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2024年1月

好きな音楽2024年1月、、、一旦休止のお知らせ

聴覚過敏がひどくなって、BGMもほとんど聞かなくなりました。聴くときは、白色ノイズ系で、突発音対策をするとき。

脳内音楽界は時々行いますが、段々曲も限られてきています。しかも! 時々無限ループに陥ることがあります!!やばいのはBeethoven の テンペスト・ソナタ とか、ラベルのボレロ。

先日、久しぶりに、大栗裕の「Rhapsody for Band(小狂詩曲)」を脳内演奏しようと思ったら、途中で止まってしまった! 進行が判らなくなってしまっていました。

ということで。2011年4月から毎月末に続いていたこの「好きな音楽」シリーズは、一旦休止にします。時々、気になったり、思い出したりした時に、不定期で復活させるかもしれません。

長い間、このシリーズにお付き合いくださった皆様に感謝です。ありがとうございます。

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本を手放す

無風凧は、本を手放す、という経験がありません。いや、ありませんでした。

勿論、文庫本の推理小説などは引っ越しの時に手放すことはあります。

でも、小学校の時の教科書からはじまり、学習、勉強に使った本は全部残していました、、、、が。

今回の異動で、専門書系の古いものを随分手放すことにしました。

集めた論文コピーも大半を箱に詰めることができなかった。

専門領域を大きく数学に変更したので、もう二度と読まない本ばかりでしょうけど、それでも辛い。

昨日・今日はそんな日でした。

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経営はアートか理論か。

昨日の話の続き。

昨日の記事を書いた後、さる高名な経営実務家上がりの大学教授とちょっと議論する機会に恵まれました。(無風凧など、足元にも及ば梨レベルの経験と実績をお持ちです)。

その方曰く、「経営はアートだ」。

この話には、無風凧の考える「ビジネス構造の数理化」とい対極があります。つまり、無風凧が、

「ビジネス=構造という公理系+人の動きが状態関数」いう量子力学でいうシュレディンガーモデルに近い発想を持っていることが起点です。

長嶋元巨人軍監督ではないですが、「経営は勘ピュータも重要」というのが上述の先生のお考えでしょうし、ミンツバーグも同様の発言をしています。でも、変数が多すぎる、、、今のAIでもとても追いつかないでしょう。

更に会話は進み。

経営はそもそも学問か、という議論に発展しました。U.エーコの「理論化できないことは物語られなければならない」を考えれば、そもそも理論化できないのが経営だ、だから、事例(ケース)を物語り、議事的な経験を積ませることが経営学の教育の根幹である、というのが上述の先生の主張と受け取りました。

今日の話はここまでにしておきます。無風凧も上記には賛成です。経営学はまだ「学」にはなっていない。LLMの出現で、これまでの経営学の理論の大半は崩壊するだろう、と思っています。しかし、それは、その根底にある「構造」を見つけることが、まだ人類にはできていないだけではないか、というのが無風凧の主張です。つまり、理論は根底に眠っている。

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経営学部や経済学部があるのに経営赤字の大学

日本には、沢山の大学があります。ググったところ793校だそうです。

その中で、赤字の大学や、入学定員に満たない大学は、東洋経済等の記事によれば、半数を超えています。

その中には、無風凧も知っている(友人がいる)大学で、経済学部や経営学部(もしくはそれに準ずる学部)を持っています。

無風凧は思うのです。経済学部や経営学部があるのに、なぜ赤字になるの? 先生方の研究成果が実は正しくない、ということの証左ではないのか?と。

実際は。

不思議なことに教員はあくまで教員。学校の運営に携わることはありません。それは広報系についても同様で、広告論の教員が居ても、そのアイデアや実績が学校の広報活動に生かされることは、無風凧の知っている限りでは皆無です。2つ理由があります。

一つ目は、純粋に研究目的の教員の場合、調査や研究は得意だけど実務に落とせない。これは仕方がないかなあ、、、と思います。

もう一つは、経営陣が教員の研究結果や理論や結果・知識に疎い場合。つまり、教員は「教えるマシン」であればよいと思っていて、あくまで経営は自分たちの仕事だと縦割りにしている場合。さらには、教員からの意見に耳を貸さないという場合もあるようです。

後者って。

自分の学校の教員の実力を信じていない、ということ以外の何物でもないような気がします。ちょっと極論過ぎますか?

このように考えると。

経済学部・経営系学部があるのに赤字になっている大学は、ガバナンスに問題がある証拠と結論できます。

注: 経済学部でも、例えば組織論を専門にしていると、なかなか経営に結びついていかない、と思う方もいらっしゃると思いますが、あにはからんや。組織がきっちりできていれば、経営はうまく回るものです。これは無風凧の経験上の話。

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[詰将棋] 飛車は取られるのか1

土曜日は詰将棋の日!

