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セクシー田中さん 事件その2

コミック「セクシー田中さん」の原作者「芦原妃名子さん」自死事件がなかなか収束しませんね。

無風凧は、ふと思ったのですが、これって、裁判になったらどうなるんだろう?

無風凧が疑問に思う点は、「裁判における第三者視点」。

2次元のコミックを3次元のドラマにした時点で、100%同一のものはできない。それは原作者も理解しているから契約したとして。

セリフの改変も無かったとして。

ここはこの程度の間が欲しい、というのを芦原さんが主張。でもドラマの監督とは違う「間」の取り方だった場合。

裁判だと法律に則り、第三者視点での判断(正確に言えば、第三者の代弁者としての裁判官の判断)によって、正否が決まります。

ここで、芦原さんが負けた場合、そして、それを不服として芦原さんが自死した場合。

1) 原作者の意向が反映されていない(著作権という意味で)、という点で判決は誤判断だった

ということになります。しかし、

2)裁判官が判決後の事象に対して責任を負う必要はありません。

では、ドラマの監督は、というと、自分の演出は法的には正しかったにも関わらず(判決でいえば勝訴)、結果として自死を招いてしまったという道義的責任を、世論から追及される可能性は、今回の場合同様にありうる。

このように考えていくと、第三者的・客観的な基準に基づく判決は常に正しいのか、という疑問に行きつきます。

そもそも。

思い入れ、の部分を捨象して価値判断するのが裁判の世界。先祖伝来の大切なお鍋を壊されても、現在価値の価値が100円だったら100円戻ってくるだけ。どれだけ可愛がったペットを殺されても、損害賠償額はそのペットの売価。だから、譲渡犬だったりするとゼロということになります。

裁判の在り方、判決の基準自体が不透明なような気がしてきませんか?

# 「一般的に行われてるから許される」という事象は、無風凧は納得出来ない場合があります。最たる例は、保険証のコピー。保険証のコピーを取らせないと、診療しない、という医院が沢山あります。でもこれは、医事法における正当な拒絶理由にはなりません。でも、現実は殆どの病院で断られます。

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