« 2023年3月 | トップページ | 2023年5月 »

2023年4月

SAKURA by Harry Belafonte(好きな音楽2023年4月)

米国の歌手・人権活動家の Harry Belafonteさんが無くなりました。96歳。 Harry のご冥福を心からお祈りします。

ハリー・べラフォンテさん、というと「バナナボート」が代名詞でしょうか。♪ Day-o,で始まる歌は印象的です。でも、今日はべラフォンテが歌った「さくら」を紹介します。

まずは、Youtube を聴いて下さい( コチラ ) 。

バナナポートと同じ人が歌っているとは思えないほど、しっとりとした歌声。あの三島由紀夫がハリーを絶賛したこともうなずけます。

そして(ここからが重要)。この録音の伴奏の箏は、衛藤公雄 さんが弾いています。ハリーの声色にぴったりの音色。そして、即興で色々と音を足していることが分かります。衛藤公雄の独奏での「さくら」も録音が残っていますが、同じ人が弾いたとは思えないほど、脳裏に投影されるシーンが違います(コチラ も必聴)。さらに蛇足ですが、衛藤公雄が帰国してから出版した「箏独奏によるさくら」の楽譜は、自身の録音とは違う楽譜です。演奏は コチラ でお楽しみください(演奏は渡辺由布子)。

ハリーの話に戻って。後半生は人権活動家として活躍されました。今回初めて知りましたが、キング牧師(I have a dream のスピーチで有名な牧師)が投獄された際、保釈金を出したのはハリーだったとのこと。Wikiを見ると、社会活動家としてのハリーは沢山の仕事をしている、と感じます。

改めて、Harry Belafonteさんのご冥福をお祈りします。合掌。

| | コメント (0)

詰将棋:カッケー作品をねらえ!

土曜日は詰将棋の日!

20230429 飛薫6枚の詰将棋で「詰将棋おもちゃ箱」の記録室に登録して戴いたので、次は「角と桂の6枚での記録」を目指すべき、挑戦を始めました。、、、難しい。数年前にも一度挑戦しましたが、その時はどうしても歩が必要で、不格好(歩角桂=ふかっけー)になってしまいました。

と言ったところで、今週の作品は右図。持駒はありません。

逆算で作った、と言えば聞こえが良いかもしれませんが、単なる並べ詰になってしまいました。

今すべて角と桂になりましたが、まだ5枚。最後の角一枚、どこに使うか、、、この形の逆算ではもう伸びませんから、もっと詰上がりの図からの考察が必要となります。

ということで、今週は「角桂作品の記録をねらいたい」という意思表示でした。

| | コメント (0)

1:1:1

今日の夕食は三食スープ。

鶏ミンチ100g、豚ミンチ100g、牛ミンチ100g。

鶏ガラスープで、エノキと卵を入れて、、、美味しかった。

食欲が無いのでスープだけ、、、と思って作ったのですが、食欲の無い人が食べるスープではないですね。

 

| | コメント (0)

動物は写真付き。。。これは画期的!

Yahoo見ていて発見した記事 (コチラ 参照)。

動物の遺失物に関しては、「写真付き」で遺失物登録しよう、という内容。

現行法上は「もの」として扱われる「動物」。迷子になった場合も、基本は「もの」です。ただ、「もの」なら殺処分はありませんが、動物は2週間です。場合によっては、2週間以下の場合もあるらしい。だから、一刻も早い「飼い主のもと」へ戻す必要があります。

発見のために、「写真」は良い考えです。串田議員のナイスショット! です!!ぱちぱち。

ところで。

現在、人間の顔認証システムが実用化しています。また、自動車のNシステムも、自動車に乗っている人の顔の認証で犯罪捜査に役立てることが可能になっている。これらの認証システムまったく同じ仕組みで、ペットの「認証システム」をつくることは簡単。ここまで書けば、エンジニアの中には三日でプログラミングしてしまう人もいることでしょう。ということは、、、次の一手は、色々な街角カメラの録画から、追跡ができるようになれば、良いですね。

 

 

| | コメント (0)

社長だけの責任か?

昨年の知床事故、KAZU I 事件から一年が過ぎました。被害にあわれた方のご冥福をお祈りいたします。

先日、追悼式が行われ、斉藤鉄夫国交大臣が、このように追悼の辞を述べたそうです。
「このような痛ましい事故を二度と起こさないという強い決意のもと、不退転の覚悟をもって事故の再発防止に取り組むことを、ここにお誓い申し上げます」(コチラ から引用)

「強い決意」「不退転」「誓い」と美辞麗句が並んでいますが、他人感満載のスピーチです。そもそも、一年もたっていますが、何が動いていますか?

無風凧は考えます。そもそも、として無線が不備な状態での運行、はなぜできたのでしょうか?

