競争社会を目指すのか、均等社会を目指すのか。個人最適化はできないのか?
大阪の高校授業料無償化が決まりましたね。吉村さん、まずは公約を一つ果たしました。
教育機会を均等にする、という大目標を立てたうえでの実行力は脱帽です。
さてここで、無風凧は問いたいのですが。
教育機会の均等、って何なんでしょうか?
いうまでもなく、やる気も成績も、人によって異なります。だから、教育に対して「満足度」は均等化していません。受けたくないけど受けざるを得ないということもあれば、吹きこぼれていしまい、「なぜこんなレベル低いの授業ウケなくてはならないの?」と思う人もいるでしょう。例えば将来は音楽家と決めている人にとっては、普通科教育は不要だと思う人が多いでしょう。
無風凧は、中学に入った時には三年分の数学が全て終わっていたので、授業内容にはあまり興味はなかった(と言って、さぼったわけでもない)。
そのように考えると、機会均等は実現難しい。
「教育内容=標準的な教育内容」が一様化してしまうことは、競争社会を真っ向から反対しています。今の世の中、すべてが競争社会なのに、教育だけ「競争という名の一様化」が始まっているようにかんじるのは無風凧だけでしょうか。
本来なら、個人最適化ができれば、そして、それが無償化できれば最高なのでしょうけど、、、吉村さん、次の目標は「個人最適化教育の無償化」でしょうか?
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