« マイナ特区? | トップページ | 全仏・誤審事件が導く最悪の未来 »

記憶理解、形式理解、抽象的理解、本当の理解

無風凧は、理解には4種類あると思っています。

試験勉強で点数を取るのが記憶理解。これは、理解したつもり、、、なだけだと思っています。テストの問題は解けるでも、人に説明する段になるとちょとできないことの多い。

形式理解、、、これは、暗黙知に対する形式知を意味する理解。人に説明できる。でも、、、文字や言葉を介して理解している。それから、人に教えることができるのは、一般的にはここまで。ここから先は「読書百遍」ではないですが、繰り返しや直感や、、、その人の才能で理解に達します。

これに対して抽象的理解は、もっと深く理解できてる。暗黙知の形式知化、という言葉がありますが、暗黙知は言葉にできないというように捉えると理解度が低いように思えますが、実際は、言葉にできなけど「より深く」理解できている状態。言い換えれば、形式知化できる以上に理解できている部分がある、と言っても良い。プロとして戦力になるのは、この抽象的理解のレベルに達していなくてはならないと思っています。ビジネスでも数学でも何でも、「抽象的理解」のレベルに達して初めて一人前。よいインストラクターやメンターに巡り合うことができれば、追体験この域までは「先達」がいる。

でも。もう一ランク上の「理解」がある。ここでは「本質的理解」と呼んでおきます。血になり肉となり、、、よりももっとっ本質的な理解と言えるでしょう。仏教でいうなら「悟りの境地」でしょうか?(徒に「悟り」と書くと誤解を招く可能性がありますが、、、)。無風凧の場合、時々この「本質的理解」に達したと思う時があります。

高校の頃に「本当の理解」に達していたと思っていた包含関係。完全に理解しているつもりだったのですが、今日、電車の中で「あ、本当に理解できた」と思いました。定義が分かっても証明に使えて、人の教えることができて、、、でも、まだ深い理解、というのがあることに、今日気が付きました、と言っても、明日からの研究で何が変わるわけではないのですけどね。

でも、ちょっとだけ嬉しい。

|

« マイナ特区? | トップページ | 全仏・誤審事件が導く最悪の未来 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« マイナ特区? | トップページ | 全仏・誤審事件が導く最悪の未来 »