① 何もなければ不問になる。
点検整備の不備は、「しなくても罰則」が小さい。少なくとも、コストセオリーで考えれば、しない方が得、という答えが出ます。

② 報告書は自己申告である。
行政の行う検査・審査はすべて申告書に基づくものです。(ここでいう行政は、地方レベルは無く、国レベルを含みます。また、国交省や総務省系だけではなく、文科省も金融庁などそのほか省庁を含みます)。申告書に対して、税金関係は「正しいか否か」をチェックします。、、、が。うまく隠しいおおせれば、不問に付されます。車検は、第三者がチェックするという意味では第三者の目が入っていますが、車検のミスは問われません。文科省(学校教育法)が定めている大学の認証評価も、報告書ベース。報告書に基づいた質疑応答で終わるから、記載されていなければそもそも論として課題にもならない。これは大問題です。

③ 今回のKAZU I 事件に対して、本気で「対応」するなら、審査合格をだした機関も罰則を受けるはず。そして、許諾をした部署の責任者、、、最高責任者は国交大臣、、、にも罰則が必要でしょう。

などなど、脊髄反射もいくつもの解決策が上がります。不退転の覚悟なら、3か月程度で施行まで持ち込んでほしいものです。
斉藤さん、必要なら無風凧に御下命ください。1週間で、素案を作って見せます。

| | コメント (0)

進化

20230425 はなちゃん先生: ちょっと二本脚で立ってみたの。アタチも進化してるのよ。逆に無風凧さんは、時々三本足、四本足で歩いているようね。

写真出典 特命希望様ご投稿
人間は二本足に進化したサル、だとか。勿論、全知全能のはなちゃん先生も二本脚で活躍できます。上を向いてカメラm線のはなちゃん先生は最高です。
無風凧は、ぎっくり腰になるたびに、3本足、4本足になっています。

 

| | コメント (0)

維新774人、、、オーバーシュートを考える。

統一地方選挙後半戦*国政の補選が終了しました。補選は自民党が最後のツッパリをしたのでしょうか、自民の4勝1敗だったようです。

地方選は、コチラ の記事にもあるように、維新が頑張りました。馬場さんの600人公約を果たしたようです。国政政党への一歩を進めた、ということでしょうか。維新の皆さん、お疲れ様でした。(774人、は コチラ 参照。)

無風凧は、かつて「維新の600人はオーバーシュートを心配する」とコメントしましたが(コチラ 参照)、杞憂に終わってほしいものです。

今の維新の課題は、① 関西偏重であること。それから、 ② 全国政党を目指していること、 そして③オーバーシュートです。

関西偏重は、色々な記事が出ているので割愛。

②の全国政党化は、ある意味の自己矛盾をはらんでいることを指摘します。維新の会は、大阪の地方政党がそのオリジンです。そして、地方を主役にすべく道州制を標榜しています。しかし、今は、大阪維新の会と日本維新の会が並列しています。今回の統一地方選の勝利も、半分は大阪維新の会の成果。地方から伸びていく、という戦略は間違えていませんが、それと並行して「日本維新の会」として全国政党を目指しています。これは、道州制とは矛盾します。もっとも、今の日本の仕組みだと、全国政党 ⇒ 与党 ⇒ 道州制の為の法律改正⇒地方分権 という流れになるのでしょうけど。

③は。今はブームです。イケイケ、の感じです。組織が大きくなる時は、その速度、が重要だと思っています。バーナードの言う「諸力の合成」、つまり、目的を共有して、それに向かってベクトルを合わせることは、一朝一夕にはできません。事実、維新の国会議員の中だけでも、問題発言があった方などいらっしゃります。劇場型選挙の弊害かもしれませんが、今の維新の会は「国民の期待 > 維新の実力」だと分析しています。

②③は、今の「国政の仕組み」上仕方がない部分もあります。悪い意味で、明治時代に作った官僚型組織から、国政の仕組みが進化していません。その弊害とも言えます。とすると、、、結局、日本の根本的な改革は実現できない、ということになるのかもしれません。ペシミスティックになります。

| | コメント (0)

そろそろ、、、

20210310 まるたろう: 無風凧さん、今日から16年目に突入だね。僕もそろそろ後進に席を譲りたいなあ、、、

写真出典: 自前のM5
そうなんです。2008年に始めたこのブログ、今日から16年目です。無風凧の人生の四半分は超えました。

うるう年の関係もあり、今日で5479日目。目標の1万日(2035年9月8日)までは、残りたったの4521日です。皆様、これからもご愛読よろしくお願いいたします。

ちなみに! まるたろうには、もっと毎月犬として活躍してほしいと思っています。これから出演交渉します!

| | コメント (0)

詰将棋:玉と飛香6枚の長手数記録更新?(ご参考)

20230422 土曜日は詰将棋の日!

今日も飛香6枚の長手数記録? のシリーズの作品です。

右図は、おもちゃ箱に採用して戴いた記録作(コチラ 参照、31手詰)と、一枚だけ違う詰将棋です。そう。91の香が、生か成りかの違い。生だと31手詰め。成りだと35手詰めになります。やった~!記録更新! 、、、と簡単にはいきません。

今日の詰将棋、以前このブログで発表した コチラ の作品と同じ「迂回」があります。柿木将棋の判断でも「迂回」となるのですが、余詰と思えるほど、、、だから、今日の作品は「ご参考」とさせていただいています。

迂回か余詰めか、諸先輩方のご意見を頂けると嬉しいです。

先週の詰将棋の67香以遠打(21手目)、先週は中合なしで玉がよけますが、今日の作品はいったん中合します。詰上がりの見た目は、盤面上龍と香だけになる今日の作品の方が「美」だと思います。

| | コメント (0)

被選挙人の年齢制限

先日、岸田首相が演説中に襲撃された事件。漁師さんの活躍のシーンもTVで何度も拝見しました。

騒動を起こした木村容疑者の記事を読んでいると、「被選挙人の供託金制度は平等ではない」「被選挙人の年齢制限は平等ではない」ということで訴訟を起こしているとのことです。そして、一審では「供託金制度も年齢制限も合理的である」と棄却されたとのことです(コチラ 参照)。

この記事とは別に、無風凧も中学の時から、「選挙人の被選挙人の年齢制限の違い」は不思議に思っていましたので、少し考えてみたいと思います。

まず最初に。このブログをご覧になっている皆様はご存じの通り、昨年から「成人年齢」が18歳になりました。これに伴い、選挙権は18歳になれば付与されるようになりました。しかし、被選挙人の可能年齢は変更になっていません。不思議だと思いませんか?合理的な理由は何でしょうか?

