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説明責任

先日の加藤美唯氏に続いて、ハンガリアンGPにおける張氏の判定が物議をかもしています。

ネットニュース等によると、オンラインのボールをアウトと判定され、それに納得がいかなかった張氏が、ブーイング等で精神的に体調を崩して棄権した、というもの。

時系列の詳細はほかの記事を見ていただくとして、無風凧は大きな疑問があるのです。

それは、審判の役割。

審判は、ゲームを円滑に推進することも、役割の一つ。テニスのルールブックは存じ上げませんが、野球だと、進行を妨げた、という理由でも退場を命じることができると記憶します。

これって、実は非常におかしなルールです。

審判の判定に疑問がある=退場 という図式が成立します。審判は、自分の判定に対して反対意見をした輩に対して、進行を妨げた、という判定をしてもよいということになります。

またまた野球の例ですが、アンパイヤが退場を言い渡すとき、TVの画面等では「アンパイヤも熱くなっています」。喧嘩両成敗という訳ではないですが、アンパイヤが絶対正、というのは、上述のようなルール上の不備です。

加えて。

ゲームを進めてしまう=判定を認めたことになる、というのは、スポーツに限らず一般的な認識でしょうから、ゲームの進行を妨げずに判定に異議を唱えることはできないことになります。

更に加えて。審判に「説明責任」が付与されていないこと。説明が納得できないからクレームをつけている場合、これは、審判の技能不足と言っても過言ではない。だとすれば、退場すべきは審判、ということになります。

かつて、このブログで書いたことがありますが、無風凧は小学校の時に「誤審でゲームに負けた」トラウマを持っています。その時は、偶然「写真」があり、無風凧の主張がただしかったことが明るみに出ました。後日、そのことを審判に継げたところ、「審判は絶対だ、おれは謝らない。正しい判定をした」と、再度自分の正当性だけをのべた小学校教諭(=審判)。いまだに、この記憶は消えません。

納得する説明を果たせない判断は、審判の責任である、というルールはできない物でしょうか?無風凧はもう〇〇年も上記の事件で苦しんでいます。

# まあ、人の評価(人事評価)などというものも同様で、説明の源泉は好き嫌い、ということが多い。「総合的に判断して」という言葉が出てきたときには、「明確な論理的な説明ができない、恣意的な判断理由なんだな」と自分を説得させる癖がついている無風凧です。これは、ランキング理論の顕著な成果の一つです。

 

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