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COVID-19: 国の仕事

国、というか、為政者という意味での国。法律や制度を作ることができる主体としての国。

この「国」という組織は、憲法によれば「国民主権」ではありますが、しかし、その一方で「混乱を避けるためのルールつくり」が許されている唯一の機関でもあります。

例えば。刑法によって、「殺人」は「犯罪」として決められる。情状酌量その他があったとしても、人を殺せば「殺人罪」が適用される。そして、法律で決められた範囲の中で「量刑」が決められる。

これが、「混乱を避けるためのルールつくり」の一入れです。自動車に乗るときにルールは道路交通法、大学を作るときのルールは大学設置基準というように決められていきます。

今回。文部科学大臣の永岡桂子氏は、それに反することを発言しました。曰く、

「卒業式でのマスクの着用に関しましては、マスクをしなければ嫌だと、出席したくないというお子さんはマスクをして、そしてマスクは外して行きますとご家庭で決められた方は、マスクを外しての参加となろうかと」(コチラ より引用)

いま、マスクをすべきかすべきでないか、は世論を二分しています。いろいろなところで「混乱」が起きています。飛行機に乗る際にマスクを求められたという理由で、飛行機会社を提訴した例もみなさまご存じでしょう。街中でも同様の混乱をこえていさかいに発展しています。

とすれば、国としては「混乱を避けるための施策」をせねばなりません。ここで「個人の自由に任せる」が混乱をさけることにならないことは火を見るより明らか。ここで必要なのは「線を引くこと」すなわち「ルールをつくること」。もうすこし具体的に言えば「マスクを必須とする」「マスクは不要とする」のどちらかです。

これをしないのは、国民に寄り添っているようんに見えて、実は責任転嫁をしているにすぎません。

国民の代表たる国会議員、そして、その中でも選抜された「大臣」ですから、このような簡単なロジックはご理解いただけるでしょう。

是非正しい「判断」を下してください。

え?ただの個人的な発言だって? 影響力は甚大ですよ、永岡さん。

# 無風凧は、この記事で「マスクをするべき」「しないべき」の議論をしたいわけではありません。どちらかに決めないと、混乱がおきますよ、という問題提起をしたいのです。

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