被選挙権でも、衆議院は25歳、参議院は30歳。この違いの「合理的説明」をお願いしたときに、慣習以外に説明できる方がいますでしょうか?ほかには、知事は30歳、それ以外は25歳です。選挙人に数でいえば、200万を越える横浜市は25歳でOK.でも、約45万人の鳥取県知事は30歳です。これを考えると、選挙人の多寡で合理的な説明ができるものではないことは、理解していただけますね。

20230420 もう一つ、無風凧が「合理的ではない」と考える理由を挙げます。右図は、1950年と2020年の人口ピラミッドです(出典: 総務省統計Dashboard より加工)。現在の公職選挙法が施行されたのが1947年ですから、その頃の人口ピラミッドと今の人口ピラミッドを比較しているわけです。

1950年は、25歳以上と以下の人口がほぼ同数。もし、2020年は言うまでもなく25歳以上が圧倒的に多い。25才でなく30歳にしても状況は変わりません。

つまり、「年下の者の意見の代表」を行うことができていた1950年。「年上のものからの押し付けを受けている2020年」と見変えてみれば、被選挙権の意味づけが変ってしまうわけです。すなわち、公職が私物化される可能性が上がっている。

よって、1950年の人口ピラミッドにおける被選挙権にもし合理性があると仮定すると、2020年には上記の意味では合理性がなくなっていると考えられます。

他にも色々あるのですが、被選挙人の年齢制限については、中学の頃から「不思議だ」と思っている無風凧です。

 

 

 

 

| | コメント (0)

位相と集合(斎藤毅著)

先日。BookOffで「集合と位相(斎藤毅著、東京大学出版会)」購入しました。なんと210円!

というのも。最近、「データサイエンスの為の大学初年次向けの数学」を物色しているというのが背景。この目的からは少し外れるだろう、といういことは、BookOffで見た瞬間から理解しているのですが、「数学原論」の斎藤先生の本だということもあり、購入。

以前、記事にもしましたが(コチラ 参照)、集合・位相の入門編としては、松坂本一択、だと思っていました。もちろん、松坂本のすばらしさは1mmも下がっていないのですが、斎藤本は、その上を行った、という感じです。この本が無風凧の学生時代に合ったらなあ、、、と思えるほど、素晴らしい教科書です。(レベルも、スタート地点はほぼ同じで、到達点は一歩先)。

何が素晴らしいか。「よりみち」というコーナーがあること。教科書として書かれている文章の合間に、「補足」として「よりみち」が書かれています。この補足の部分が、秀逸すぎます。例えば、論理学で用いる「⇒」と数学で用いる「⇒」では意味が違うこと、などを明示してくれています。また、同じ記法が二つの意味を持つ場合に「これは、文脈で判断するしかない」ということを明文化していることも好感が持てます。実際、初学者は「どちらの意味だろう?」となやむということを、無風凧も経験していますから。この「よりみち」は、テーマである「集合・位相」に直接関係ないことも書いてあるからこそ、このテキストの価値があります。

加えて。何を説明したいのか、いわゆる「PREP」に近い形で書かれている。数学の本は「定理と証明」とはよく言いますが、斎藤先生の本は、細かく目的が明示してあるので、判り易い。次に何をしたいから、今何をする、というのが全てではないにしろ判り易い構造になっています。

もう一つ。松坂本の比べるなら、言葉が現代風になっている点も、判り易さの一因でしょうし、内容も、集合論ではありますが圏論を意識している(圏論学習の際に接続性が良い)。

これなら、210円ではなく2800円+税で購入してもよかった、と思いました。

蛇足: いま、文科省はデータサイエンティストを増産しようと躍起になっています。いまさらエクセルが使えるように、ということではなく、生成AIやBigデータ解析のための人員を育てたい、ということでしょう。しかし、それに特化してしまうと「10年後には使えない小手先の技術」を覚えていることになります。ここは一歩ひいて、「考え方の基本」を学んで20年後30年後の足掛かりにする教育が必要です。その意味では、理科系の大学を卒業することは、斎藤本を理解していること、というレベル感が良いのではないかと思います。、、、は、ちょっと高望みしすぎですね。一応、東大数学科の2年生向けだそうです。(無風凧は1年生の教科書だと思って読みました)。

| | コメント (0)

人口役割、の考え方(続き)

昨日(コチラ)の続き。

これまでは、主に「少ない方」から考察して、10㎞四方に10万人程度の都市が「健康で文化的な生活を、経済的に許容でき程度のコストで実現する最小人口」として提案してきました(注)。

では、多い方はどうでしょうか? 無限に大きな都市は、オーバーヘッドが大きすぎて機能しない。それに、人口が増えて面積あたりの人口が増えると、当然のように「農業用地」が少なくなります。都市として「自給自足」ができなくなります(地産地消を原則としています)。そのように考えると、都市サイズの最大値も目標値(制限値)が必要ということが分かります。

もう一つ。人口クラスターが大きくなると、貧富の差が大きくなります。平等分配が難しくなる。なので、貧富の差を抑えるためにも、ある程度大きさの上限を決めておく必要があります。そして、それを越えたら「分割していく」。大企業で例示するなら、新規事業が大きくなり、事業部を経て独立子会社になり、、、ということをイメージすると判り易い。

