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線引き

「判る」は「分ける」

無風凧の最も深層にある理解です。「分ける」ことができなければ「判っている」とは言えない。もちろん「解る」もおなじこと。

有罪と無罪も、「分ける」ことが必要。分けるためには「線引き」が必要。その線は、だれが決めるか。

例えば。白と黒と灰色。灰色を黒か白かどちらかに分けよ、と言われた時、あなたはどう答えますか?

人によって変わる。その場の判断とするから、いざこざ、が起こる。

先日の全仏オープンもしかり。埼玉の水着撮影会しかり。どこまでが許容範囲か、人によって判断記述がことなるから、騒ぎになる。セクハラもパワハラも人によって線が違う。だから、線引きは「客観的に」「定量的に」「再現性のある」基準が必要ということなる。

この基準を作る必要がある、という論調が育たなことが無風凧には不思議。人によって線が異なるような基準を作る法律が不思議。もちろん、相手によって判断基準を変える人の「判断」はもっとも不思議。

こんな「不思議」が多い世の中、疲れると思いませんか?

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