20190224 1月になっても「師走」が続いている無風凧。でも、土曜日の詰将棋は、やっと「思い出の自作解説」に戻ることが出来ました。

今週の想いでの一局は、作品名は「飛車は取られるのか1」です。といっても、この作品は、無風凧のブログ上でしか公開していないものです。

スマパラに投稿して、掲載待ちになって半年。ようやく公開、の前日に、類似作(というよりは、無風凧の作品の傷を修正してる上位作)が発表になったので、急遽取り下げを申請しました。ということで、詰将棋の内容よりも経緯で記憶に残っています。

▲2二角A △3三歩 ▲同角成(生) △同玉 ▲2五桂 △2三玉 ▲2四銀 △同玉 ▲4二角A △2三玉 ▲3三角成 △1四玉 ▲1三桂成 △同玉 ▲1四歩 △1二玉 ▲5二飛成(生) △2一玉 ▲2二馬B まで19手詰

A: 二か所、以遠打可能。
B: 最終手余詰め多数

尚。この形は、何故か気に入ってしまい、同じような初期図面の詰将棋を8つ、発表しました。ただ、残念なことに、その一号局は無風凧のブログでしか見る子とが出来ません。

発表は、2019年2月24日。 もう5年も前の事ですが、昨日のことのように覚えている作品でもあります。

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マイナカードでまた炎上!

河野大臣の発言が、また炎上しました。能登震災に関連して「避難するときはマイナカードを一緒に持ちましょう(無風凧の意訳)」(コチラ など参照)。

元来、マイナカードのみならず電子マネーも、電気が正常に供給されているという前提で、提供されているビジネス。電気が供給されていない状態では、何ともなりません。付け加えると、「ネットワーク(インターネット)」が遅滞なく動いているとともに、カードリーダーが正常に機能していることも要求されます。これらが提供されていない限り、無用の長物、と化してしまいます。

震災環境下でのマイナカードは、すべての前提が動いていない状態ですから、「無用の長物」となっているわけです。

勿論、復興したときには十分機能を果たすでしょう。でも、それは、緊急時の対応ではない。平時に対策です。

平時において、緊急時(予想外の事態)に備えることは、リスク管理の基本。その基本を考えれば、「電気が無い状態」を想定することは容易です。つまり、マイナカードは、緊急時には使えない。

同様に、電子マネーも、キャッシュカードも、緊急時には使えません。結局現金のみ、、、ということになってしまいます。保険証でいうなら紙の保険証、、、

無風凧的には、なぜそれを河野さんは理解できないのか、理解に苦しみます。

# いずれにしても、利点だけを述べて、弱点を説明しないという姿勢は、疑問ですね。

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新春4者会議

20230825 ごん(右下):新しい年になったね。おせち料理は食べたかい?

ラブ(右上)・はな(左):なぁにそれ~?

ロミ(中下):お正月にみんなで食べるお御馳走よ。あ、でも鶏の唐揚げは入ってなかったワ。
ラブ:あたしは唐揚げはもらったことないな。でも、体の具合が悪かった時、ママが鶏のささみくれたことがあるよ♪
はな:あたちももらったことあるー!!美味ちかったなぁ♫
(特命希望様 コメント : ロミ、ラブ、はなの介護の時は鶏のささみは大活躍でした。食欲がなくても、ペロッと食べてくれました。)
写真・翻訳: 特命希望様
今月も食べ物の話で盛り上がっている4匹。食いしん坊さんたちですね(先月の会話は、 コチラ )。

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無風凧的「憲法改正論」2

政治資金規正法、パーティー券裏金化問題。

色々考えているうちに、憲法に行き当たりました。

憲法には、政党も派閥もありません。それどころか、49条には、「両議院の議員は、法律の定めるところにより、国庫から相当額の歳費を受ける。」とあります。とすれば、政治資金規正法は、憲法49条の精神に反しているのではないか、と考えることができます。つまり、国会議員は国の為に個人で仕事をする、が49条の精神だと思うのです。

政党に対する政治資金の規定は、主には政治資金規正法に定められています。現在の政治資金規正法は、様々な経緯で作られたものではあり、それなりに理由も理解しているのですが、与党が得をする、仕組みであることに異論がある人はいないでしょう。つまり、国会議員が国会議員の為の法律を作っている。甘くなっていたり、政党の論理がまかり通っていたり、というのが透けて見える法律です。

憲法は国権の最高法規(98条)で、国会は唯一の立法機関(41条)であることが、憲法に記されています。この41条が、「手焼き煎餅」になっていることは、現憲法の弱点(無風凧流に言えば矛盾)と言えます。その意味で、憲法改正が必要になっていると、無風凧は考えます。

蛇足:
宇宙際タイヒミュラ―理論の論文をPRIMSに提出した望月教授は、PRIMSの編集長です。が、自身の論文の査読をする場合には、他者に編集長を譲る、ということで公平性を保とうとしています(数学は狭い世界ですし、同僚だから甘くなるのでは、と思う人もいるかもしれません。しかし、数学者は、人間関係以上に「論理的に正しいか」を追求する人種です。だから、公平性は保てているだろうと考えます)。

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随分痩せたなあ、、、

20210310 まるたろう: お~い、無風凧よ~。随分痩せたなあ、、、10月(コチラ 参照)より、更に瘦せたんじゃないか?また論文書いているのかい?