現在、政令指定都市は50万人以上です。無風凧の考えでは、50万人だと、「文化・技術」の維持はできるのですが、「発展・進化」まで考慮すると、もう少し大きなクラスターが現代社会では必要になると考えます。そこで、100万人。20Km四方+周辺に農業用地、を仮り決めとして提案します。(実は、大きい方の制限の数については、まだ考察が十分ではない、のが無風凧の実情です。)

10万人以上100万人以下。サステナブルな日本を目指すための国策です。いかがですか?(説明不足が多々あるので、10万人以上100万人以下という言葉だけが広まっていくのは、ちょっと危険です)。

注: いろいろな計算の方法はあると思います。3万人も十分説得力があります。この目標としての「最少人数の目標値」は、学問的にもう少し精査する必要があると考えています。同様に、面積10㎞四方も、もう少し理論的な裏付けが必要です。

| | コメント (0)

国策としての選択と集中

春の統一地方選挙後半戦真っ只中です。立候補者の皆さま、頑張ってください。

先週結果が出た前半戦を見ていると、日本維新の会が頑張っている、という感じです。馬場代表が「維新の議員が600人にならなければ辞任する」と語った記憶がありますが、皆さん背水の陣、という感じでしょうか。(注:個人的には、Over Shootが起きるのではないか、と心配しています)

さて。先日「人口役割」の話をしましたが(コチラ 参照)、今日はその続きです。

限界集落という言葉は、皆さん聞いたことがあると思います。高齢化等が進み、「集落として維持する限界にきている」という意味で限界集落と呼ばれています。学術的には、その限界集落も幾つかの「分類」がなされているようです。まるで、生物の「レッドリスト」と同じです。

このままでは消滅してしまう危険性を問うているのが限界集落。しかし、限界集落と言われた時点で、ライフラインの維持確保、そして医療の問題などすでに「課題を抱えている」のが実情。それは、集落としての「密度」の問題と「人口役割」を見たせいていないことを意味しています。

これらをまとめると、「健康で文化的な生活」を「許容できる経済負担の範囲で維持する」ための要件を満たした都市計画をしなくてはならない、というのが、無風凧の言う「人口役割」の目標です。適切な例ではないかもしれませんが、はがき一枚配るのに、往復3時間の山道をスクーターで走る、ということが経済定期に許容できる範囲か否か、ということを考えてみて下さい。人口役割の意識を持つことの意味が分かってくるでしょう。

更に言い換えれば。市町村を「企業」としてみれば、少ない方の人口役割は「健康で文化的な生活を提供するための損益分岐点」となります。そのように考えれば、不採算部門は統廃合する。企業なら「事業撤退」「破産(解散)」することが選択肢となる場面ですが、行政の場合は「統廃合」しか道はないのではないか、と考えます。(無風凧は、統廃合よりも良い方法、を思いついていません)。

住み慣れた土地から離れていくのは、心情的にも障壁が高いでしょう。しかし、人口が減っていくなかで、いつかはこのような判断をしなくてはなりません。「ゆでがえる」の例ではありませんが、徐々に悪くなっていく、、、というのが、日本の国力を削ぐという意味では最悪な選択肢だと考えます。

是非、一日もあ薬で、「10Km四方に10万人に統合する」という「人口役割政策」を国策として採用してほしいものです。維新の馬場さん、こういう考え方はいかがですか? 維新の考え方にもあっていると思いますが、、、

注: 人口役割政策の中には、役割としての人数だけではなく「人口密度」の考えが入っていますので、近く名前を変えようと思っています。

| | コメント (0)

コーヒーミルの音

最近、贅沢にも挽きたての豆でコーヒーを淹れている無風凧。先日は、「14秒挽く」という記事を書きました(コチラ 参照)。

ところが。最近は違う方法で「挽き上がり」を判断しています。それは、豆を挽いている音。

注意深く聞いてると、ガリガリ音から段々まったりした音になり、ある時に急に軽くなる、ということに気が付きます。この「急に軽くなった」瞬間から一呼吸置いた時が挽き上がりのタイミングです。まず外すことはありません。

コーヒーを淹れる作業は、視覚的に嗅覚的にも楽しいものですが、最近は聴覚的にも楽しむようになりました。

 

| | コメント (0)

喫茶店にて

昼下り。疲れを感じて喫茶店入りました。頭痛もあり、ちょっとイヤな予感、、、インフルを疑いかけていたのですが。

アマイモノを食べて、5分ほど寝落ちてしまい、、、起きたらスッキリ!

良かった。

| | コメント (0)

詰将棋: 短命記録

土曜日は詰将棋の日!

20230305 今日は、詰将棋おもちゃ箱に採用した戴いた拙作の後日談。作品は右図です。おもちゃ箱で沢山の方にご回答いただき、コメントを頂きました。ありがとうございます。(コチラ 参照)。

𠮷田さまから頂いたコメントに、「二手逆算できるのではないか」というご指摘がありました。おっしゃる通りです。恥ずかしい話乍ら、完全に見落としです。吉田様のご指摘の通り、13の飛車を持駒にし、玉を21に配置することで2手伸びます。

吉田様のご指摘とご慧眼に感謝・感服すると同時に、検討不足を恥ずかしく思います。

飛香二色図式の最長手数記録は、ご回答いただいてる間に塗り替えられてしまいました。これは、明智光秀の三日天下よりも短い? ということで。

「最長手数記録保持期間の最短記録(?)」という記録作品になりました。

追伸: 昨年発表した コチラ の作品も、同様に変更することで、31手詰になります。

| | コメント (0)

