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これも多様性

ゲン担ぎの数字。多かれ少なかれ、皆様もお持ちのものと思います。昔は、4や9,キリスト教圏では13が、多くの人に嫌われていた。半面、7はラッキーセブン、気に行っている人も多いと思います。例えば最近は、299という番号が好まれているそうです。理由は分かりますか?無風凧には全くわからないので、299という数字の価値はわかりません。

このゲン担ぎ。人によってはとてもこだわります。、結婚式の日取りを決めるなどと言うと、仏滅、というだけでもとても大変なことになるでしょう。それこそ日付に値段がついたり、喧嘩が起きたり、、、それ以前に、心情的に絶対にだめ、なんてこともあります。とある友人は、車のナンバーで666を見ると、どんな用事も打ち切って帰宅してた、それほど嫌な場合もあるのです。

このように考えると、その人に振られた番号がその人にとって好感が持てるものであるのか、それとも嫌な数字であるのか、それはその人の受け取り様で多様性の一種だと思いませんか?そう、LGBTQと同じ、多様性としてはその数字を嫌うという気持ちも尊重しなくてはなりません。

裁判になった場合。第三者、つまりその数字に特段思い入れの無い人にとっては「数字は一律に与えられたものであるから我儘は認められない」となることが見えています。でも。嫌なものは嫌。それがPTSDの遠因になる可能性もある(積もり積もってPTSD発症となるその一因)。一人一人の「思い入れの多様性」は評価が可能でしょうか?

先般問題になった、学校給食を無理に食べさせられてPTSDになったという事件も、裁判所の判断としては違法ではないという判決になっていますが、PTSDになるほど完食が無理だった、となると、やはりそれは心の傷害事件だと扱うのが妥当だと無風凧は考えます(つまり、判決が間違えている)。

このように考えると。車のナンバー1つ取ってみても、その人の思い入れによって、附番の仕方を変えなくてはならない、そのような時代になるのかもしれません。

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