写真出典: 自前のM5
論文ではなく、角谷予想に随分熱を入れています、、、それと、三次元あみだくじの圏論的解釈。 体重は少し下げ止まりした感じではありますが、67キロ。3か月で7キロやせた計算です。夏(8月)は、80キロだったので、、、
体脂肪率と内臓脂肪率も、其々減っています。

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配送業者の責任、販売会社の責任

無風凧も、御多分に漏れずネットでの購入(例えば、販売業者としてAmazonなど)をします。

この時点で、契約は販売業者と締結しており、その契約範囲は「手元に届くまで」と、理解しています。

但し昨今、ビジネスの「オブジェクト化」が進んでいます。つまり、販売は、ヤマト運輸や郵政などに、委託します。この契約は、あくまで販売業者と配送業者間の契約。

無風凧としてみれば「配送も含めて、販売業者と契約」しているのは言うまでもありません。

先日。

販売業者が配送業者との間で結んだ契約(つまり配送依頼)が、無風凧が販売業者と結んだ契約の内容と異なっていました。

つまり、無風凧は「置き配不可、手渡し」とした居たのですが、販売業者が配送業者に「置き配」についての指示を明確には出さなかった。

そして、配達業者は置き配してしまった、、、、

さて。

この場合、配送業者にクレームをつけることができるか。

皆さんはどう考えますか? 

① 無風凧と配送業者は契約をしていないので、販売業者にクレームをつけるのみ。

② 配送を含めて販売業者と契約をしているので、配送業者も「販売業者」の一部と考え、配送業者にクレームをつけ、配送業者が販売業者に改めてクレームをつける。

どちらが、法律的に正しいのでしょうか? 

つまり、「配送業者は、原契約に登場していないが、原契約の契約履行するための契約内容の一部である」場合、配送業者の法的な位置づけの問題です。

上述のネット販売の例(実話)は、今の法体系の大きな欠陥の指摘、ということに気が付いていただけましたか?

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薔薇の名前

ふと気が付いた、とんでもない事実。

無風凧は、エーコの「理論化できないものは物語らなければならない」という言葉を、LECTUREやパーティートークなどでよく使います。

でも。

この言葉が描かれていた書物、(正確に言えば書物のオビに書いてあったのが上記の言葉ですが、)を読んだことがない!

100分で名著、で取り上げられたのをみて、読んだ気になっでました。これは恥ずかしい、、、早速、読間なくては。

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猫田いわし様の作品

土曜日は、詰将棋の日!

凄い作品を見つけてしまいましたので、今週はその紹介です。(コチラ 参照)。

上記リンクをクリックしていただければ、そのすごさは言葉を超えるものであることを、ご理解いただけると思います。図を引用していないので、是非、リンク先でご覧ください。9×9の将棋盤上に、7×7の碁盤が出来上がっています!しかも、40枚ある将棋駒を全部使っています!

詰将棋おもちゃ箱の 年賀詰め展示(コチラ 参照) で発見したのですが、今年最大の驚きになることは間違いないでしょう(今年は、まだ始まったばかり!)。それくらい、驚きました。

# 昨年後半から「思い出の自作」を採録していたのですが、今週はお休みです。

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なぜ今、派閥裏金問題はなぜ明るみに出たのか?

今日の記事は、ちょっと社会派。こういう記事書くと、アクセス数が下がるんだろうなあ(なぜか下がる)、、、

昨今、もちきりの「政治献金」「派閥裏金」「政治献金のポケットマネー化」。。。。

新聞もテレビもネット上も、能登が減り、この話でもちきりになってきました。無風凧にしてみれば「いまさら感」のあるパーティー券や政治献金。返礼の法則がある限り、献金や寄付という制度があれば、クリーンな政治は実現しません。

いくら法律で縛っても(政治献金規制法など)、人の「気持ち」の仲間では踏み込めませんから。

だから、無風凧が問題にしたいのは、なぜ今、なのかという問題。

よくよく思い出してみて下さい。最大の「献金集団」の問題があったことを。昨年はその問題が解決するかと思いきや、少し矛先を変えて政治家個人の問題(もしくは派閥の中のしっぽ切で済む程度の問題)にしてしまいました。与党自民党を支えている最大の「集団」から目をそらせるために、もしくは検察などの力をそちらに分散させるために、丁度良い時期、が今だったのではないでしょうか?いや、もしかしたら、検察も「ぐる」かもしれませんねぇ、、、

 

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GDPを比較することを考える

日本のGDPが、ドイツに抜かれて4位に転落しそうです(コチラ など参照)。

ところで。ランキング理論的に考えると、GDPのランキングにどのような意味があるのか、少し疑問がわいてきます。

DNPとは、国内総生産の事。だから、もっとも簡単な方法として、貨幣の価格を10倍するだけで、DNPは10倍になります。細かく言うと、日本は輸出入に頼っている部分があるので、その接続部分の矛盾は解消しなくてはなりませんが(いわゆる外国為替)、国内だけでいえばDNPを挙げることは簡単です。

