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教育の平等とは何か。

昨日の話の延長戦? 教育の「平等」って何なのでしょうか?

これまでも、何度か快適ましたが「平等って何?」が決まっていないような気がします。

維新の吉村さんが訴えている「平等」は、「希望する人が同じカリキュラムを受けることができる」平等です。これを、食事の例でいうならば、全員同じ量のご飯とおかずを渡すことを示しています。一見平等のように見えますが、体の大きい人小さい人、大食いの人少食の人、満足度という意味では全く平等ではありません。給食を食べてしまうまで居残りさせられるという経験がトラウマになった人もいるという話がありましたが、これは、同じ量を食べる=平等の考え方が根本にあったように思います。

違う平等の考え方。一人一人の満足度が同じ程度になるような平等というのもあるのではないでしょうか。食事の例で言うならば全員腹いっぱいになるまで食べる、というものです。最近のバイキング形式の店はその例かもしれません。各人が食べたいもの食べたいだけ食べることができる。

教育で考えてみましょう。勉強したい人はとことん勉強する。自分の興味の方向に向かった専門性を上げる。飛び級もアリ。勉強が得意でない人は、基礎力アップに邁進する。各々が満足するレベルでの教育を受ける。それも教育の機会均等だと思います。

このように考えると、日本中一応に高校無償化というのが良いことなのか、無風凧にはまだ疑問が残っています。

ところで、本当に高校で勉強したいと思っている学生、どの程度いるのでしょうね?

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