効率化は局所最適解に陥いる。
20世紀後半、そう、MBAが持て囃されるようになったころから、「経営の効率化」が叫ばれるようになってきました。(期を同じくして、中国も一人っ子政策を奨めていました)。
果物の栽培でも、大きな果実をつけるために「間引き」をすることがありますが、効率化、とは「それと同様」ととられることができます。
育児の視点で解釈すれば、「少なく生んで、大きく投資し、大きな果実を得る」。
2000年頃は、DINKS(Double Income No KidS)という言葉がでてきたように、「自分(つまり親候補世代の人)」の個人的な幸せの期待値を考えれば、子供はいない方が裕福な一生を過ごすことができる、と考える人が多かったようです。
また、核家族化もそれに拍車を掛けていたのでしょう。それまで、家庭内の労働分担をしたいたものが、核家族化により分担できなくなり、夫婦(多くの場合は女性)に家事負担がかかるようになった。そのため、「局所最適=家庭内の幸福度」を追求すれば、子供はいない方が裕福だという計算(あくまで期待値ですが)が、成立するようにみえてきます。すくなくとも、20世紀型MBAの視点でみれば、そのように見えます。
そこで、少子化に歯止めが効かなくなった。その後は別の要因も重なってきますが、大筋はこのような流れ。
この「局所最適」は、学問の世界にも言える。つまり、「成果がでそうな研究にだけ投資をする」。その時その時の単年度でみれば最適な選択かもしれませんが、長い目で見ると国の科学力を落としていったことはもう皆さんご理解いただけるでしょう。根源的理由が少子化と同じ、に見えるようになっているのではないでしょうか。
最近の起業ブーム。ユニコーン企業を日本から排出する、という目標を掲げ、経産省など努力していますが、結局施策としては「選択と集中=効率化」。よしんばユニコーン企業がいくつか出てきたとしても、それは「国力(例えばGDP*注)」の継続的上昇にならないことは、上記の例からもお判りいただけると思います。
そろそろ、効率化は局所最適に陥るだけで、全体最適には向かわないことに気が付く時期に書いたのではないでしょうか(無風凧は、かなり以前からそのように主張しています)。まあ、ブログに書いているだけでは、ごまめの歯ぎしりにも名ならないのですが。
最後に、無風凧の修士時代の恩師の言葉:
「最近の研究は、深く掘っては居るけど、入口に幅が無い。深い穴を掘りたければ、入り口を広くする努力をしなくてはならない。」
注: 無風凧は、国力をGDPで測ることには賛同していません。ここではあくまで「世の中で言われている国力を比較する」という文脈でとらえて下さい。
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