さらに言えば。

これは聊か定義から外れていますが、家庭内介護や養育を貨幣価値化することで、GDPは上がります。

このように考えると、GDPのランキングは、その国の「何を」みていることになるのか、、、生産力なのか、幸せ指数なのか、頭をひねることになります。

無風凧としては。

GDPの値を国際比較することは、ほとんど意味がないのではないか、と最近考えるようになりました。というのは、何を比較しているかわからないから。同様に、上述した幸せ指数のようなものが簡単に定量化できるわけではありませんから、比較することに意味はありません。

国の信用度としての「為替の交換レート」だけは、意味があるような気がしますが、それ以外で、どんな数字が有効なのだろう?と、いまさらながらに考えています。

 

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地震

1995年1月17日。 M7.3の地震が阪神・淡路を襲いました。阪神淡路大震災です。この地震の被害で、無風凧の高校時代の思い出の場所は随分無くなってしまいました。寂しさ一入です。

最近、TVなどで能登地震の被災状況が報じられますが、時々被ります。勿論、東北地震や中越地震など、数年に一度は大きな地震がありますが、阪神淡路の被災は、無風凧にとって少し特別です。

と同時に。今、被災し、避難所生活をしている能登地震の方々に、Blog上ではありますが、心からの応援を送ります。そして、命を落とされた方に合掌。

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ペットと飛行機

世の中、段々「分け目がはっきりしてきた」「はっきりさせたいと思う人が増えてきた」「だからこそ、新しい軋轢を生むことがある」と最近強く感じる事件がありました。

1月2日のJALと海保機の衝突事故。亡くなられた海保の5名の方のご冥福をお祈りするとともに、死者ゼロのJALの奇蹟に大きな拍手を送ります。このJAL機に、ペットが二匹、乗っていた。現在の東城ルールでは、脱出時は手荷物も持てませんから、当然、カーゴの中のペットは置いてけぼり、つまり見殺しになってしまった。

これに対して、「ペットは助ける」「ペットは同乗して連れていく」という一派と「残していくのがルール」「それが嫌なら飛行機に乗らなきゃよい」という一派が、Web上でも喧々諤々。

現在、海外ではペット同乗可の飛行機会社もありますし、日本でもスターフライヤーが同乗可を打ち出していますが、脱出時の同動はできません。たしか、国際的なルール。これを変えるのは、相当大変なことでしょう。

こう考えると、非常時は人命優先、というのが現在人間社会のコンセンサスのように思えます。

でも。。。無風凧は考えるのです。人が助かるならペットも助けられる。ペットが助けられないようなら人も助からない。緊急時って、そういうものではないでしょうか?

これも、「どちらか」にきっと線が引かれていくのでしょうね。改めて。

# 似たような話は、一昔前の車内喫煙問題、ファミレスでの子供の問題、LGBTQの問題、などなど、挙げることができます。人間社会が成熟化しているように見えて、実は幼児返りしているのではないか、とおもうことも多いです。

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昔なら成人の日

でも、いまは単なる普通の月曜日。

今日も一日、仕事と研究。なかなか進まない研究(ここで言う研究は角谷の予想を解く、の方です)にイライラは貯まる一方。

でも。

並行して進めているビジネスモデルの位相空間論の方では少し進展がありました。位相構造の入れ方を一つ、検証できた。もっと慎重に証明の確認はしますが、小さな論文は書けそうです。

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記事の信憑性

X(旧Twitter)上で、岸田首相が下記の発言をしました(コチラ 参照)。

~前略~
影響の大きいアカウントだから正しいとは限りません。
公共機関等からの情報の確認をお願いします。 (引用此処まで)

無風凧は、80%賛同しますが、最後の部分で賛同できない部分があります。

それは、「公共機関だから正しいのか?」という疑問。政府の発表が本当に正しいのか?と言われると、昨今のパーティー券問題(裏金問題)をはじめとして、国民に信じて貰えない物も多い。

逆に言えば、上記発言は、「政府のいうことを全部信じろ!」と言っているようにも見え、無風凧的には賛同しかねる部分です。

21世紀になり、ネットが普及し、情報伝達手段が昔とは変わってきました。確かに、Fakeも多い。その意味では、正しい情報に基づく判断をすることは大切です。でも、公共機関だから正しい、と言い切ることは、もっと危険な内容を孕んでいるように思えてなりません。

こんなこと書くと、また視聴者が減るかなあ、、、

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詰め将棋: 年賀詰2の派生

土曜日は詰将棋の日!

