教員不足と奨学金問題
NetNewsをみていて、こんな記事を発見しました(コチラ 参照)。
文科省曰く、
「教員不足を解消するために、教員になれば奨学金を返済免除」。
これを読んで、脊髄反射的に「ああ、やってはいけないこと」と思います。
教員になりたい人を増やす、という目的なのだと思いますが、教員には適性があります。教員になりたくないけどとりあえず奨学金の返済免除のために腰掛教員、ということにでもなれば、教員の質が下がります。むかし、「黄色い血」という事件がありました。所謂売血問題ですね。これとアナロジーして考えてみれば、理解しやすいかと思います。
もう一つは。こちらがそもそも論、なのですが、、、。
人はパンのためだけに仕事をするわけではありません。マズローの欲求の段階でいえば、自己実現欲求に相当する「内的動機」に従う部分が大きい。ところが、この返済免除施策は、ある意味では「札束で頬を叩く」行為です。プライドの観点でいえば、「下がる」方向に働きます。
そもそも。
教員は昔は花形職業だった。教育大学、というのがあることからもわかるように、先生になりたいと思える職業だった。良い教員の影響で自分も教員になりたい、というポジティブ・スパイラルが成立していた。
ところが。
いまや3K(これ、既に死語ですか?)に匹敵するほど、人気が無い。職業としての理想と現実のズレが生じている、というのが原因と分析しています。最近はやりの因果推論で考えれば、共通一次なかりせば、、、もしくは、高度成長時代なかりせば、、、核家族化なかりせば、、、ということになるわけですが、社会が変わり、それに伴い、教員の業務が変わってきている。社会における役割が変ってしまった。
このように「推論」して、「業務の見直し」と「役割」の意義を与える事こそ、為政者側の仕事ではないでしょうか?
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