MacOS

久しぶりにMacBookを使っています。1Kgを切っているMacBookで、持ち歩くには便利。でもさすがにちょっと旧型になってきました。それに、Safariが古くて、Yahooも表示できない。

そこで、OSだけでもアップグレードと思って作業を始めたのですが。

これまで、MacnoOSアップデート・アップブレードは、アップルマークからクリック数回で後は待つだけ、だったのですが、なぜか今回はトラブル続き。そもそも、HighSierraのLatestで動かしていたのですが、どうもそれがサポート切れだったらしい。

インストールの途中で固まったり、セーフモードで立ち上げても急に落ちたり、、、を繰り返し、なんとも手間がかかる。

先ほど、ようやくなんとかにアップグレードすることに成功しました。でも、、、遅い(;。;)

| | コメント (0)

高齢化社会の本当の恐怖(老人性限定合理性)

昨日、ふとした瞬間に気がついたことです。高齢化社会の本当の恐怖は何か。何が人類にとって脅威になるのか。それは、老人性限定合理性。そしてそれによって導き出される、「多数決の結果」です。

解説します。

人間の脳の働きは、一説には20歳代をピークに退化していきます。20歳代をピークに退化しますが、そこを経験というものでカバーしていく。それが今の人類の営みです。

経験というもの、それは年を重ねるにつれて深くなっていくわけですけれども、もちろん忘却もあります。結果として、自分が正しいと思ったものにだんだん固定化されていく。これが老人性限定合理性です。

少し考えてみればわかりますが、同じ世代の人同士の方が色々な話がしやすいということは皆様も経験があるでしょう。もちろん世代間の会話を楽しむ方もいらっしゃる、しかし、高齢化社会では高齢者同士の会話が弾むという場合が増えてきます。結果として、民主主義の基本である多数決の結果、例えば選挙の結果なども、高齢化社会向けになっていきます。つまり、高齢化社会は、若年の意見を反映しない方向に自己組織化されていくわけです。

医療が進んで、私たちの寿命が延びていく。それは大変喜ばしいことです。高齢化社会になることは必然とも言えます。しかしそこから導き出される帰結が、人類を滅亡させていく方向である(若年の意見を反映しない)とすれば、これは由々しき一大事です。

これに気がついては眠れませんでした。

| | コメント (0)

恩師の言葉

無風凧には3人の恩師が居ます。いろいろな先生・先輩にお世話になってきましたが、この三人には学問のみならず人生や哲学などを教えていただきました。

その中のおひとりに、かつてこういう言葉を頂いたことがあります。

「生物は、自分の特徴を伸ばしすぎて絶滅していった。恐竜の大きさ、サーベルタイガー、などはその嚆矢。人類は、その知能が発達しすぎることで絶滅することでしょう。」

「無風凧さんは、知能の発展を止める商品を生業にする企業の研究員になられました。人類の永続の為に貢献してください。」

人類の知能発展をと止める商品、というのは、まあテレビや昔のいわゆるゲームだったりするわけですが。

2010年以降、時代が変わってきて、テレビ離れしてきました。バーチャル世界に居場所を見つける人も増えてきました。そういう意味では、恩師のいう「知能発展を止める商品」の効果が薄れ、新たに人類は発達を始めたわけです。「ルビコン川を渡った」(コチラ 参照)というのは、大げさではありません。

Eマスクなどは、創発型AIの開発を止めるべきだ、という主張をしています。それも一つの方法です。しかしおそらく、時代に逆行している、ということで合意には至らない。よしんば合意したとしても、その合意を守らない幾許かの人たちに人類の富が集中することも、歴史が教えてくれます。禁酒法のように。結果として、人類滅亡の方向に進むことに変わりはありません。

無風凧は、今、改めて恩師の言葉を噛みしめています。

 

 

| | コメント (0)

ChatGPT狂騒曲

世の中、夜と触るとChatGPT!という感じでバズっています。

今朝のZIP!でも、ChatGPTをあつかっていて、慶応の栗原さんはコメントしていました。最後に「各大学はルールを決めてるようだけど何も言ってないような、、、(無風凧の記憶の文章)」と言っていたように、大学における使い方は、ルールを出しているように見えて何も出していない、というのが実情のようです。

これまでの歴史を考えても。

例えば、言葉の意味が分からないときにGoogle検索をすることは良いことなのか悪いことなのか、が論じられた時期があります。今、論文を書くときにGoogleを絶対に使わない、という方は皆無と言ってよいのではないでしょうか?

英語の論文を書く際に、自動翻訳を使ってそれを手直ししている方も多いようですが、これは、禁止でしょうか?

数学性の世界も同様で、数式処理ソフトを使わない数学者は今や化石でしょうし、それでは世界の研究進化の速度には付いていけない。論理式も人間が考えるより早く正しく答えを出すことができます。(もちろん、一流の学者は、その結果をみて検算はしているでしょうけど、二流以下の学者は、検算すらしていない場合があると推察)。

更には。将棋もAIが実力を上げており、藤井6冠もAIベースで研究。無風凧の趣味である詰将棋だって、余詰め検索はいまやコンピュータの仕事です。

これらに鑑みても、新しい技術であるChatGPTを否定するのは、今のブームにすぎず、20年後にはコモディティ化していることは間違いありません。そのように考えると、いま、利用に制限を加えようとしている方々は、完全に時代の流れを読み間違えていることになります。

