マイナ特区?

日本の政府はすごく「おかしい」と思う瞬間。それは、「同時に国民にサービスを提供しなくてはならない」という固定観念にとらわれていること。

例えば、マイナ健康保険証。日本一斉に導入する。でも、、、その実、日本中で不具合が発生している。ではベータテストのつもりで小さな町からスタートしないのだろう?と無風凧は考えしまう。1万人程度の小さな町で「マイナ健康保険証特区」みたいなものをつくり、半年間試してみる。そして次は10万人。どこかの県。そして北海道、東北、、、、、と拡大する。

マイナ保険証は、スモールスタートが可能なサービスですから、上記のような導入計画を立てることができます。なぜできないのだろう?

岸田さん、河野さん、なぜスモールスタートをしないのか教えてくれますか?今からでもよいので、一から見直しませんか?

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被選挙人の年齢制限

先日、岸田首相が演説中に襲撃された事件。漁師さんの活躍のシーンもTVで何度も拝見しました。

騒動を起こした木村容疑者の記事を読んでいると、「被選挙人の供託金制度は平等ではない」「被選挙人の年齢制限は平等ではない」ということで訴訟を起こしているとのことです。そして、一審では「供託金制度も年齢制限も合理的である」と棄却されたとのことです(コチラ 参照)。

この記事とは別に、無風凧も中学の時から、「選挙人の被選挙人の年齢制限の違い」は不思議に思っていましたので、少し考えてみたいと思います。

まず最初に。このブログをご覧になっている皆様はご存じの通り、昨年から「成人年齢」が18歳になりました。これに伴い、選挙権は18歳になれば付与されるようになりました。しかし、被選挙人の可能年齢は変更になっていません。不思議だと思いませんか?合理的な理由は何でしょうか?

被選挙権でも、衆議院は25歳、参議院は30歳。この違いの「合理的説明」をお願いしたときに、慣習以外に説明できる方がいますでしょうか?ほかには、知事は30歳、それ以外は25歳です。選挙人に数でいえば、200万を越える横浜市は25歳でOK.でも、約45万人の鳥取県知事は30歳です。これを考えると、選挙人の多寡で合理的な説明ができるものではないことは、理解していただけますね。

20230420 もう一つ、無風凧が「合理的ではない」と考える理由を挙げます。右図は、1950年と2020年の人口ピラミッドです(出典: 総務省統計Dashboard より加工)。現在の公職選挙法が施行されたのが1947年ですから、その頃の人口ピラミッドと今の人口ピラミッドを比較しているわけです。

1950年は、25歳以上と以下の人口がほぼ同数。もし、2020年は言うまでもなく25歳以上が圧倒的に多い。25才でなく30歳にしても状況は変わりません。

つまり、「年下の者の意見の代表」を行うことができていた1950年。「年上のものからの押し付けを受けている2020年」と見変えてみれば、被選挙権の意味づけが変ってしまうわけです。すなわち、公職が私物化される可能性が上がっている。

よって、1950年の人口ピラミッドにおける被選挙権にもし合理性があると仮定すると、2020年には上記の意味では合理性がなくなっていると考えられます。

他にも色々あるのですが、被選挙人の年齢制限については、中学の頃から「不思議だ」と思っている無風凧です。

 

 

 

 

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人口役割、の考え方(続き)

昨日(コチラ)の続き。

これまでは、主に「少ない方」から考察して、10㎞四方に10万人程度の都市が「健康で文化的な生活を、経済的に許容でき程度のコストで実現する最小人口」として提案してきました(注)。

では、多い方はどうでしょうか? 無限に大きな都市は、オーバーヘッドが大きすぎて機能しない。それに、人口が増えて面積あたりの人口が増えると、当然のように「農業用地」が少なくなります。都市として「自給自足」ができなくなります(地産地消を原則としています)。そのように考えると、都市サイズの最大値も目標値(制限値)が必要ということが分かります。

もう一つ。人口クラスターが大きくなると、貧富の差が大きくなります。平等分配が難しくなる。なので、貧富の差を抑えるためにも、ある程度大きさの上限を決めておく必要があります。そして、それを越えたら「分割していく」。大企業で例示するなら、新規事業が大きくなり、事業部を経て独立子会社になり、、、ということをイメージすると判り易い。

現在、政令指定都市は50万人以上です。無風凧の考えでは、50万人だと、「文化・技術」の維持はできるのですが、「発展・進化」まで考慮すると、もう少し大きなクラスターが現代社会では必要になると考えます。そこで、100万人。20Km四方+周辺に農業用地、を仮り決めとして提案します。(実は、大きい方の制限の数については、まだ考察が十分ではない、のが無風凧の実情です。)

10万人以上100万人以下。サステナブルな日本を目指すための国策です。いかがですか?(説明不足が多々あるので、10万人以上100万人以下という言葉だけが広まっていくのは、ちょっと危険です)。

