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数は力?(政治のあるべき姿)

衆議院の解散が取りざたされるようになってきました。岸田さんは「国会会期末の解散は無い」と言っているようですが、政治家の二枚舌、本当かどうか、怪しいものです。

そんな中、無風凧は前々から不思議に思っていることがあります。もちろん、理想と現実の違い、ということは理解したうえで、ブログ記事にしているのですけどね。

政治において、数は力。これは正しいでしょうか?もちろんではありますが、否、です。これを認めてしまうと、ナチスのようなファシズムが台頭することを肯定してしまいます。

でも、ナチス程とは言わないまでも、数は力、を思い知らされる瞬間があります。例えばタレント議員。票は集まるでしょう。でも、その表に見合うだけの仕事ができているのか。いやいた、それ以前に覚悟があるのか、と疑いたくなることが多い。

このように考えると、政党政治が正しいか、についても疑念がわきます。例えば、10個の法案を提出するとして、A党議員なら全部に賛成、B党議員なら全部に反対、、、というような状況をみると、「それはあり得ないだろう!」と叫びたくなります。議員の中には、公認をとるためにあえて賛成票をだす、ということもあるのではないか、と推察しています。法案ごとに、「個人の資格で」個別に多数決をとれば、きっと違う結果になるだろうなあ、、、と思うことは多い。

こういうことを考え始めると。明治維新後に議会ができた時点にまで立ち戻らなくては、日本は変えられない、ということになり、無風凧としては非常にどんよりした絶望感に苛まされます。

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