春の統一地方選挙後半戦真っ只中です。立候補者の皆さま、頑張ってください。
先週結果が出た前半戦を見ていると、日本維新の会が頑張っている、という感じです。馬場代表が「維新の議員が600人にならなければ辞任する」と語った記憶がありますが、皆さん背水の陣、という感じでしょうか。(注:個人的には、Over Shootが起きるのではないか、と心配しています)
さて。先日「人口役割」の話をしましたが(コチラ 参照)、今日はその続きです。
限界集落という言葉は、皆さん聞いたことがあると思います。高齢化等が進み、「集落として維持する限界にきている」という意味で限界集落と呼ばれています。学術的には、その限界集落も幾つかの「分類」がなされているようです。まるで、生物の「レッドリスト」と同じです。
このままでは消滅してしまう危険性を問うているのが限界集落。しかし、限界集落と言われた時点で、ライフラインの維持確保、そして医療の問題などすでに「課題を抱えている」のが実情。それは、集落としての「密度」の問題と「人口役割」を見たせいていないことを意味しています。
これらをまとめると、「健康で文化的な生活」を「許容できる経済負担の範囲で維持する」ための要件を満たした都市計画をしなくてはならない、というのが、無風凧の言う「人口役割」の目標です。適切な例ではないかもしれませんが、はがき一枚配るのに、往復3時間の山道をスクーターで走る、ということが経済定期に許容できる範囲か否か、ということを考えてみて下さい。人口役割の意識を持つことの意味が分かってくるでしょう。
更に言い換えれば。市町村を「企業」としてみれば、少ない方の人口役割は「健康で文化的な生活を提供するための損益分岐点」となります。そのように考えれば、不採算部門は統廃合する。企業なら「事業撤退」「破産(解散)」することが選択肢となる場面ですが、行政の場合は「統廃合」しか道はないのではないか、と考えます。(無風凧は、統廃合よりも良い方法、を思いついていません)。
住み慣れた土地から離れていくのは、心情的にも障壁が高いでしょう。しかし、人口が減っていくなかで、いつかはこのような判断をしなくてはなりません。「ゆでがえる」の例ではありませんが、徐々に悪くなっていく、、、というのが、日本の国力を削ぐという意味では最悪な選択肢だと考えます。
是非、一日もあ薬で、「10Km四方に10万人に統合する」という「人口役割政策」を国策として採用してほしいものです。維新の馬場さん、こういう考え方はいかがですか? 維新の考え方にもあっていると思いますが、、、
注: 人口役割政策の中には、役割としての人数だけではなく「人口密度」の考えが入っていますので、近く名前を変えようと思っています。
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