数学ーその形式と機能
日曜日。古本屋でS.マックレーン箸の「数学ーその形式と機能」の新古本を発見して、衝動買い。刷が古くて、「本屋におきわすれられていた古本臭(図書館臭)」はしますが、多分、新古本なのでお買い得感満載。
この本、圏論エヴァンジェリストの西郷さんが高校の時に読んだ、とどこかで書いていたので、一度読んでみたいなあ、、、とは思っていたのです。でも、正直13000円はちょっと高い!と、優先順位が下がってたところでしたが、新古本で2000円なら即買いです。で、二日で150ページほど読んだところです(600ページあるので、四半分を過ぎたところ)。
感想主文: 出版当時に読むべきだった(日本語版は1992年に出ています)。
数学の教科書としてというよりは、数学の捉え方の哲学書、という読み方をしています。その哲学書として大変有意義。
今の数学は、基本的には「幾何学」からスタートしている。これは受け入れざるを得ません。数えるための数字(自然数)はあったでしょう。そして、順序を数えるとことと自然数は自然とつながっていったことも想像に難くありません。自然現象を「時間をいれた幾何学の発展形」と捉えれば、自然科学と数学は親和性が高く、相補する形であることは当然の理でしょう。
しかし。
政治や経済、人の行為を記述するための枠組みではない。経済数学も組織論も、統計学や微積分という「自然科学が作った数学という言語の利用者」ではあります。しかし、人文科学や社会科学を「記述するための枠組み(としての数学)」ではない。
人文科学や社会科学を「数学」の枠組みで記述するには、今の数学の枠組みの上で記述することができない「何か」があると感じます。いや、必然です。これは、足し算と掛け算を組み合わせるには「IUT理論(望月教授)」が必要だったように、それを超えるような枠組みが必要です。
その意味では、自然科学以外の分は「観察=記述」がまだまだ足りていない。残りの人生、この仕事にかけてみるのも悪くないな。
色々な気づきをあたえてくれたこの本に、感謝。
追記: 数式の記述方法がいささか「日本式ではない」ので、ちょっと面喰いました。日本の大学に進むなら、この本で勉強を開始するより、他の本を一回勉強したうえで読むことをお勧めます(両方、シームレスに読めることが望ましい)。圏論の西郷教授が、この本を起点としているのだとすれば、それはそれですごいことです。(無風凧は高木先生の解析概論から入っているからなあ、、、)
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