大学の設置基準(大学はかわらなければならない)
丁度、日刊ゲンダイデジタルが同趣旨の記事を出したので、ぜひそちらもご覧ください(コチラ 参照)。
さて昨日の続き。大学のレベルが下がっている、という話までが昨日の話でした。今日は、なぜ大学のレベルが下がっているのか、という話です。大学経営(経済面)の話になります。お断りですが、今日の話も無風凧の「肌感覚」ですから、統計的な論拠はありません。とはいえ、上述の日刊ゲンダイも同じ主旨です。
私立大学は言うに及ばず、ある意味では「営利企業」です。授業料と補助金を収入として、学生を商品として出す。学校教育法では、学芸の専門性を求めていますが、それが現実は生きていない。現実は生きていない、の実例は、大学の設置基準や、第三者機関による点検評価報告書でしょう。
設置基準において、学生のレベル、教育のレベルを審査する条項はほとんどありません。経営状態=学生数見込みなど、は随分審査されます。JUAAやJIHEEなどの外部評価でも、不適切が付くのは経営状態か教員の高齢化がほとんどです。
よって。「教育のレベルが下がっても、経営が成立していること」が大学としての存亡にかかわる、という図式が成立します。かくて、大学は学生募集に奔走し、アドミッションポリシーに満たない学生に入学許可を出し、、、という構図になります。
大学のレベルを審査することは、一概に肯定できません。というのは、審査のための評価軸が決まった瞬間に、それ以外の軸がおろそかになるから。その結果、多様性を阻害してしまうことになるから。しかし、いくら何でも、、、というレベルを切り分けることは可能だと無風凧は考えます。
今日の主張は。結果として大学も営利団体であるため、半数の大学では収入の為に学生のレベルを下げざるを得ない、という現実です。
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