20241113 今週は、「新作」と言えば新作なんですが、先週創った年賀詰2(コチラ参照)の派生。先週の年賀詰2を作っていた時に、ほぼ完成していました。盤上を七色姫にして、詰め方の持ち歩を6枚にしたら、正月っぽいかなあ、、、なんて思いながら、少し工夫したのですが、ここまで。何とかして持ち歩を6枚にしたかったのですが4枚で断念。ということで、今回は「新作と言えば新作だけど、、、」という感じで一応、ブログで発表します。

このブログの読者様ならご存じの通り、今年は角谷予想に頭のCPUを割り当てている時間が長く(コチラ 参照)、なかなか詰将棋する時間が回ってきません。とはいうものの、気分転換するときは、料理か詰将棋なんですけどね。

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コミュニケーション力偏重をネオ・官僚主義の視点で見る

一昨日、ネオ・官僚主義という言葉を書きました。つまり、いま行われているDX化は、とどのつまり、「官僚主義の駒」であった人間を機械に置き換えたものではないか、という試論です。

それに対応する社会現象として、「コミュ力(コミュニケーション力)」というものがあります。コミュニケーションをうまく取れる人が、世の中に必要とされている人間である、と言って、大まかに間違いはないでしょう。

コミュ力とは。相手の話を聞く。否定をしない。人間関係を良好にする。などなど、色々な言われ方をしていますが、その実、どうでしょうか。

今のZ世代は特にコミュ力を重視していると言われていますが、、、、

①相手の事を否定しない。だからと言って、賛成しているわけではない。

②言われたことはやる。でも、明文化されたいないと自分の責任ではない、と言い逃れる。

③周りとの人間関係は疎かにしない。でも、自分のポテンシャルを挙げることができないとなると平気で周りを変える。(そしてそれを容認する)。

ここでは3つほど、コミュ力の高い人の例を挙げてみましたが、、、よく見ると、DX化された一つの機械のようだと思いませんか?そして、自分の「やりたいこと」に邁進していく。やりたいこと=趣味、でもよいわけです。

「Z世代の考えていることは分らない」という年配の方の意見をよく聞きます。でも、DX化された人間 と捉えれば妙に納得できませんか?そして、言われたことだけをきちんと熟す点アンド、まさに「ネオ・官僚主義」の末端の駒です。つまり、コミュ力が高い人を望んでいるのは、ネオ・過料主義を求めている一部の人たち=支配層=上司、なのではないでしょうか?

最近、官僚のなり手が少ないというニュースを見ましたが、末端思考の人たちで自分のやりたいことがある人は、上記①~③とは真逆の行動パターンを持っている人ではないでしょうか?

# エジソン、アインシュタイン、ベートーヴェン、いずれも、今の時代ならコミュ障と呼ばれそうです。

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法律の中の矛盾

広島で、「ノネコ」を殺害する事件が発生しました。(コチラ など参照)。

広島の大学生が、ノネコを殺害し、その動画をYoutubeで公開した、という事件です。

この事件、命を大切にしない、という意味で無風凧としてはお怒りなのですが、もうひとつ、大きな問題を持っています。

それは、「動物愛護法」で検察が起訴できなかったこと。つまり、無罪放免(と言ってよいかは少し議論の余地はありますが)。

というのは、ノネコ だから、という理由なんだそうですが、ノネコは「鳥獣保護管理法」の言葉。動愛法では、猫は「愛玩動物」に分類されていますから、「殺害したら処罰対応」。動愛法にノネコという分類はありません。

ところが、上記記事にもあるように、「動愛法違反」で起訴を考えていながら「ノネコであるから起訴できない」という判断を、検察は下しました。

繰り返しますが、動愛法には ノネコ というくくりはありません! 愛玩動物として、猫の殺害は処罰の対象になります。

蛇足ですが。

鳥獣保護管理法では、ノネコは場合によっては殺害が可能です。(しかし、これは、誰でもが札拝してよいわけではありません)

同じ猫。同じ命。

だけど、人間の都合で作った法律によって対応や結果が異なる。つまり、法律の矛盾です。

まずは、、、この矛盾を解決することをしたいな、と考えています。

今の法体系は、肥大化してしまいました。一度、リセット(1からの作り直し)が必要ですね。

追伸:
動物愛護法、って、名前から想起される内容と法律の内容が異なっていると考えます。 動物を愛護するための法律、と思う人が多いのではないかと考えていますが、実際は、「動物を産業として扱う人を規制するための法律」が主です。動物愛護の部分は、付け足し、に思えます。

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DX化というネオ・官僚主義化

最近、コンビニの自動支払機、Amazon などのネットでの買い物、Webでの申し込みや解約、そしてマイナカード、、、、といわゆる広義のDX化が進んでいます。

皆さん、生活の質はあがりましたか?