無風凧は断言します。

「ChatGPTを積極的に学生に使わせることができない教員は、教員としての素質が低い。」

そんなわけで、今朝のZIPで拝見した「東大の対策」も「教員の総体は大したことないな」と思っています。

追記:
無風凧は、ChatGPTを積極的に使って、「学生の実力」を伸ばすことができます。まだ、効果測定はできていませんが、昨年のうちにその予備実験をしていて、好感触を得ています。

| | コメント (0)

大学の設置基準(大学はかわらなければならない)

丁度、日刊ゲンダイデジタルが同趣旨の記事を出したので、ぜひそちらもご覧ください(コチラ 参照)。

さて昨日の続き。大学のレベルが下がっている、という話までが昨日の話でした。今日は、なぜ大学のレベルが下がっているのか、という話です。大学経営(経済面)の話になります。お断りですが、今日の話も無風凧の「肌感覚」ですから、統計的な論拠はありません。とはいえ、上述の日刊ゲンダイも同じ主旨です。

私立大学は言うに及ばず、ある意味では「営利企業」です。授業料と補助金を収入として、学生を商品として出す。学校教育法では、学芸の専門性を求めていますが、それが現実は生きていない。現実は生きていない、の実例は、大学の設置基準や、第三者機関による点検評価報告書でしょう。

設置基準において、学生のレベル、教育のレベルを審査する条項はほとんどありません。経営状態=学生数見込みなど、は随分審査されます。JUAAやJIHEEなどの外部評価でも、不適切が付くのは経営状態か教員の高齢化がほとんどです。

よって。「教育のレベルが下がっても、経営が成立していること」が大学としての存亡にかかわる、という図式が成立します。かくて、大学は学生募集に奔走し、アドミッションポリシーに満たない学生に入学許可を出し、、、という構図になります。

大学のレベルを審査することは、一概に肯定できません。というのは、審査のための評価軸が決まった瞬間に、それ以外の軸がおろそかになるから。その結果、多様性を阻害してしまうことになるから。しかし、いくら何でも、、、というレベルを切り分けることは可能だと無風凧は考えます。

今日の主張は。結果として大学も営利団体であるため、半数の大学では収入の為に学生のレベルを下げざるを得ない、という現実です。

 

| | コメント (0)

大学の中は(大学はかわらなくてはならない)

では、一昨日の続き(コチラコチラを参照)。

皆さんは、、、というか、無風凧が見聞きする範囲での、大学関係者以外の方がもつ大学の先生は、「末は博士か大臣か」と言われたような秀才・英才が揃っていると思われているようです。少なくとも、「研究もできて教育もうまい」。でも。大学の中に入ってみると、実際は違う、と思うことも多い。以下は、無風凧の肌感覚での大学教員の分類。

  1. 研究することが目的。研究をしたい。その権利のための「義務」として教育に携わっている。ただし、「学芸の中心として(学校教育法52条に記述されている)」という意味で深く専門の学芸を教授研究できてるとは言えないひとを含む。
  2. 研究が一流で、後進を育てることにも熱心な人。非常に稀有で、無風凧は過去に5人くらいしか知らない。(少なくとも、学部教育をしなくてよければしたくない、という教授は②には含めていない。)
  3. 元来研究よりも熱意をもって教育に従事している。このような教員は、研究そっちのけで教育に邁進することがある。
  4. 職業として、「大学教員」であり続けたい人たち。研究も教育も中途半端。
  5. セカンドライフとして「人脈(天下り)」で教員をしている。官僚等の天下りを含むセカンドライフで、定年までの年限が短いので「研究業績や研究業績を上げる必要がない」というところでしょう。というか、昇給昇格や研究成果をあげるより、セカンドライフを楽しむこと是としている。そういえば、大企業の役職経験者の一部も最近は「実務家教員」として重宝されているようです。

次に学生の話。この10年で大きく変わった感じがします。これは、学生の資質やランク(輪切りは悪いと思いますが、一般語として受け取ってください)によって、大きく異なります。

  1. 専門研究活動をしてくて大学に入る(その専門性を生かした研究・若しくは就職をする)
  2. 就職予備校替わり/友達作り(深く専門研究を経験するというよりは、就職のポイントとなればよい、程度)
  3. 親に言われたから/周りがみんな大学に行くから(昔でいうならモラトリアムですが、今の学生をみているとかつてのモラトリアムとは違う)

2と3は、大学卒業の肩書だけを手軽に欲しがっている学制と言い換えてよいかもしれません。このように考えると、学校教育法が定めた大学の目的は大きく変わってきています。

ここ10年、日本の国力が落ちています。それは、高等教育=大学教育の普遍化により、教員も学生もレベルが下がってしまった結果のように思えてなりません。

明日に続きます。

| | コメント (0)

詰将棋: 6手目の局面に注目(初発表作のリメイク)

20230408 土曜日は詰将棋の日!

今日は、過去の作品を逆算して作った作品です。

タイトル: 6手目の局面に注目

この作品は、無風凧の初発表作を復習しているときに見つけました(初発表作は、コチラ をご参照下さい)。

目標は「出現マジック化(注)」することだったのですが、その過程で見つけたのがこの詰将棋です。初発表作とは、持ち駒が変っているだけです。(飛金金銀 → 飛角角金銀)。つまり、持ち駒の金を角二枚に変えた作品です。そして。

なんと! 6手目の局面は、初期盤面に戻ってます。「途中無仕掛け」になっています!