注: いろいろな計算の方法はあると思います。3万人も十分説得力があります。この目標としての「最少人数の目標値」は、学問的にもう少し精査する必要があると考えています。同様に、面積10㎞四方も、もう少し理論的な裏付けが必要です。

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国策としての選択と集中

春の統一地方選挙後半戦真っ只中です。立候補者の皆さま、頑張ってください。

先週結果が出た前半戦を見ていると、日本維新の会が頑張っている、という感じです。馬場代表が「維新の議員が600人にならなければ辞任する」と語った記憶がありますが、皆さん背水の陣、という感じでしょうか。(注:個人的には、Over Shootが起きるのではないか、と心配しています)

さて。先日「人口役割」の話をしましたが(コチラ 参照)、今日はその続きです。

限界集落という言葉は、皆さん聞いたことがあると思います。高齢化等が進み、「集落として維持する限界にきている」という意味で限界集落と呼ばれています。学術的には、その限界集落も幾つかの「分類」がなされているようです。まるで、生物の「レッドリスト」と同じです。

このままでは消滅してしまう危険性を問うているのが限界集落。しかし、限界集落と言われた時点で、ライフラインの維持確保、そして医療の問題などすでに「課題を抱えている」のが実情。それは、集落としての「密度」の問題と「人口役割」を見たせいていないことを意味しています。

これらをまとめると、「健康で文化的な生活」を「許容できる経済負担の範囲で維持する」ための要件を満たした都市計画をしなくてはならない、というのが、無風凧の言う「人口役割」の目標です。適切な例ではないかもしれませんが、はがき一枚配るのに、往復3時間の山道をスクーターで走る、ということが経済定期に許容できる範囲か否か、ということを考えてみて下さい。人口役割の意識を持つことの意味が分かってくるでしょう。

更に言い換えれば。市町村を「企業」としてみれば、少ない方の人口役割は「健康で文化的な生活を提供するための損益分岐点」となります。そのように考えれば、不採算部門は統廃合する。企業なら「事業撤退」「破産(解散)」することが選択肢となる場面ですが、行政の場合は「統廃合」しか道はないのではないか、と考えます。(無風凧は、統廃合よりも良い方法、を思いついていません)。

住み慣れた土地から離れていくのは、心情的にも障壁が高いでしょう。しかし、人口が減っていくなかで、いつかはこのような判断をしなくてはなりません。「ゆでがえる」の例ではありませんが、徐々に悪くなっていく、、、というのが、日本の国力を削ぐという意味では最悪な選択肢だと考えます。

是非、一日もあ薬で、「10Km四方に10万人に統合する」という「人口役割政策」を国策として採用してほしいものです。維新の馬場さん、こういう考え方はいかがですか? 維新の考え方にもあっていると思いますが、、、

注: 人口役割政策の中には、役割としての人数だけではなく「人口密度」の考えが入っていますので、近く名前を変えようと思っています。

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10キロ四方に10万人プロジェクト

日本では少子高齢化が進んでいます。過疎の問題は、これから先の日本では避けて通れない課題です。

でも、抜本的な解決策は論じられていません。

過疎の問題の根源は、「人口役割」と「移動コスト」です。

人口役割とは、、、いまの分業社会において、また、専門性の高い医療、教師などは言うに及ばず。電気屋、肉屋、、、色々な役割の人が居なくては「町」は存続できません。その役割を「人口役割」と呼んでいます。スーパーマンがいるわけではないので、ある程度の「人口」が居なくてはこの役割をすべて担うことはできません。

また。移動コスト(時間、燃料、手段)も大きな課題です。言い換えれば、人口役割を「どの程度の広さに」集中させるか、に置き換えることができます。

昔。ヨーロッパでは城壁都市がありました。〇〇ブルク、▽▽グラードという名前がついている都市は、そういう意味での「城壁都市」です。最低限の「人口役割」を満たすことができる単位です。つまり、昔は「自立する都市」が自己組織化されていたわです。

今の「人口縮小時代」にも、同様の意味での「自立する都市」を目指すことが必要だと考えます。

言い換えれば、人口縮小している昨今、「開拓」の逆の「撤退」をすることが必要です。これは、企業でいう「選択と集中」と同じです。企業の場合は「リストラ」ですが、過疎問題はリストラできないので「移住」ということになります。移住することで、全体最適を求めていくことが、これからの日本に求められる解決策の根本です。

そこで。無風凧は提案します。10キロ四方10万人プロジェクト。この地域から外れた場合は、基本として「移住」する。10万人を切ったら、他の都市に吸収・分散されていくようにする。開拓の逆の撤退です。昔から住んでいる場所から、高齢になってから動くことは心理的にも大きな負担になるでしょう。でも、原則としては移住して戴く。そのメリット、特に行政のコストは随分小さくなります。

いささか暴論ですが、20世紀に開拓した世界から、必要に応じて「撤退」することが必要になります。シュンペーターの言う「新結合」が否定される時期が来ています。

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言うは易し、ではありますが、、、、(長崎五島列島、黒島問題)

