社会的ランキングはいずれなくなるのか?(ランキングについて考える)
久しぶりに、ランキングについて真向からの記事です。
論理的な正しさと多数決の正しさ、この比較って難しいと考えたからです。
簡単な例で説明しましょう。無数凧の趣味の一つ、将棋で考えます。将棋は、今やトップ棋士ですらAIを参照するほど。電脳戦がなくなって公式戦がなされていませんが、藤井聡太五冠もコンピュータで研究しているということですから、私たちアマチュアでは、AI が神様に近くなっています。
将棋のAI について考えてみると。
かつてはプロ棋士のの過去の将棋、つまり棋譜をデータベースとして教師あり学習型に作られていました。しかし今は、ルールだけを教えて、人工知能で教師なしに学習した将棋プログラムの方が主流になっています。
これをランキングの考え方で翻訳してみましょう。人間のさした棋譜のデータベースに従う、というのは、社会的ランキングが用いられていることと同様。そして、機械なし学習の方は、論理に従った原始的ランキング。将棋の場合、勝つことが正しい、と定義することができますから、原始的ランキングが社会的ランキングを凌駕していることを意味しています。
論理が成立する世界であれば、社会的ランキングは正しい結果を導かない、ことを示していると言い換えても問題ありません。つまり社会的ランキングは何なくなるのか、という今回のタイトルの質問に行き付けます。
答えは否。
論理が成立する世界という言葉を間違えてはいけないということ。例えばラーメンの味は、論理的な正しさを証明することができません。社会的ランキングが絶対的な正しさを持たざるを得ないものを、AI に任せてしまうことは、厳に慎まなくてはならないと言い換えてよいでしょう。その意味では社会的ランキングは、永久になくなることはありません。
このことから。
私たちが色々な判断をする場合、民主主義では多数決で決められることが多いわけですが、論理的な正しさがあるものを多数決で求めることは誤っています。論理的な正しさがあるものなのか、社会的なランキングが正しさの源泉なのかを見極めた上で、人工知能の結果を用いなくてはなりません。将棋は AI、ラーメンは人気。このような切り分けでできることが必要なことになります。
皆さん、ランキングを正しく理解して賢く生きましょう。
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