「国民皆教育」と「ホーソン実験」と大学全入時代
昨日の話題の続き、の面があるのですが。
大学全入時代って、本当に良いのでしょうか?
ここで考えてみたい歴史的事実は2つ。
一つ目は、明治政府のとった「国民皆教育」政策、富国強兵や脱亜入欧の方が解りやすいかもしれませんが、まず、国民の教育レベルをあげましょうということで、尋常小学校を制度化しました。これはある意味で成功したようで、これが結実したのが高度成長時代ということになるでしょう。
もう一つは。ホーソン実験。
ホーソン実験は色々な解釈ができますが、環境よりも「注申される=希少価値化」が成果をあげるひとつの方向性であることが分かります。その意味では、大学全入になると、大学という希少価値がなくなり、結果として、国全体としては生産性が上がらない(学力生産性?という言葉があるかどうかは知りませんが)、ということになります。
もし、地方創生を考えるなら、上を目指す(ホーソン実験的な意味での)大学と、富国強兵策を目ざす(国民皆教育的な)上級学校の2本立てにする方が良いかもしれません。すでに、Fラン大学などの呼び方が、実質はそのようになっているかもしれませんが、教育内容やビジョンの違いを詳らかにした方が効果的だと考えるからです。
もしくは、大学は旧帝大だけにしぼり、その他は上級学校にする、というのもよいかもいしれませんね。少なくとも、「大学がサービス産業」と言われるような状況からの脱却は必須です。
端折って書いたので聊か暴論っぽく見えるかもしれませんが、本気で考えています。
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