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DX化というネオ・官僚主義化

最近、コンビニの自動支払機、Amazon などのネットでの買い物、Webでの申し込みや解約、そしてマイナカード、、、、といわゆる広義のDX化が進んでいます。

皆さん、生活の質はあがりましたか?

無風凧は、最近、全然DX化された世の中が嬉しくありません。マーケッターとして失格?いや、2030年の世界を見据えているのだと自分では思っています。

広義のDX化、つまり、電子化できるものは電子化する、データ化できるものはデータ化する、ネットでできることはネットで行う、を指しています。これ、すべて人が行っていたことを、「コンピュータ(すでに死語?)」で行うというもの。コンピュータで作業を多なうということは、作業内容=仕様が、明確に決まっていなくてはなりません。勿論、自分の仕事でないことは知らぬ存ぜぬの世界です。

つまり。

世の中一般のDX化は、言われたとおりに作業をする媒体を増やしただけ、つまり、「ネオ・官僚主義」の台頭に過ぎないという訳です。

このネオ・官僚主義の台頭を1995年頃だとすれば(初期のインターネットの時代)、今のZ世代は、ネオ・官僚主義に飼いならされた人たちということになります。

一昔前に「マニュアル人間」という言葉が流行しましたが、その発展形が今のZ世代であり、その根源にはネオ・官僚主義が横たわっている。

これに気が付いたときに、無風凧は絶望感に打ちひしがれました。

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