経営学部や経済学部があるのに経営赤字の大学

日本には、沢山の大学があります。ググったところ793校だそうです。

その中で、赤字の大学や、入学定員に満たない大学は、東洋経済等の記事によれば、半数を超えています。

その中には、無風凧も知っている(友人がいる)大学で、経済学部や経営学部(もしくはそれに準ずる学部)を持っています。

無風凧は思うのです。経済学部や経営学部があるのに、なぜ赤字になるの? 先生方の研究成果が実は正しくない、ということの証左ではないのか?と。

実際は。

不思議なことに教員はあくまで教員。学校の運営に携わることはありません。それは広報系についても同様で、広告論の教員が居ても、そのアイデアや実績が学校の広報活動に生かされることは、無風凧の知っている限りでは皆無です。2つ理由があります。

一つ目は、純粋に研究目的の教員の場合、調査や研究は得意だけど実務に落とせない。これは仕方がないかなあ、、、と思います。

もう一つは、経営陣が教員の研究結果や理論や結果・知識に疎い場合。つまり、教員は「教えるマシン」であればよいと思っていて、あくまで経営は自分たちの仕事だと縦割りにしている場合。さらには、教員からの意見に耳を貸さないという場合もあるようです。

後者って。

自分の学校の教員の実力を信じていない、ということ以外の何物でもないような気がします。ちょっと極論過ぎますか?

このように考えると。

経済学部・経営系学部があるのに赤字になっている大学は、ガバナンスに問題がある証拠と結論できます。

注: 経済学部でも、例えば組織論を専門にしていると、なかなか経営に結びついていかない、と思う方もいらっしゃると思いますが、あにはからんや。組織がきっちりできていれば、経営はうまく回るものです。これは無風凧の経験上の話。

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これは、あかんな。

先日。

とある友人の大学教授の話。

「就職面接用にガクチカは何がいいですか?」

と、問われたのだそうです。その教授は、

「大学生として、研究に邁進しましたというのはどう?」

と言ってみると、

「先生、それじゃ就職できませんよ、、、」

と言われてしまったのだそうで。

無風凧よりいくつも若い教授ですが、さすがに人間が出来ている。わらって聞き流したそうです。無風凧なら、「大学には何しに来るところ?」とか「指導」が入っていたでしょうね。

、、、

上記の会話は2つ問題点があります。

一つは、いわゆる「企業」は大学には何も期待していない事。

そして、学生は大学は就職のための予備期間と捉えている事。

もう学校教育法崩壊ですね。教育無償化は、こんな会話からも「無駄な税金の使い方だ」と無風凧は考えます。

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高度専門型インターンシップ

2025年卒採用から、インターンの形が変わります。

インターンはキャリア教育、大学は専門教育、と分けた点や、一日型のインターンをインターンとは言えないようにしたなど、制度変更としては「頑張ったな」という気がしていました。

特に、高度専門型インターンシップというキャリア形成は、学生の長い人生を考えると「良い仕組みだろう」と思っていたのですが。

実際はどうでしょうか。学生は、「インターンに行く」という天下の御旗を得て、学校に通わなくなる、ということが横行しているように感じます、というか、23年入社の学生も、就職先が決まると「インターン」という名前の「青田買い」で入社前教育を始めてしまいます。しかも、「アルバイト価格」ですから、起業にとっては笑いが止まらない、というところではないでしょうか?

無風凧は主張します。

教育基本法の精神を思い出してほしいな、ということを。高度な学術を得る為に、そしてその結果を流布するために大学教育は存在します。決して就職予備校ではありません。

無風凧の目で見ると、2025からのインターン制度の変更は、大学の「就職予備校化」を推進しているように見えます。

大学教員の皆さん、文部科学省の皆さん、それでよいのでしょうか?

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日大アメフト廃部問題

日大のアメフト部が廃部になる、ということで、ネット上ほかにぎわっています。

世論は、「廃部反対」の方が優勢なように感じます。その理由は「大麻に関係していない人の人生まで奪ってしまうのは可哀そう」。

無風凧は。

世論に反対するようで恐縮ですが、「廃部賛成」です。理由は以下の通り。

1) そもそも、大学の存在意義はなにか。教育基本法第7条「学術の中心として、高い教養と専門的能力を培うとともに、 深く真理を探究して新たな知見を創造し、これらの成果を広く社会に提供 することにより、社会の発展に寄与するものとする。」に鑑みた場合、アメフト部がその目的に合致しているものではない。日大のアメフト部は、心身を鍛錬する意味での適度なスポーツの域を脱している。

2) 連帯責任を問うことは最悪である。その意味では、連帯責任としての廃部には反対である。しかし、大麻・マリファナの使用や存在を知っていながら報告を行わなかった輩は、共同正犯に近い。少なくとも、犯人隠匿である。その人数は、報道等によると相当数になり、過半数もありうる。それらを退部させないことに、疑問を感じる。

3) その代わりに、(技術的に不可能であろうとはおもいながらも)本当に噂レベルでも知らなかった学生は、他校アメフト部への転校を無償で認める。企業の場合、倒産による転職は日常茶飯である。それと同様に考えれば、転校が妥当な処理であろう。

