神は死んだ、、、
「ツアラストラはかく語りき」の冒頭、ニーチェの有名な言葉です。今日はこの言葉をタイトルに戴きましたが、内容はアダム=スミスの「神の見えざる手」の話からスタートです(注)。
アダムスミスの教えるところは、自由経済環境下では、「価格は、需要と供給の均衡点に落ち着く」というものです。この均衡点に落ち着くのは自然の法則。誰かの管理下で行われるものではない、というものです。この「自然の法則」の部分が「神の御心」と感じる人が多いのでしょう。
しかし、神は死んだ。つまり、価格の調整機能は働いていない。
一番良い例は、日本におけるブラック企業の給料でしょうか。学校の教員、宅配の配達員は言うに老い呼ばず、という感じです。特に学校の教員は、教員数が足りないと叫ばれているいるにも関わらず、給料が上がらない。需要があるのに、価格が上がらないのは、見えざる手が働いていない証左です。その意味で「神は死んだ」。
先日の最高裁判決(コチラ など参照)。教員の残業代に関する判決です。簡単に言えば、「働かせ放題は合法」という判決です。つまり、勤務した労働に対する対価は支払われない。現行法では、給特法があるから合法ということになるのでしょう。裁判所は法律の解釈・判断をする場所ですから、この結果が出てい来ること自体は、自然だと感じます。
しかし、教員のブラック化が叫ばれてすでに相当の時間がたっています。立法(国会)でも手を付けることができなかった領域ということになるのでしょうか。神の力より、「人の作ったルール=法律」が強いことの証明というと、言い過ぎでしょうか。人が作ったルールが神を殺したととられて良いのではないでしょうか。その意味で「神は死んだ」。
そして。上記の例における教員のように、「虐げられている」人たちに対する「救いの手(神の手)」は差し伸べられていません。困った時の神頼みが通用しない、というのも、神様がいらっしゃれば、過労死ラインを越えるような環境での労働は「改善」されるでしょうから。ここにも神はいません、、、「神は死んだ」。
早く、神に生き返ってほしいものです爆。
注: アダムスミスの「国富論」の中では、「見えざる手」と記述されており、「神の見えざる手」ではないのですが、なぜだか「神の見えざる手」という方が多いようです。
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