昨日の続き(大学はかわらなくてはならない)
さて昨日の続き。
大学は何のためにあるのか、から論じる必要があります。
もともと大学は、「大学は、学術の中心として、広く知識を授けるとともに、深く専門の学芸を教授研究し、知的、道徳的及び応用的能力を展開させることを目的とする(学校教育法52条)」という目的で設立されています。
この文言をどう解釈するか、、、は、人によって異なるところでしょう。しかし、例えばこの文言からは「学術の中心」であることは前提ですし、世の中に対しては、
① 知識を授ける ②深く専門の学芸を教授研究する
と同時に
③知的・道徳的・応用的能力を展開させる
ことが求められています。
以下は無風凧の経験に基づく部分が多いので、一般論ではないかとは思います。しかし、「肌感覚」として大きくずれてはいない。
まず、大学の位置づけが大きく変わってきています。世の中で求められている「社会人基礎力(経産省のページ コチラ 参照)」を大学で教えることが求められている。大学でも、就職率が上がることが大学評価の一つだから、力を入れる。この社会人基礎力。昔なら「しつけ」や「義務教育」の範囲です。。。が、今は大学に求められている。
また、例えばデータサイエンティスト教育。現在、理系人間が足りない、ということで文科省は大学にたいして「数理・データサイエンス・AI教育プログラム認定制度」という制度を作って、喚起しています(コチラ 参照)。しかし、この内容を見て下さい。学術の中心として教授研究していることを目的とするレベルはありません。大学のレベルが下がっていることに併せて、学術の中心としての役割を放棄し、職業訓練校化しているように感じる教員は多いことでしょう。
このように考えると、大学は、就職予備校化しています。もちろん、一部の優秀な学生は別ですが、一流校と言われる大学でも同様の傾向にあります。
世の中で求められている大学の目的、これを見直す時期に来ていると感じるのは上記のような話です。日本は法治国家ですから、学校教育法に従っていない大学が求められていてよいのか、と言い換えても良いかもしれません。
つまり。無風凧の本心は、「かつての大学」を取り戻してほしい、と思っています。そのために「変わらなくてはならない」。それについては、明後日。
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