大学は、変わらなくてはなりません。本来の学術の中心である自覚が必要で、経営(入学者増)の為に、スポーツや就職実績を誇るのは本来の目的から脱しています。あくまで学術成果が、大学の看板です。大学が大学であり続けることが、科学立国に本を世界の一流国に再浮上させる最高の方法です。

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研究職と一言でいうけれど

研究職、という言葉があります。国立の研究機関の研究員は言うに及ばず、企業の研究所の従業員、大学の教員も本来は研究をしなくてはならない職、です。

でも。

学術的にキチンと分類されているか否かは浅学のため存じ上げませんが、その研究職が行う「研究」という言葉は、人によって定義が違うようです。

無風凧は、研究をまず大きく2つに分類しています。How型、Why型と名付けています。簡単に言えば、実現手段を研究するHow型、理由を研究するWhy型です。

大きくは2つですが、Why型は、さらに2つに分類されます。Why-Why型とWhy-How型。実現することができないから、その理由を研究するのがWhy-How型。真理を追究するための研究(真理があるか否かも研究課題かもしれません)がWhy-Why型。

いずれにしても、研究の根本的なスタイルは、「仮説・検証」であることは間違いありません。

世の中には、これらの定義から大きく離れた作業を「研究」と称する方も存在していて、それらを研究と呼ぶことに無風凧は抵抗があります。

1.新しいものを探すWhat型。

2.やってみなけりゃわからないからやってみるChallenge型(仮説も何を検証したいかもわからない)。これはWhat型の一部分かもしれません。

3.どうなっているかの観察をする「朝顔の観察日記型」。この方は、色々なケースを紹介して考察ではなく自分のコメントを述べるだけ、という論文を書いています。

などなど、色々な方がありますが、これらは、研究者じゃない。冒険者、もしくは観察者、そしてコメンテーターという方が適している。

さて。ここからが本題。

無風凧のいう研究についている研究職は、どの程度いるのでしょうか? 残念なことに、無風凧の回りには朝顔の観察日記型の発表をして「研究」と思っている方が多い。特に、新しい友人はそういう「なんちゃって研究職」が多い。日本の科学力が2流になっていることの証左だと思っています。加えて、無風凧の友人が劣化しているのかなあ、、、

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卒論

とある教授から聞いた話。

「最近は、卒業研究(卒論作成)も、ゼミに割り当てられている時間内で終わらせないと書けない学生がいる」

つまり、ゼミ時間以外では何もしない、ということですね。これは驚きです。

無風凧が学生の頃は、4年生になって研究室に配属になると、学校に行く=研究室に行く=研究する(雑談含む)でした。だから、となりの同級生の実験の手伝いをしたり、プログラムのバグ探しをしたり、、、理科系ならそんなもの。

教員になって経済学部の卒論生を指導していたころは、ゼミの時間は進捗確認と議論の時間でした。

上記の教授の場合は、週に2コマしかない時間で全部終わらせる、とのこと。これ、「卒業研究」できるのかなあ?

A4で40ページ程度(約4万字?)の卒論を書くには、先行研究の調査まで入れるとどの程度の時間が必要でしょうか?勿論、内容やレベルによって千差万別とは思いますが、学校で全部書けるとは、到底思えない。Chat君の出番でしょうか?((笑))。

大学は、卒論のレベルを保証する必要があると思いますが、上記の学生の論文、合格するのでしょうか?是非一度、見てみたいものです。

 

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科学力の復活を目指して!

「日本の研究は、もはや世界トップクラスではない」(科学誌『ネイチャー』のウェブ記事( コチラ 参照))の記事を見て、驚いた方も多いのではないでしょうか?

もう、10年以上、日本は世界とトップクラスではありません。何を指標にランキングするか、にもよるのでしょうけど、少なくともAcademicの世界では二流国です。

上記記事にも色々と理由が書いてあります。でも、無風凧は、まったく違う理由だと確信しています。

1) 学生間の学問に対する競争自体が無くなった。大学入学時点での学力が下がった。

2) 専門能力よりコミュニケーション能力を重視する国家になった

3) 起業が推奨され、事業ににならないと研究資金もない。

4) 本来研究予算になってしかるべきお金が、違う用途で使われている。

これらのあとにやっと「若手がやる気をなくす施策」が出てきます。

旧称AO方式をはじめとする、「推薦」まがいの入試を、一概に否定するものではありませんが、明らかに学力は落ちています。一芸入試や科目限定をすることで、「中学からのリメディアル」という場合も多い。(Aランク大学でも、その傾向がある)。

これら考えても、大学が「就職予備校化」していること、そして、学問的な業績はないがしろにされていること。学生は減っているのにFラン大学が増えていること、、、、証拠は枚挙に暇がありません。

この先、GIGA スクール構想で、一層加速するでしょう、、、、国際的な科学競争力の低下。悔しいですねえ、、、、

 

