「正しい」とは何か(ランキング番外編)
オリンピックの「誤判定(?)」が続いています。鹿児島県警、兵庫県知事の百条委員会、そして河野デジタル相の「マイナ保険証は強制ではない(コチラ など 参照)」発言、など、色々と「何が正しいのか?」が疑問になる場面が続いています。
なので、正しい、とは何かについて、時々論考していきます。大筋は、
1)「正しい」自体の意味が複数あること
2)相いれない「正しい」が紛糾すること。それはどちらも正しくないこと。
3)それらを含めて、正しいには序列があること。
というような内容です。論考の過程はは、ランキング理論と非常に似たものになったようです。
さて。正しいとはどういうことか、正しいの定義、から始めます。これだけでも本気で書けば原稿用紙100枚レベルの内容ですが、ブログなのでかいつまんで。
■正しい、とは何か。
究極には、「一番沢山のひとが正しいと信じたことが正しい、、、(1)」というのが定義になるでしょう。ということは、「正しいとは何か?」について、世界中の人が(1)をみとめてくれないと、この後の記述が成立しないことになります。いや、この後の論考を読んで、(1)が「正しい」の唯一の定義であることにきがついてほしい、と言い換えても良いかもしれません。
ここで「自己言及のパラドックス(クレタ人のパラドックスとして有名)」を思い出してみましょう。
「この文章は正しく無い」。。。(2)
(2)の文章の内容が「正しい」場合は、「(2)は正しくない」と主張ですから、何処まで行っても正否が確定しません。これが自己言及のパラドクス。
「一番沢山の人が正しいと信じたことが正しい」。。。(1)
これは、自己言及のパラドックスにはなっていないのですが、その「片鱗」を持っています。そう、「一番沢山の人」の部分です。これがを定量的に示すことができるか、が、実は不明確です。
「それでも地球は動いている」
は、ガリレオの言葉として有名ですが、その時代に「一番沢山の人が、地球が動いていると信じていたわけではない」ありません。21世紀の今ですら、地球は動いていない、と信じている方がゼロではありません。でも、殆どの方が正しいと信じているから、「地球は動いている」が正しいと言えるのです。では、なぜほとんどの人が「地球は動いている」ことを信じるに至ったのでしょうか?
このように考えると、「正しい」ということの難しさを改めて感じることになります。
今日はこのあたりで。
| 固定リンク
« セレンディピチィ | トップページ | 南海トラフ? »
コメント