長崎五島列島の黒島が、ついに無人島になりました(コチラ など参照)。

無人島、過疎村、、、人口が減ってしまい、行政サービスが行き届かなくなってしまう場所は、後をたちません。時代による人気土地の変遷もあるでしょうし、大都市の方が過ごしやすい、、、でも、生まれ育った町だから離れられない、というのが実情でしょう。また、引っ越しのための費用が無いために引越しをしない方もいるに違いありません。

営利企業なら。

不採算部門は切り捨てでしょう。つまり、過疎村は、いくつか統合して新しい部門になる。今の日本の過疎村も、企業の不採算部門のように選択と集中できれば、ずっとよくなります。

勿論、言うは易し、ではあります。難しい点は沢山あります。

でも。

「地方創成」を狙うは、経済の原則から言えば逆行しています。過疎村に住みたい人は、「行政サービスの一部を自前で賄える人(企業)のみ」というルールをつくる。そのようにすれば、ある程度の国家予算も、公共サービスの予算も低減できます。

出来ないのは、「メンタル」の問題だけ。でも、今の過疎村だって「若手が出ていくから」。だということは、親もそれについて都会に出ていく、とすれば、今の日本の過疎問題の幾許かは解決できるのではないでしょうか?

国会議員の皆さん、まじめに考えてみませんか?

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ソ連100年

今年は。ソビエト社会主義共和国連邦、いわゆる「ソ連」が建国してから、100年。12月30日が建国記念日ですから、あと10日でちょうど百年ということになります。

キエフ大公国(旧キエフルーシ)は、今のロシアやウクライナの「文化的な源流」にあたります。ムソルグスキーの「展覧会の絵」でも、最終曲が「キエフの大門」。だから、プーチン氏はソ連100年の日までにキエフを取り戻したいと思っていたのではないか、と無風凧は思っています。だから、ウクライナ奪回を目指した。いろいろな政治的な背景もあると思いますが、イデオロギーとして、ロシアの心の祖国、という意味です。

のこり10日で取り戻すことはできないと言えましょう。だとすれば、この後どうなるか、、、諦めて敗北宣言するか、イタチの最後っ屁みたいな特攻するか。はたまた第三の方法があるのでしょうか。

いずれにしても、12月30日が大きな日になることは間違いない、と思っています。

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維新の会、馬場代表、吉村共同代表

昨日、日本維新の会の代表選挙が行われました。結果、松井現代表の次は、馬場議員(現共同代表)、そして、次期共同代表に吉村大阪府知事という布陣になりました。

大阪発の地方政党が国政を狙うということは、ボトムアップ型の民主主義の原点として、非常に好感がもてる政党だと思っています。

しかし、どうも理解できないのが「共同代表」というポジション。副代表ではなく、共同代表。この「共同」に、どういう意味があるのでしょうか?

しかも、というか現体制では、副代表もいるので、代表、共同代表、副代表、がいるわけです。なぜ、こういう組織体制にしているのか。

外からしか見ていないので実情はわかりません。でも、第三者が見たときに「判り易い」組織にしておくことは、国民に理解してもらうために必要なことだと思うのですが、いかがでしょうか? 馬場さん。

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COVID-19: 自治か国政か

一昨日の記事ですが(コチラ 参照)。

COVID-19感染拡大に対する、各知事さんの「賛否が異なる」ということが明るみに出ました。簡単に言えば、全数把握をしたいか、したくないか、が知事によって意向が異なるということです。

この記事では、全数把握だけではなく、対策強化に対する考え方も異なるということが書かれています。

例えば、感染対策を優先するか経済を優先するか、という問いに対しても、人によって意見が異なり、一致した施策を示すことはできません。

このような場合、、、意思決定の単位を小さくすることが一つの考え方として存在します。例えば、県によって、感染対策優先の県と経済施策優先の県がある、というようなものです。こうでもしなければ、首長さんが首長である意味がない、と言えます。

県のことは県に任せる、、、企業でいうなら、事業部長に権限を委譲するようなものですかね、、、で都道府県別に独自の施策を決定する。国は、県境をまたぐ場合のルールだけを「調整する」。

とすれば、冒頭のような齟齬が無くなります(正当化されます)。

このように書くと、「県ではなくて、市町村毎に決める方は良いのではないか」という意見も出てくるでしょう。そうですね。それもアリですね。だとすると、市町村を跨ぐ移動に関して、県知事が調整する、ということになるのでしょうか。。。

いずれにしても。COVID-19の感染拡大対策、および医療崩壊に対する処方は、図らずも国と地方の意思決定のクライテリアについて、再考する場を与えてくれました。無風凧は、、、道州制をひくか、もしくは、県に「独立」に近いだけの権限を委譲していくことが、今後の日本にとって必要なことだと思っています(説明は端折っていますが)。

 

 

 

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