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最近、ひろゆき氏と同じ意見になることもあるなあ、、、

あの「ひろゆき」氏の持論が「ひろゆき氏 大学無償化に持論「Fランク大学に税金を払うことになるので良くない」」とのこと(コチラ 参照)。

最近、ひろゆき氏と「同調」できることがふえちて驚いています。彼も「大人」になったのでしょうか?(笑)

無風凧的には。無償化どころか「補助金」ですら、どう考えればよいのか、釈然としないものを感じていますから。

日本人のだれでもが、大学教育を受けたいと熱望しているか、という問いに「YES」と胸を張って答えられる人はいないでしょう。無風凧の廻りにも「早く起業したい」「学校よりもバイトが楽しい」、、、などなど、色々な意見があります。起業したい人には、4年間の授業料と同額の創業支援金を出す、という仕組みが論じられている例を、無風凧は知りません。

そもそも、大学入学しても、高校の基礎的な「学力を持っていない」学生は沢山います。この方々のリメディアル教育費は、高校の授業料から損失補填としても貰っても良いのではないか(かなり暴論)。さらには。大学=教育のみではなく、大学=研究の部分がある、のですが、それを忘れてい仕舞っている学生の何と多いことか!

そんなことを考えると、大学無償化に反対するひろゆき氏に、無風凧も賛同します。(というか、無風凧の持論の方が過激かもしれません)。

さらに言うなら。

学生支援機構(旧育英会)は、廃止すべきです。その代わり、自分の可能性をアピールして、「給費型の奨学金」を得る仕組みをつくってほしい。そうすることにより、大学卒業したときに「数百万の借金」を背負う学生は激減します。その借金を背負った学生は、、、、下手をすると、一生その借金に縛られるわけですが、、、、支援機構からお金を借りない方が、よい人生を歩むことができた可能性が高いわけですから。つまり、大学以外にも、道はある。

このように考えて。まずは大学無償化には反対です。

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教員不足問題解決法・・・発展版

先日このブログでアップした教員不足問題解決法、即ち「三方一両得(コチラ 参照)」を、少し推敲して発展させました。

今の教育現場、何が一番「無駄か」を考えてみました。

その一つは「リメディアル教育」に相当する同じことを何度も教えることではないでしょうか?なぜ、同じことを何度も教えることになるのか、というと、、、今の教育システムが、「入試(高校も大学も)」以外の部分で「履修主義」だからです。

つまり。よほど欠点を取らない限り、出席していれば進級できるシステム。理解しているかどうかは、二の次になっています。何度も同じ内容を教えることは、教員にとっては過重労働の源泉以外の何物でもありません。逆に、生徒・学生にとっては、結局理解できない内容で、無駄な時間を過ごしている、とも言えます。

加えて言えば、教室の中では、「吹きこぼれ」と呼ばれる学生もいます。つまり、授業・講義の内容をはるかに凌駕していて、飛び級しても問題ない学生。彼等彼女等も、履修主義だと、「教室に座ってなければならない」という意味で、「無駄な時間」を過ごしていることになります。

さらには。教室の中の学生のレベルが、クラス毎に均等化します。できる子とできない子が両方いると、教員は「この内容はこの子には難しすぎるし、この子には簡単すぎる」と思いながら講義をします。でも、最低ラインを決めることができるようになれば、少なくとも「難しすぎる」の心配をしなくても良いようになります。

これらすべて、履修主義=出席重視がもたらしている弊害・労働量増加です。

そこで。

中学以上大学までは、すべて「修得主義」にかえてしまう。つまり、内容を理解していれば進級。理解してなければ、何度も同じクラスを受けるという教育システムに変えてしまうわけです。

如何でしょうか?続きはまた改めて。

 

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人に教える

先日、余りに凄い「教室開業」の話を聞いて、驚いています。

その先生と呼ばれる方は、日本伝統音楽の初心者(初めて3年くらい?)。先日、ある流派の講師試験に合格したそうです。そして即教室を開きました。

実際、その方の演奏を存じ上げていますが、本人自身がまだまだ初心者。演奏することができる曲数も限られている。ピアノでいうなら、ブルクミュラーの25の練習曲集を弾けるようになったレベルが妥当でしょう。そのレベルの人に講師資格を出すことにも無風凧は疑問がありますが、いきなり教室開業は驚き以外の何物もない。「ベートーヴェンの熱情を教えます」という看板を上げたようなものです。

凄いなあ、、、無風凧にはできない芸当です。

最近、日本伝統音楽に限らず、資格の「安売り」が続いているように感じます。Fランク大学なんて、まさにその典型ですね。大学卒業の肩書。でも、Fランク大学にも教員は必要。絶対数を満たすために、低いレベルの教員が登壇する。だから、大学全体の教員のレベルも下がる、という悪循環。

褒めて伸ばすことは、ミクロに見れば必要なことかもしれません。でも、マクロに見たときには決して最適にはなっていないことに、皆さんはお気が付きでしょう。

ともあれ。

人に教える為の教師側のレベルの大切さ、を改めて考えてしまいました。無風凧はそのレベル、あるのかな、という自省も含めて。

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