無風凧は、最近、全然DX化された世の中が嬉しくありません。マーケッターとして失格?いや、2030年の世界を見据えているのだと自分では思っています。

広義のDX化、つまり、電子化できるものは電子化する、データ化できるものはデータ化する、ネットでできることはネットで行う、を指しています。これ、すべて人が行っていたことを、「コンピュータ(すでに死語?)」で行うというもの。コンピュータで作業を多なうということは、作業内容=仕様が、明確に決まっていなくてはなりません。勿論、自分の仕事でないことは知らぬ存ぜぬの世界です。

つまり。

世の中一般のDX化は、言われたとおりに作業をする媒体を増やしただけ、つまり、「ネオ・官僚主義」の台頭に過ぎないという訳です。

このネオ・官僚主義の台頭を1995年頃だとすれば(初期のインターネットの時代)、今のZ世代は、ネオ・官僚主義に飼いならされた人たちということになります。

一昔前に「マニュアル人間」という言葉が流行しましたが、その発展形が今のZ世代であり、その根源にはネオ・官僚主義が横たわっている。

これに気が付いたときに、無風凧は絶望感に打ちひしがれました。

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日本の2100年像を考えて。

暴論であることは理解したうえで、一つの方向性として、ブログに書いておきます。ブログに書こうと思った発端は、この記事(コチラ 参照)を呼んだから。でも、以前から、シミュレーション結果の一つとして、候補には上げていた考え方です。

今回の能登地震。救援物資の輸送等に非常に苦労しています。その原因はなぜでしょうでしょうか?

①代替道路が無いこと(海路が発達していた?)

②比較的小さな集落が多いこと(孤立集落)

③都市部から距離があったこと

は、間違いないことでしょう。でもこの理由、ちょっと見方を変えると、「現在の地方都市」の現状と同じではないですか?限界集落への輸送問題は、通常時から上記②③が課題になっています。インフラを整備するにも、コストが都市部よりもかかる。しかも、①が解決されていたとしても、③は依然として残っています。

江戸時代。能登半島に限らず、日本の「人口密集地」の殆どは、河口や山間の集落でした。①~③が当たり前だったことを思い出すと、今回の能登地震の災害は、江戸時代や明治時代でも同じだったのでしょう。

21世紀の今。上記の課題を解決する方法は無いでしょうか? 無風凧は考えるのです。モデルはヨーロッパ中世の城郭都市。人が住む場所は、安全な場所、ご近所さんがいる場所、そして、健康で文化的な最低限度の生活ができる環境を提供できる都市(例えば医療や芸術)。

その上で、今の日本は人口減少社会です。2100年までに改善する見込みはほぼゼロです。とすれば、地方集落をそのまま都市部近郊に移行できないか。一定の経済圏を構築することはできないのか。

過激な具体策は、能登半島の全ての住民を、町単位で〇〇県××市に移す。高度成長時代の日本の施策と同じことです。

消滅する可能性のある限界集落同志を、この際足し合わせる、と言えば、判り易いかもしれません。

勿論、生まれ育った土地には思い出もあり、この上記が暴論であることは理解しています。でも、100年後の日本で、健康で文化的な生活を営むための、一つの考え方ではないでしょうか?

 

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無風凧的「憲法改正論」

憲法改正の手続きは、現憲法の96条に定められている。(まず転載)

ーーーここから
〔憲法改正の発議、国民投票及び公布〕

第九十六条 この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。

2 憲法改正について前項の承認を経たときは、天皇は、国民の名で、この憲法と一体を成すものとして、直ちにこれを公布する。 
ーーーここまで

この文章をよく読んでほしい。「憲法全体を改正する」手続きである。各条項について、国民と「審議する」ことを禁じてもいないし、そもそも想定が無い。それはそうだ。1945年の時点で、2024年の技術など想定はできなかったであろうから。

憲法の各条項を花束に例えると、〇〇党案の薔薇と、▽▽党案の百合と、□□党案のカスミソウと、、、、となるのが一般的ではないだろうか?具体的には、LGBTQには賛成だが、衆議院と参議院の存在理由は反対、また、前文は書き直すべし、など考える輩は多いだろうし、その意見が一致することはほぼ奇蹟に近い。だから、花束として提出される改正憲法案ではなく、各条項を事前に国民審議にかけ、その結果としてブーケとなった改正憲法案を、96条でいう憲法改正の原案とする、というのが適当であろうと無風凧は考える次第。

いわば、今の改正憲法案は、スクラップ&ビルトができていないので、一から作り直しましょう、という主張と。そうしなければ、「動物の権利条項」や「縮小社会(これは、元総務大臣の増田さんの造語?)」に対応できない。つまり、このままでは、「現状の微調整で9条と24条+αの変更ですます、というローカルミニマムに落ち着く(ローカルミニマムは、物理用語かな?)」という危惧があると考えている。

心ある国会議員の皆さん、まずは、党内での憲法改正議論ではなく、広く国民と審議する場を設けることから始めませんか?そのためのインフラ=ネットワーク は出来上がっています。(会議の進め方はまた改めて。今の国会のような、素案に対する質疑応答型では、ダメです。)

 

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日本の神様

多度大社の上げ馬神事や、諏訪大社の蛙狩神事などが、動物虐待として盛り上がりを見せています。

無風凧も、「動物虐待」には反対です。時代により、倫理は変わり、2024年には2024年の倫理があります。昭和や、まして江戸時代以前からの倫理観とは異なります。でも、当時はそれが「大多数の正義=倫理観だった」。という言意味で、日本の歴史を振り返っておきましょう。

