本当に第二次世界大戦の反省に立つなら。
昨日は、78回目の終戦記念日でした。各地で慰霊の式典が行われ、天皇陛下、首相ほか、メッセージを発表しています。
天皇陛下:「過去を顧み、深い反省の上に立って、再び戦争の惨禍が繰り返されぬことを切に願い、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、全国民と共に、心から追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります」
岸田首相:「今日の我が国の平和と繁栄は、戦没者の皆様の尊い命と、苦難の歴史の上に築かれたもの」
(上記は、毎日新聞のWeb コチラ からの転載)。
大変申し訳ないけど、戦後78年もたって、これがメッセージなのか、、、と無風凧は暗い気持ちになります。
戦争が多くの命を奪うことは論を待たない。だから、戦争は止めましょう。 これは、正しいですが、改善への一歩を踏み出していない。
何が原因だったのか。 原因はなぜ起きたのか。それを回避するにはどうしなくてはならないのか。こういうメッセージを展開しなくては、早晩戦争が繰り返されます。
例えば、猪瀬前都知事の著書「昭和16年の敗戦」によると、開戦前に日本の軍部は敗戦を結論付けていたらしい。なのに、なぜ戦争に踏み切ったのか。この意思決定プロセスを繰り返さないようにするには、どのようにすればよいのか。それをメッセージとして出さなければ、ならないのではないだろうか。
無風凧の知る限り、失敗覚悟で特攻的に挑戦することを潔しとする風潮は、今の日本にも残っている。
長嶋元巨人軍監督は「勘ピュータ」に秀でた人と言われていたが、今でも「やってみなくてはわからない」「神風が吹く」などという博打精神に富んでいる日本人。
そして、長い物には巻かれる国民性。無理が通れば道理引っ込むとはよく言ったもので、今の政治をみても、企業経営をみても、「論理より人情」がまかり通っている。
もし。本当に第二次世界大戦開戦の反省に立つのなら、「理論を信じ」「正しい石けってプロセスを踏む」国民に変容しなくてはならない。
とはいえ。マイナカード一つとってみても、精神論で進んでいるからなあ、、、、
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