人口減少にともない、色々な「歪」が出ている日本。
拡大基調から維持基調へ、そして縮小前提の「国家百年の計」が必要な時期です。
企業の事業計画も、拡大するときは「イケイケ」な感じで賛同を得やすいですが、縮小・撤退となると後手に回るようになり、最終的には倒産という憂き目を見るようになります。無風凧は、ある経営者から「この会社を1年で円満に解散させる戦略を常に考えておけ。必要になったら呼ぶ」と言われていました。その答えを披露することはなく(まだ、存続しているので)、また、その経営者は先年他界されたので、無風凧が20年考え続けた宿題は、提出先を失ってしまいました。
企業(特に株式会社)は、解散(もしくは倒産?)ということで終焉をむかえ、従業員たちは苦労はするものの再度社会の中に分散され、いずれは痕跡もわからなくなる、というのが実情。でも、「国」が倒産することは、あってはならないことです。勿論、地方都市等も倒産することは望ましくありません。
先日、こんな記事を発見しました(コチラ 参照)。曰く、「過疎地の水道は、老朽化が進んだ場合には給水車対応する」。水道管の設置・維持費用よりも給水車の方が安いという判断でしょう。この記事は水道だけですが、よくよく考えてみるとライフラインはすべて同じことが言えます。ガスは今でもプロパンガスという仕組みが残っていますが、現在都市ガスの地域でも、ガス管老朽化によりプロパンガスに戻るところが出てくる。郵便物や宅配便も同様。それらに加えて、医療の問題、日用品の問題、、、すべて、過疎地の課題であり、2030年ころから顕著化します(今でも、当事者にとっては死活問題です)。
このようになった原因は3つ。
1) 規模の経済のために、際限なく大きな都市ができた。(本当はオーバーヘッドがあっても気が付かない)。
2) 過疎の町を「持続させる」ために公金をつぎ込み、引くに引けない状態になった(かえるを水から茹でる問題と同様)。
3) 国としての意思決定は、最大多数の最大幸福を前提としているため、都市部に篤くなる。
これらを解決するためには。
日本国憲法が定める「文化的生活」のモデルケースをつくり、それを維持するための「都市の大きさ」の算定からスタートです。中世ドイツでいう「ブルク」を考えればわかりやすい。
このように考えると、最小都市サイズ、が決まります。これを下回った都市は、統廃合する。企業でいうなら「撤退」をするわけです。無風凧の分析では、10万人~100万人都市(商圏)が理想。だから、えいやっと、5万人を切った時点で、統廃合に入り、3万人を切ったら強制的、というのが試算です(勿論、面積というか密度のサイズもあります)。この統廃合のルールを作り、費用をねん出することこそ、今の日本に求められている喫緊の課題です。ビッグモーター事件ではありません。
逆に大きい方も、一定値を上回れば分割する。ここで重要になってくるのが「地方自治」の新しい考え方で、無風凧は「廃県置藩」と呼んでいますが、その地域が自立することが前提。少なくとも、食料は基本時給できること、を目指したい。これに関しては、上述の統廃合に比べると少しだけ優先度が低いかな。
というような俯瞰的な視点で国家百年の計を語れる政治家の方、いませんか? 無風凧は自分でやるにはもう元気がありません泣。
# 「未来の年表(河合雅史、講談社現代新書)」も似た論調です。縮小に関しては半分くらい同意です。
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