法の下の平等は実現しているのか?
法律に携わる人は必ず「法の下の平等」と言います。日本は法治国家、法律は誰にとっても平等なものであるという意味です。しかし実際の世の中を見ていて、皆さんはこれは実現していると思いますか?無風凧は、とても実現していない、と感じます。
一番大きな理由は、司法試験の存在。もちろん、法律を熟知した人が必要であるということは言うまでもありません。しかし、全員司法試験を通った、という人達です。例えば法律の解釈一つとっても、同じ考え方をする人達です。解釈の一次性を求めることが司法試験に合格するための必要要件だとすれば、司法試験が存在することによって、考え方が画一化してしまいます。これは本当に平等でしょうか。
この根源の一つは、判例主義でしょう。平等であろうとするがために、過去の判例を参照する。過去の裁判とは差異があるにも関わらず似ているということで同じ判決行おうとする。それにより、今の案件に対して最適な解が出ない。このような考え方をする法律家が多いということも、根源の一つでしょう。
もう一つ。彼らは法律の解釈が問題なのであって、法律の矛盾について解消するということには長けていません。
最近の例で言うならば給特法の問題があるでしょう。教員のほとんどが「給特法はおかしい」と思っているようです。少なくとも、無風会の目から見ても、労働基準法とは相容れない法律なんだな、と感じます。でも。法律のもとの平等、の名のもとに最高裁判決は給特法維持です。
最後にもうひとつ。裁判官や検察の世界も、ヒラメ族がたくさんいます。つまり、上司の顔色を伺う輩です。自分の法解釈よりも上司に気に入られる判断を行うということが行われない、と言い切ることができる人はどれくらいいるでしょうか。結局、信念より人事が強い。もしくは個人の給料は、事実よりも重い、ということでしょう。
このように考えると、日本において法のもとの平等を実現していないと結論できそうです。
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