つまり。角二枚を6手かけて金に持ち替えている、という作品です。いかがでしょうか?お楽しみいただければ幸いです。

注: 出現マジックとは、初型の配置駒は詰上がりではすべて同じ場所で、数枚の駒が「出現」することで詰上がり図になるものを指しています。詰将棋作家の三輪様がスマホ詰パラ11786で使われたもの言葉を使わせていただいています。

| | コメント (0)

昨日の続き(大学はかわらなくてはならない)

さて昨日の続き。

大学は何のためにあるのか、から論じる必要があります。

もともと大学は、「大学は、学術の中心として、広く知識を授けるとともに、深く専門の学芸を教授研究し、知的、道徳的及び応用的能力を展開させることを目的とする(学校教育法52条)」という目的で設立されています。

この文言をどう解釈するか、、、は、人によって異なるところでしょう。しかし、例えばこの文言からは「学術の中心」であることは前提ですし、世の中に対しては、

① 知識を授ける ②深く専門の学芸を教授研究する

と同時に

③知的・道徳的・応用的能力を展開させる

ことが求められています。

以下は無風凧の経験に基づく部分が多いので、一般論ではないかとは思います。しかし、「肌感覚」として大きくずれてはいない。

まず、大学の位置づけが大きく変わってきています。世の中で求められている「社会人基礎力(経産省のページ コチラ 参照)」を大学で教えることが求められている。大学でも、就職率が上がることが大学評価の一つだから、力を入れる。この社会人基礎力。昔なら「しつけ」や「義務教育」の範囲です。。。が、今は大学に求められている。

また、例えばデータサイエンティスト教育。現在、理系人間が足りない、ということで文科省は大学にたいして「数理・データサイエンス・AI教育プログラム認定制度」という制度を作って、喚起しています(コチラ 参照)。しかし、この内容を見て下さい。学術の中心として教授研究していることを目的とするレベルはありません。大学のレベルが下がっていることに併せて、学術の中心としての役割を放棄し、職業訓練校化しているように感じる教員は多いことでしょう。

このように考えると、大学は、就職予備校化しています。もちろん、一部の優秀な学生は別ですが、一流校と言われる大学でも同様の傾向にあります。

世の中で求められている大学の目的、これを見直す時期に来ていると感じるのは上記のような話です。日本は法治国家ですから、学校教育法に従っていない大学が求められていてよいのか、と言い換えても良いかもしれません。

つまり。無風凧の本心は、「かつての大学」を取り戻してほしい、と思っています。そのために「変わらなくてはならない」。それについては、明後日。

 

 

| | コメント (0)

国際卓越研究大学について考える(大学は変わらなくてはならない)

国際卓越研究 大学。その詳細は 文部科学省のホームページに譲るとして。無風凧はこの制度に「企業の香り」を感じて仕方ありません。

企業と学校の違い。もしくは、営利活動と教育活動の違い。

営業営利活動は、利益を上げることが求められます。だから選択と集中が重要で、不採算事業はカットされる。教育活動は、上を伸ばすだけではない。底辺の底上げも必要になってきます。いわゆる「義務教育で日本の国力を上げた」というのは、底辺底上げの効果が大きい。その意味で、企業と学校は異なります。

さて国際卓越研究大学。

これは、大学の選択と集中、意外の何物でもありません。態よく言えば「原資の有効活用」ですが、うがった目で言わせてもらえば「不採算大学の排除」ということになります。2023年度は約50%の私立大学で入学定員に達していませんが、そのような大学に研究費を回すよりも、東大や京大に回した方が研究成果が出る、という判断なわけです。

この選択と集中は、繰り返しになりますが「企業経営」の基本とおなじこと。文部科学省がどのような説明をしようと、企業経営と同じです。

さてここからが無風凧の持論。

1)大学教育は、選択と集中を進めるべきです。その意味では、国際卓越研究大学にならない大学はいずれなくなる方向、でも良いのではないでしょうか?

2)その上で。決め方が問題です。学術会議をはじめとして、「国際卓越研究大学を選定する」メンバーは、「国際卓越研究大学を卒業したであろう方々」が大半です。つまり、東大・京大、阪大、名大、東北大、、、だとすれば、お手盛りなってしまう可能性が高い。特に、萌芽研究に関しては、国際卓越大学以外の採択がなくなる → 多様性がなくなる → 衰退する という結果が見えています。選定方法に工夫が必要です。

こうなると。学校教育法でいう「教育」の目的・定義からアップデートが必要になってきます。それはまた明日。

 

| | コメント (0)

権利と義務

先日。大学生との会話の中から。

その学生は、生活困窮者への炊き出し活動に、非常に興味を持っていて、いろいろと熱弁をふるってくれました。しかし、その中で面白い発言。

曰く:

日本国憲法によると、国民の三大義務である「勤労納税教育」の中で、教育を受けさせるというのは、子供が居なければできないでしょう。収入が無ければ、納税はできない。でも、勤労に関しては、少なくとも努力義務があるのではないか。また、国は勤労への努力義務をしていない人に健康で文化的な生活を提供する必要があるのか。

いささか「若気の至り」という感じもしますが、学生のあいだから問題意識を持つことは大変良いことだと無風凧は絶賛します。

先日、人口役割の話を書きましたが(コチラ 参照)、10人しかいないコミュニティーの中に、音楽家は専門家は多分不要。食べるための「役割」をなさなくてはならない。一人が、そして、町が国が生きていくための職業的役割は、必要数がある、というのは自明なことです。「やりたい仕事がないから仕事をしない」というのは、勤労義務の精神からは離れているわけです。

権利だけの主張ではなく、「義務を果たす」ことを、もっと真剣に考えなくてはなりません。

追記:富裕層の中には、「労働をしなくても食べていける」という方が少なからずいます。若いときの貯蓄で生きている、という方もいます。このような方々は、納税の義務は果たしていますが、勤労の義務は果たしていません。皆さん、国民としてどう思いますか?

