がありましたから、5年生終了時という方が良いかもしれません)の正答率は55.5%。このブログの読者の皆様が高い正答率だと思うか否かはわかりませんが、島根県の丸山知事がかみついた(コチラ など参照)。曰く、
「正答率が低い。義務教育の態を成していないのではないか(この文章は、無風凧の意訳)」
これに関連して、無風凧の友人の大学教授の話。
「6人の子供がいます。3人はお小遣いが月に600円。2人は、300円。1人は1200円です。平均のお小遣いは一人幾らですか?」
という問いを大学2年生(文理融合のクラス)にしたとこころ、700円という答えが半分を超えていたらしい。皆様はお気が付きのように、この答えは間違い。正解は600円ですね。
700円と答えた学生は、
(600+300+1200)÷3=700
としていたそうです。正解は、
(600×3 + 300 ×2 +1200 ×1) ÷ 6 = 600
です。ちなみにこの問題は小学校3年生で履修・習得しているレベルです。
かつて。分数の足し算ができない経済学部の大学生、というのがバズり、大学教育の質がが下がった、と言われていました。今はもっと酷くなっているようです。、、、しかし。
丸山知事の言を借りると、「すでに義務教育が崩壊している」。確かに日本の教育システム自体がその役割を果たしていないようです。
さすがに、あきれて口が塞がりません。日大の大麻事件に対する学長コメントを見て下さい(出典はコチラ)。曰く、
「今後、競技部組織の在り方をしっかりと検証し、改善すべき点は改善する必要がある」。
記事を読んだだけの脊髄反射ですが、学長コメントとして上記コメントを時事通信選んだ時点で、不見識が明らかです(記事は時事通信から発信されている)。
競技組織部だけの問題ですか?
ガバナンスの問題、教職員の問題、色々な課題があります。前回のタックル事件以降、「日大のほかの理事たちはその改善の検証をしてこなかったのですか?」この問いに、一人でも「やってきました」と答えることができるのなら、今回の大麻事件は起きなかったはずです。
つまり、競技部だけの問題ではない。林理事長だけの問題でもない。まあ、理事長の方が学長よりは「責任は重い」と思う日大関係者も多いでしょうが、そのように考えて至る時点で「現代組織論的にはあり得ない組織」と言わざるを得ません。(決して、林さんを擁護しているわけではない)。
更には。「改善すべき点は改善する必要がある」は、当たり前のこと。学長コメントして、この程度の事しか書けないようなプレゼンテーションしかできていなかった、と見えます。最初の報道から何日経っていますか?2週間の「隠ぺい時間」を考えると、「こういう改善をしました」というだけの「改善」ができますよ!
という訳で。
日大はこのまま変わらないのだろうなあ、、、と思っている無風凧でした。
色々な意味で大学は買わなくてはならない、と思っていますが、、、、
最近読んだこの記事は、その極みです(コチラ 参照)。
上記記事によると、「日大アメフト部を廃部にしたら、スポーツ推薦などのアメフト部員が路頭に迷う」だそうです。
皆さん、おかしいと思いませんか?学校教育法83号を下記に示します。
第83条
大学は、学術の中心として、広く知識を授けるとともに、深く専門の学芸を教授研究し、知的、道徳的及び応用的能力を展開させることを目的とする。
2 大学は、その目的を実現するための教育研究を行い、その成果を広く社会に提供することにより、社会の発展に寄与するものとする。
大学は学術の中心です。スポーツの中心ではありません。勿論、スポーツも一つの学術研究の対象になります。しかし、ほとんどすべての大学における「体育会」のクラブ活動は「学術対象」としてはいません。なので、大学本来の存在目的に鑑みると、スポーツ推薦をはじめとする制度は「変わらなくてはならない」ことは、論を待ちません。
実際、分数の足し算はおろか義務教育の英語が半分できなくても大学生、という輩が増えていると聞きます。学術の中心にいる人、とは思えない。
六大学野球、箱根駅伝、、、スポーツを楽しむことを従にして学術研究を主にする人のイベントとして、長く続いてほしい。大学の広告塔ではありません。
そのように大学は変わっていかなくてはならない、と考えます。
現役の高校三年生は、そろそろ志望校を決めなきゃ、という時期でしょうか。昨今は、AO入試など入試方法も多様化したので、無風凧の頃よりは早まっているのかな、と思います。
そんな高校三年生に、今一度考えてほしい。大学は何のために行くのかな?
