データサイエンスブームに物申す
岸田総理の「情報系大学の定員増」を始めとして、最近は情報系エンジニア不足が叫ばれています。加えて、文科系大学でもデータサイエンスを!という風潮が始まっています。一橋大学のデータサイエンス学部がその嚆矢でしょうか。
データサイエンス、と言えば新しい学問のような気がしますが、一昔前の言い方をすれば「統計学」と言ってよいでしょう。統計学からデータサイエンスへの進化は、ソフトウエアの進化と実社会で扱われるデータが大きくなったこと、それよりも「SNS等で拡散した」ことによるものでしょう。
ここで大切なことは。
いま言われているデータサイエンスは、「道具の一つに過ぎない」ということ。道具を使いこなせるようになることは必要ですが、その先の「応用」すること、もしくは新しい道具を作ることにつなげなくてはならない、ということに気が付いてほしいと考えます。
データサイエンスを否定するものではありませんが、例えば分数の足し算などの「考え方」をきちんと理解することは重要です。その意味では、寺子屋の「読み書き算盤」は今も通用する「基礎」です。読むことが出来なければ新しい知識を得ることもできない。書くことが出来なければそれを伝えることもできない。計算はすべての「数量化の基礎」です。これらをもう一度見直す時期にきているのではないか、と感じるのです。
Fランク大学のデータサイエンス学部を増やすより、中学の「数学」教育の徹底が日本の国力アップには必要だ、という主張をして、今日のブログを終わります。
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