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2種類の大学

以前、「実務家教員は体系的な知を語ることができない方も見受けられる」と辛口のことから来ました(こちら参照)。

でも、一昨日の記事をご覧になってお分かりのように、無風凧自身も考え方が変わってきました。

大学が、就職予備校化しているのであれば、研究教員よりもロートルであるといえども実務家教員の需要は増えます。研究教員は、統計的な意味で、過去の事象を知としてまとめていきますが、それは全てあくまで過去の話です。

いま、過去の話と書きましたが、自然科学と社会科学では過去の扱い方が異なります。自然科学は、実験による再現性を持っていますから、過去からの知の蓄積は大切です。もちろん、どこかで大きな建設点が来ることもあるかもしれませんが、少なくとも、実験的事実を再現できるという意味では、過去も現在も同じです。つまり体系的な知を学ぶことは、基礎として重要なことです。

しかし、社会科学はそうではありません。時代によって環境が変わります。そのため、過去の蓄積値は現在の正解を導き出すことがありません。言い換えれば、再現はできないのです。その意味で、研究教員が話をしていること=体系的な知 は、知っていることを無駄だとは言いませんが、再現することは不可能なことです。ですから、研究教員が話をしている体系的な知も、実務家教員が話をしている自分の経験も、実は同じ「ケース」の説明です。見方が体験なのか客観なのかの違いだけです。

ここで一つの問いが生まれます。

就職予備校、と捉えている学生たちにとって、研究教員と実務課教員、どちらが彼らのニーズに合っているでしょうか。もちろん、1クラスの学生の中には研究志向の人もいれば就職希望の人もいます。ですから、ここでアンケートをとって統計処理をしても何の意味もないことは、お分かりいただけると思います。

結果として。

研究志向の大学と、就職志向の大学、この2つは分けられてしかるべきなのではないかと無風凧は今は考えています。

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