就職予備校というか、卒業証書が欲しい為だけ、に行くというのなから、自分の人生をもう一度考え直してみませんか?
教育基本法を持ちだすまでもなく、大学は「高度な教育と研究」です。その教育を受ける意思を持っていますか? ここでいう「高度」という言葉の意味を考えたこと、ありますか?
急にこんなことを書いているのは、本棚の片隅に「代数系の基礎(サイエンス社、寺田文行)」に見つけたので。この本は、前書きに「高校数学との接続を意識して」「数学を専門としない、工学系・情報系の人を対象」と書かれているモノ。無風凧が物性シミュレータを作成していたころに、仲間同士の勉強会用に使用したものです。
購入当時は、時間も欠けられないことやメンバーの実力を考えて比較的易しめ、として購入しました。つまり「高度な教科書ではない」と思っていた。しかし、昨今、本屋で並んでいるものをみると、昔からの定番ものを除くと随分レベルが下がっている。大学生向け、ということになっているけど、高校生むけではないか、と思うものも多い。これでは、「高度な教育って何?」と無風凧が考えたくなるのも、皆さんには理解していただけるでしょう。
大学進学率が上がるということは、平均としてのレベルが下がることは、数学的には真実。これを止めることはできません。だから、みなさんが「高度な教育」を受けることをめざしているのであれば、当然の帰結として無風凧は受け入れることができます。皆さんが大学教育をうけることで全体のレベルが上がる。
でも。分数の足し算ができないレベルの学生が、本当に「高度な教育」を受ける意思があるのか、、、大学は高校の復習をするところではないし、まして、就職用の訓練をするところでもないのだから、、、
加えて言うと、大学のアドミッションポリシーと入学基準も、一度見直すべき時期に来ていることは間違いない。
そんなことを思いながら、寺田先生の本を通読しました。
#追伸: 寺田先生の本は、初学者の学習(独習)には向いていません。一度学修した人が内容を復習する、もしくはゼミで説明してくれる人がいることがおススメです。
最近の若い学生は! と言う齢に無風凧も差し掛かったようです。
随分学生の気質が変ったように思います。今日は、その一例(半分愚痴?)です。
最近の学生は。
検索能力が長けているなあ、と思うことがあります。課題設定ではなく、「的確な質問」にすれば、もしかしたら昔の学生よりも早く的確な回答をすることができます。
反面。目的に対して自分で工夫をする、というタイプの課題にはすこぶる弱い。ゴールの評価軸から決めなくてはならないような課題は特に壊滅。特に、「こういう形で回答せよ」という回答例やテンプレートを渡すと、その内容しか書いてこない。つまり、「目標」を共有せずに「タスクだけ」を行う。だから、「自分が提出した過去のレポートを改善せよ」というタイプの課題は、どこから手を付けたらよいか、すら分かっていない学生が多い。
これは、Z世代(スマホ Native)だからでしょうか。それとも、COVID-19による在宅講義などで培われた能力(?)でしょうか?かつて。共通一次世代は選択しかできない、とか、その後の世代は「マニュアル世代」とか言われていました。今の学生は、どう呼ばれるようになるのでしょうか?
明治維新以降。
日本は脱亜入欧を目指し、「西欧に追いつけ追い越せ」の一大キャンペーンを張って、国民の学問レベルを上げようとしてきました。福沢諭吉先生の「学問のすすめ」も、そのキャンペーンの一環という見方ができます。お陰で、今から約100年前には、当時義務教育で会った尋常小学校への就学率は90%を超えるようになってきました。日本は国力をあげて、日清日ロ、第一次世界大戦と日本は国力(戦力というよりは、生産力や国民の幸せ度という方が適している。GDPという指標だけにすると少し語弊がある)を挙げていくことができました。
唯一の被爆国となり敗戦国となった第二次世界大戦。その後も、日本は教育を国策の一つとして学校制度を整備し、高度成長時代経て、GDPでは世界第二位の国までに発展しました。国民の識字率が上がる(もしくは文盲率が下がる)ことで国力があがるというのは、事実だったのでしょう。
そのような記憶があるからでしょうか。GDPが中国に抜かれ、数年後に5位まで転落するという予測が立つようになった現在も、教育を広めることに余念がありません。教育の無償化や、IT人材育成、そして最近はリカレント教育が叫ばれるようになってきました。リカレント教育という横文字を使うとなんだか新しいことのように思いますが、要は「時代に追いつくように勉強しなさい」というだけの事。昔でいえば「生涯学習」と言っているのと同じようなものです。
しかし。見落としがちではありますが、大学進学率が25%を超えたあたりで日本の国力は頭打ちになりました。1990年の頃です。このころは短大(主に女子短)にも人気がありましが、その進学率も10%程度でした。併せても40%には届かない時点で、国力は頭打ち。でも、その後も「大学進学率」は上昇の一途をたどり、いまや50%を超えているのです。
これは、何を意味しているのでしょうか?