| | コメント (0)

坂本龍一教授、訃報

かねてより病気療養中の音楽家・坂本龍一教授の訃報が入りました。大変残念です。合掌。

坂本龍一、と言って、最初に思い出したのは、LP時代の音楽図鑑。レコードプレーヤーのない今の生活では、もう聞くこともできませんが、最初に効いた時の衝撃はすごかった。もっとも、クラシックではない。ポップスでもない。広い意味のテクノなんでしょうけど、テクノのノリでもない。随分嵌まったものです。

題名のない音楽界だったと思いますが、芸大時代の作品の演奏に、即興でピアノをあわせた演奏を聴いたことがあります。ピアノ、なんとなく付け足しだなあ、、、というのがその時の印象。もっと、協奏曲のカデンツアのように派手に引いてほしかった。(放送の中で、「芸大は書面審査だから演奏されたのを聴くのは初めて」と話していたことも印象的です。でも、ゲネプロで聴いているだろうし、そもそもとして、音の修正はしたでしょうから、本当の意味での「初めて」ではなかったでしょう)。

最近、病に倒れてからは思想活動の方に随分傾倒していたという印象があります。最後にもう一度、キレッキレの音楽を聞かせてほしかったなあ、、、

改めて、合掌。

| | コメント (0)

誰も望んでいない(民主主義が日本を潰す)

統一地方選挙が始まりました。被選挙人の皆さま、頑張ってください。

ところで。

岸田さんが「異次元の少子化対策」のたたき台を発表しました(コチラ など参照)。これ、完全に統一地方選対策、と無風凧は感じます。だとすれば、だれも望んでいない結果、そして日本を潰します。風が吹けば桶屋が儲かる、ではないですが、その理由。

選挙は、一人一票。年齢的な人口分布は、その総体として選挙結果に影響を与えます。今の人口分布は、少子高齢化。つまり、「子供を作ることができる年齢」の意見が通りにくい構造になっています。

高齢層も少子高齢化には危機感を覚えていることでしょう。だから、「対策」に対して票を入れる。つまり、「異次元の少子化対策」に一票入れるわけですが、この対策自体に問題があります。

それは、「高齢層が次の子育て世代に忖度した対策」だということです。簡単に言えば。これから先のZ世代の考え方を理解していない方々が、「有識者」とか「調査結果」とかして対策をつくり、それが法令化されて順守されようとする。

しかし、その対策では次の子育て世代は子供を作ろうとしない。なんせ、対策が彼らの考えを反映させたものではない。(高齢層の票を集めることができるものではありますが)。よって、子供は増えない。

少子化対策をつくり、そして、それを順守しようとすればするほど、少子高齢化が進むというカラクリをご理解いただけたかと思います。

国会も、随分高齢です。国会議員被選挙権は30歳。生物としての人間の「子作り適齢」を越えています、まずは、この構造を変えるところから対策しなければ、日本は「民主主義が国を潰す」結果になりかねません。

 

| | コメント (0)

ラフティ?

最終的にトルコも批准して、フィンランドがNATOに加盟しました。

これは、ロシアにとっては大打撃、と言ってよいのではないでしょうか?なんせ、1000キロを超える国境線で対NATO対策をしなくてはならなくなるのですから。プーチン氏が、フィンランドのNATO加盟に大反対したこともうなづけます。

無風凧は、かつてロシアーフィンランドの国境を訪れたことがあります。フィンランド側のイマトラから国境線に行きました。ほんの数キロ先にはロシアの「スヴェトボルスク」という町があります。かつてはフィンランド領だった町です。無風凧が訪れた2002年は随分平和な様子でした。。。

ところで。

20230402 今回Google Mapでフィンランドとロシアの国境辺りを見ていて、おいしそうな都市名を発見! その名も「ラフティ」。ラフティと言えば、沖縄風豚の角煮で、無風凧の好物の一つです。なんて冗談はさておき、これはラハティの誤記ですね。アルファベットで書けばLahti。BISレーベルでOsmo VanskaとシベリウスのCDを出したラハティ交響楽団の本拠地です。 (図は、3月31日のスクリーンショット)。

Googleさん、ぜひ、修正をお願いします。

 

| | コメント (0)

詰将棋: 習う

20230401 土曜日は詰将棋の日!

今週の作品のタイトルは「習う」です。

この作品は、スマホ詰パラNos.20040「どいつを消すんだ?(有山隆様作)」をお手本に、工夫してみたものです。課題は、33歩の処理です。なければ簡単な7手詰(もっとも、この作品も13手詰で、簡単です)。

若干の思い出話。

無風凧が詰将棋を作り始めたのは、2018年の初夏。有山様の「気体分子」という作品をみて、「少し改作してみたくなった」というのがキッカケでした。だから、有山様の事を勝手に「師匠」と思っています。有山様がスマホ詰パラに発表されるたびに、色々と勉強させてもらっています。

今回の作品も、有山様の作品をベースに、同じテーマで作ろう、としたというのがキッカケです。「どいつを消すんだ?」とは違う処理の仕方をしたいと思って、成り捨ててみました。いかがでしょうか?有山作の足元に到達していれば、嬉しいです。

▲34角 ▽13玉 ▲22銀生 ▽同玉 ▲32歩成 ▽同玉 ▲23角成(生) ▽同玉 ▲32銀 ▽22玉 ▲44角 ▽13玉 ▲33飛成 まで13手

 

| | コメント (2)

« 2023年3月 | トップページ | 2023年5月 »