まず第一点。ほとんどすべての宗教(?)行事には「生贄」「人身御供」が必要だという事。人間の替りの動物、という場合もあります。このように考えると、神様は殺戮が好きなのかもしれません。また、国譲りの神話も、「神様的な部分」を除いて人間の行為として読むと「戦争」と解釈した方が理解しやすくなります。

そして。人はいろいろな意味で神に頼ります。そのために、お供え物をしたり、神託を得る為にお祭りをしたりします。その結果、自分の思い通りの結果が出なかったときに、人間は「神様の責任」として神使である動物を殺すことがあります。それは、神に罰を与える為。

それにくわえて、昔の豪族の争いは、「神輿を担いだ神様同志の戦いだった」と、中学の歴史で習った記憶があります。負けた罰で、動物が見せしめになっていた、、、のだと考えられます。

その上。占いは神の使いの言葉。人=シャーマンの時代(卑弥呼の時代)を過ぎて、動物や埴輪にその役(つまりは、罰=死)が与えられていたのであろう。占いが間違えていた罰である。

このように考えると。昔の神様は、随分「血を見るのが好きだった」と言えるのではないかと分析します。

今の神様=結局は民衆の倫理観 は、神は優しいもの、血を見ることは嫌うもの、と変化していると考えられます。

無風凧の倫理観も、宇宙船地球号の乗組員としての分を守る、食物連鎖は自然の営みですから、その範囲での食肉は許されるもの。でも、愛玩動物の多頭飼育による劣悪な環境や、動物にいたいする暴力、収益の為・効率化のための動物の「機材化」は、当然なされるべきではないと考えます。

命を大切にする。自然の輪廻を守る。それが、世界のルールの最上位にあるのではないでしょうか?

おっと、主題が変わり始めたので、今日はこの辺で。

 

 

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詰将棋: スマパラの握り詰のフライング発表(年賀詰2)

土曜日は詰将棋の日!

202401062024年のスマホ詰パラの新春握り詰の課題が、年末に発表になりました。

歩6枚、桂2、銀、角2、飛、相手玉

が課題でした。

令和6年で歩が6枚、なので、持ち歩6枚の詰将棋を自分なりの課題としました。普通に銀歩送りをすると歩を6枚消費できないので、ちょっとだけ工夫。、、というほどの工夫はしていません。作成5分、柿木チェック長短(+10手)で10分。(なお、角と全は、入れ替え可能です。どちらにしようか悩んで、コチラにしました。)

タイトル: スマパラ握詰のフライング

変化も紛れもほとんどないので、すらすら、気持ちよく解けると思います。

この作品も、おもちゃ箱(コチラ 参照)で採用して戴きました。

今年、2作品採用して戴きましたが4番と27番です。 2の2乗と3の3乗。小さな喜びを感じています。爆。

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AIは未来を予測できるか?

昨夜、NHKスペシャルを見ました。AIによる30年後の未来、そして予測される6つの社会。

NHKが作っている番組なので、それなりに「エビデンス」を取っているのでしょう。でも、「施策・解決策」にそうとうするものは相当「甘いな」と感じました。甘いな、というより、本質を突いていない。本質を突いていないというのは、AIの結果を「人間が読み取っている」部分が甘いのかもしれませんが。(つまり、番組制作の段階で結果を曲解している可能性は否定できない、ということです)。

というのは、番組中に出てくる課題が「なぜ起きたのか?」の原因分析が中二的。言い換えれば、脊髄反応してい売るだけで、深堀していない。なぜなぜ五回、という分析方法がありますが、ここでは、最終的に「なぜなぜ1回」で進めている。だから、6つもの社会が予想されているのかもしれない。

現在の課題、、、AIの分析したものが「なぜか?」を調べるのは、もしかすると今のAIには苦手なのかもしれない。原因を究明しなくては、改善はでいないとすると、AIは未来予測はできない、ということができる。それは、因果推論のアルゴリズムが上手くできない無いのかもしれないし、人間の「知識」を中途半端に入れたために、なぜか、が見えなくなっているのかもしれない。

全ての課題の根底に、「面積と人口密度」が横たわっていることはなぜなぜ5回をしていれば、出てくる答え。その他の課題も、面積と人口密度を考えることで改善が可能な物ばかり。オンラインや、ドローンや自動運転に頼る必要要は無い。一つの仕事を二人の人でタイムシェアする雇用形態も、ある程度の「人口」がいるからこそできるシステムであり、その担当者が「ある面積の中に」すんでいるからタイムシェアできる。オンラインでできるのは、データの共有。以心伝心不立文字という言葉がありますが、会う必然がゼロになるわけではない。

そのように考えると、NHKスペシャルの問題提起や未来予想は非常の薄っぺらいものだな、と感じました。

この程度では、、、視聴料金を支払う気がうせてしまいます(無風凧宅ではきちんと支払っていますが)。

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監督官庁の責任。

最近強く思うのですが。

ダイハツの不正、日大の大麻、古くはアネハ、、、いずれも、監督官庁のお墨付き、なんです。なのに、その監督官庁の責任が問われることはありません。口頭での謝罪がある場合はありますが、あくまで「自分たちは被害者」という姿勢です。

これって、おかしいと思いませんか?

