コミュニケーション力偏重をネオ・官僚主義の視点で見る
一昨日、ネオ・官僚主義という言葉を書きました。つまり、いま行われているDX化は、とどのつまり、「官僚主義の駒」であった人間を機械に置き換えたものではないか、という試論です。
それに対応する社会現象として、「コミュ力(コミュニケーション力)」というものがあります。コミュニケーションをうまく取れる人が、世の中に必要とされている人間である、と言って、大まかに間違いはないでしょう。
コミュ力とは。相手の話を聞く。否定をしない。人間関係を良好にする。などなど、色々な言われ方をしていますが、その実、どうでしょうか。
今のZ世代は特にコミュ力を重視していると言われていますが、、、、
①相手の事を否定しない。だからと言って、賛成しているわけではない。
②言われたことはやる。でも、明文化されたいないと自分の責任ではない、と言い逃れる。
③周りとの人間関係は疎かにしない。でも、自分のポテンシャルを挙げることができないとなると平気で周りを変える。(そしてそれを容認する)。
ここでは3つほど、コミュ力の高い人の例を挙げてみましたが、、、よく見ると、DX化された一つの機械のようだと思いませんか?そして、自分の「やりたいこと」に邁進していく。やりたいこと=趣味、でもよいわけです。
「Z世代の考えていることは分らない」という年配の方の意見をよく聞きます。でも、DX化された人間 と捉えれば妙に納得できませんか?そして、言われたことだけをきちんと熟す点アンド、まさに「ネオ・官僚主義」の末端の駒です。つまり、コミュ力が高い人を望んでいるのは、ネオ・過料主義を求めている一部の人たち=支配層=上司、なのではないでしょうか?
最近、官僚のなり手が少ないというニュースを見ましたが、末端思考の人たちで自分のやりたいことがある人は、上記①~③とは真逆の行動パターンを持っている人ではないでしょうか?
# エジソン、アインシュタイン、ベートーヴェン、いずれも、今の時代ならコミュ障と呼ばれそうです。
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