無風凧は、日本の国力ダウンに対して、仮説を4つ、立てています。その中の一つが教育の問題。
進学と習得に乖離があるのではないか。
すなわち、大学に通っても、「勉強しなければ」単なる肩書にすぎません。本人の実力を「大学卒業証書」で膨らませて見せているだけで、結果として「思っていたほどの成果に繋がらない」。
実際の大学教育現場は、レベルの低下、が大きな問題です。実際、定員割れしている大学も沢山あり、学生の売り手市場になっている環境下では、学生はお客様。就学意欲が無くてもモラトリアム期間を過ごすことができます。実際の統計に表すことはできませんが、個別事例なら枚挙にいとまがない、という感じでしょうか。モラトリアム期間ということは、大学の4年間、負の生産をしていると考えれば、国力が上がらないことはうなずけます。
このように考えると、大学教育の意味を再興する時期に来ているのだということに気が付きます。と同時に、人生100年時代の教育は、明治維新以降培ってきた教育制度とは異なるのではないか、という疑念もわいてきます。6334制、科目、その他、色々と一から見直さなくてはならないのではないでしょうか。
長くなってきたので、続きは改めて。
先日。BookOffで「集合と位相(斎藤毅著、東京大学出版会)」購入しました。なんと210円!
というのも。最近、「データサイエンスの為の大学初年次向けの数学」を物色しているというのが背景。この目的からは少し外れるだろう、といういことは、BookOffで見た瞬間から理解しているのですが、「数学原論」の斎藤先生の本だということもあり、購入。
以前、記事にもしましたが(コチラ 参照)、集合・位相の入門編としては、松坂本一択、だと思っていました。もちろん、松坂本のすばらしさは1mmも下がっていないのですが、斎藤本は、その上を行った、という感じです。この本が無風凧の学生時代に合ったらなあ、、、と思えるほど、素晴らしい教科書です。(レベルも、スタート地点はほぼ同じで、到達点は一歩先)。
何が素晴らしいか。「よりみち」というコーナーがあること。教科書として書かれている文章の合間に、「補足」として「よりみち」が書かれています。この補足の部分が、秀逸すぎます。例えば、論理学で用いる「⇒」と数学で用いる「⇒」では意味が違うこと、などを明示してくれています。また、同じ記法が二つの意味を持つ場合に「これは、文脈で判断するしかない」ということを明文化していることも好感が持てます。実際、初学者は「どちらの意味だろう?」となやむということを、無風凧も経験していますから。この「よりみち」は、テーマである「集合・位相」に直接関係ないことも書いてあるからこそ、このテキストの価値があります。
加えて。何を説明したいのか、いわゆる「PREP」に近い形で書かれている。数学の本は「定理と証明」とはよく言いますが、斎藤先生の本は、細かく目的が明示してあるので、判り易い。次に何をしたいから、今何をする、というのが全てではないにしろ判り易い構造になっています。
もう一つ。松坂本の比べるなら、言葉が現代風になっている点も、判り易さの一因でしょうし、内容も、集合論ではありますが圏論を意識している(圏論学習の際に接続性が良い)。
これなら、210円ではなく2800円+税で購入してもよかった、と思いました。
蛇足: いま、文科省はデータサイエンティストを増産しようと躍起になっています。いまさらエクセルが使えるように、ということではなく、生成AIやBigデータ解析のための人員を育てたい、ということでしょう。しかし、それに特化してしまうと「10年後には使えない小手先の技術」を覚えていることになります。ここは一歩ひいて、「考え方の基本」を学んで20年後30年後の足掛かりにする教育が必要です。その意味では、理科系の大学を卒業することは、斎藤本を理解していること、というレベル感が良いのではないかと思います。、、、は、ちょっと高望みしすぎですね。一応、東大数学科の2年生向けだそうです。(無風凧は1年生の教科書だと思って読みました)。
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