本来は、第三者機関として検査すべきものを、「報告書だけ」で済ませて、その内容の審査で終わらせる。報告書+審査で済ませているというシステム自身が既に、破綻しています。ダイハツはその嚆矢でしょう。

そういえば、大学も数年に一度は、外部評価を受け無くてはなりませんが、実際は報告書を読んで疑義を唱えるだけ。内部調査と呼ばれる一日だけ、学校に赴いているのが評価の実態。これでは、大学の「正しく評価」できていません。日大はその最たる例でしょうし、日本中の大学を「第三者目線で」見直せば、多分半数は「不合格」になるのではないかと思っています。これは、文科省の手抜き、の結果です。

動物虐待の問題。今年も多度大社の上馬神事がネットを騒がす時期になってきましたが、これも環境省と警察庁の怠慢。ペット業者クーアンドリクの場合は、環境省に加えて厚生労働省の認識不足も指摘できます。

お墨付き(認可・許可)を与えた監督官庁は、その許可や認可に不整合があった場合は、同等の責任を感じてほしいものです。

 

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詰将棋: 年賀詰2024

2024 年賀詰です。

昨年は、「飛香6枚の最長手順詰将棋」「角桂6枚の最長手順詰将棋」をおもちゃ箱に採用して戴きました。ありがとうございます。(本日時点では、まだ最長手数として記載されています。)

なので、今年は、飛桂6枚を考えてみようかな、と思いました(おもちゃ箱には、このカテゴリーはありません)。

と思って、最初に思いついたのが右図。作成1分。柿木チェック長短合わせて2分。合計3分で作ったものです。多分、不要駒も変更可能駒も無いと思いますが、2枚の飛車の初期配置は、非限定です。

詰将棋ファンの皆様、今年もどうぞよろしくお願いいたします。

# この詰将棋は、「詰将棋おもちゃ箱」に投稿しています。よって、正解発表は、今は致しません。

 

 

 

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令和6年の書初め

今年の書初めは、大きく2つ、最後に小さく2つ。

まず、まじめに「角谷予想」に取り組んでみよう。無風凧の命数を考えると、最後まで行けるか否かわからないが、頭が少しでも動くうちに(既にさびてはいるが)全力投球。

小学校の時に「完全数」に出会い、自分で偶数の完全数の公式を見つけたとき以来、数学の魅力に取りつかれてしまった。その頃から、角谷予想とゴールドバッハの予想、奇数の完全数問題、それから友愛数親愛数の問題はどれかは解きたい、と思うようになっていた。しかし、数学好きが幸いしたのか災いしたのか。大学の頃からシミュレーション物理に傾倒してしまい、それ以来〇〇年、純粋数学からは離れてしまい、「数学の周りを逍遥」する研究者・実務家になってしまっていた。シミュレーションでそれなりに特許も取ったし、手法も開発したが、数学としては、線形代数と解析学とグラフ理論を中心に「ありもの」を応用していただけ。

昨年後半、とあるきっかけで「角谷予想(コラッツの予想)を解いて見せる」と豪語してしまった、、、今は、問題の難しさを再確認して少し後悔しているが、言は戻らない。やるからには、成功させたい。2022年のTAOの論文はおおよそ理解したつもりだがまだ不明点もある。そんなレベルだから相当高いハードルである。類体論をはじめとする数論幾何の知識などの知識不足を感じており、多度神社の上げ馬神事の壁よりも高いかもしれない。

さて、2つ目の書初めは、その上げ馬神事と関係があるが、やはり「動物の権利を守る」である。なにもビーガンになるわけではない。宇宙船地球号の乗組員として、自然の循環、食物連鎖の範囲を守り、無駄な命をうばったり虐待を無くしたり、、、が理想であると考えている。角谷予想と違い、明確な「ゴール設定」をすることができないが、社会的な運動を通じて、「民法に動物を入れる」もしくは「憲法に動物条項を加える」程度まで進めれば、良いなと思う。2024年のマイルストーンは、どのあたりが適当だろうか?

最後に小さく2つ(本当はこれが一番大切かも)。家庭円満と健康。特に、2023年は、無風凧史上もっとも体調を崩してしまい、周りに迷惑をかけてしまった。こちらは、まず食欲を取り戻すところから。

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謹賀新年 令和六年

皆様、新春のご挨拶を申し上げます。

旧年中は大変お世話になりました、ありがとうございます。

本年も倍旧のご指導を賜れますよう、お願い申し上げます。

皆様の御多幸をお祈りしています。

令和六年 元旦
無風凧

COVID-19騒ぎで、浅草寺の二年詣をやめてもう4回目の正月です。(2020年が最後です)。
ちょっと体調を崩している、というのも理由ではあるのですが。
年越しの瞬間は自宅で過ごしました。

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