音楽を聴かない日々(好きな音楽2023年1月)
1月。音楽をほとんど聞きませんでした。聞いていたのは、小川のせせらぎや、波の音、焚火の音、、、と言った感じの音ばかり聴いています。
去年の9月頃から時々聞いていたのですが、1月はほとんどそういう「音」を聴いていました。
人は、「自然な音の中で生きてきた」ことの証でしょうか。だんだん、音楽から、「音」に移りつつあるような気がしています。
1月。音楽をほとんど聞きませんでした。聞いていたのは、小川のせせらぎや、波の音、焚火の音、、、と言った感じの音ばかり聴いています。
去年の9月頃から時々聞いていたのですが、1月はほとんどそういう「音」を聴いていました。
人は、「自然な音の中で生きてきた」ことの証でしょうか。だんだん、音楽から、「音」に移りつつあるような気がしています。
Yahooの独自記事として、「新あすの会(新全国犯罪被害者の会、代表岡村勲弁護士)」がとりあげられました(コチラ 参照)。
日本において。犯罪被害者・被害者遺族へのサポートは本当に弱い、と無風凧も思っています。
上記記事からもお判りいただけると思いますが、日本においては「加害者」に支払う国家予算の方が、「被害者」に支払う予算よりも大きいのです。ありえない!と思いませんか?
無風凧は、岡村弁護士の「新あすの会」に賛同です。(新あすの会のホームページは コチラ )
と同時に。
日本において、もう一つ、ないがしろにされている被害者があります。それは、いじめ等に起因して精神的なダメージを受けた「患者」に対するサポート、適応障害と言われた方々へのサポートです。職場環境になじめない、という場合、現在は「新参者が悪」「新参者が起因」とされることが多いですが、実際は「ムラ」社会型である日本の風土的いじめに相当することが多い。結果として転職を余儀なくされたりPTSDになったりした場合の補償など、まったくと言ってよいほど手付かず。大企業に所属しているなら「休職」期間はいくらか手当てが出ますが、昇給もできず、結局退職に追いやられる、、、ことなど考えれば、まったく不十分なサポートと言えるでしょう。
結果として、日本はなんでも「やられたもの負け」な社会。弱肉強食と言えば、動物の常ですが、ヒトは、社会的な動物。社会的、という言葉の含む意味の一つとして、「やられた者のためのサポート」を加えなくてはならないと思っています。
米医学部ランキングに「ノー」、名門校が続々データ提供停止(コチラ 参照)
という、刺激的なタイトルの記事がアップされています。
タイトル通りで、米国の有名大学医学部が、大学ランキングに使われるデータの提供を止めた、という内容の記事です。
まず、ランキングに乗ることからの脱出を、無風凧は「ランキングからの解脱」と呼んでいます。この解脱は、仏教でいう「六道輪廻からの解脱」と同じ意味で使っています。
「ランキング」、THEやQSが行っている大学ランキングは、基本的に合成ランキングです。幾つかの指標に従って定量化し、それを足し合わせる。だから、指標にあるものの数量を上げ、無い指標は手を抜いても良い。
極端な例ですが。「外国人留学生受け入れ数」がランキングの指標に入っている場合、「外国人枠」を作ることにより、ランキングを上げることができます。ここで、外国人枠の応募する学生が優秀か否かは関係なく、「ランキングが上がる」。論文数を評価するランキングなら、質より量で論文を書くことになるから、「長期的な視点での基礎的な研究」より「すぐに論文かできるケース中心の研究」が増えることになるでしょう。こうなると、研究の質が下がっているにも関わらず、大学のランキングは上がっていきます。
このように。「ランキングの向上を目指す」ことは、その呪縛から逃れることができません。上がれば下がるのは世の常。あたかも六道輪廻のようなものです。ここにいる間は「涅槃」に行くことはできません。もうお分かりかと思いますが、ここでいう涅槃とは、「本当の意味での研究の質を上げる」。
という意味で、ランキングからの解脱は、新の実力を目指すための第一歩、なのです。
土曜日は詰将棋の日!
今週は、詰将棋おもちゃ箱(こちら)に投稿した年賀詰です。
タイトル: VUCAの時代
時代はVUCA(不安定・不確定)。その第一作は、詰将棋おもちゃ箱の年賀詰に投稿して、採用していただきました。(コチラ 参照)。詰方の4枚の駒は、何れも変更が可能です。不確定な詰将棋なのです。
14,34は、金桂香歩
24,44は、銀桂香歩
のどれを選んでも良い。ただ、詰方の配置駒を全部「桂」にはできません、、、というのは、詰方の持ち駒に桂があるから、盤上に4枚は並ばないのです(五枚目の桂が必要になります)。
見どころという程ではありませんが。4手目は限定です。
お気が付きの方もいらっしゃると思いますが、このブログでアップした「VUCA時代に法華経三昧(コチラ 参照)」と双子です。還元玉にはなっていませんが、詰み上がりは綺麗だな、と思います。
トヨタの次期社長が発表になりました。(コチラ 参照)
昭男氏が社長を退く。内山田氏も会長から退く。
新社長の佐藤さんは53歳。13歳若返ります。丁度一回り、というところでしょうか。
時代に追いつくためには、時代に越されないトップが必要。言うまでもないことです。
それが出来るトヨタは、やはり一流企業ですね。
# ただし、決まり方が公平な場合、ですが。
本当の英語力、って何でしょうね?
英語じゃなくて、日本語でも本質的には同じでしょうけど。
「理解できない時には理解する手段を知っている」
ではないでしょうか。文脈から意味を類推する、辞書をひく、相手に訊く、などなど。
少なくとも「文法を正しくしっていること」ではない。
昨年11月の都立高校の英語の試験(コチラ 参照)。中学で習っていない文法が出たことが良いとか悪いとか。
そもそもとして、コミュニケーションの問題ではないと思うのです。英語のスピーキングのもんだいとして、あまりに的を外している。あまりに些末事。
ChatGPTが、ペンシルバニア大のMBAに合格したそうです。つまり、ChatGPTレベルであれば、英語のコミュニケーションがRealTimeに出来る日が来ているわけです。
そう思うと、都立高校の英語のスピーキングに関する問題は、色々な意味で的がずれているような気がします。
暴力・体罰は絶対にいけない、という世論が形成されたのは、戸塚ヨットスクールが新聞記事になったころだったでしょうか。その頃、児童虐待もやり玉に挙げられていました。結果として、どんな場合でも体力・暴力はいけない、という風潮が出来上がりました。
では、紹介の記事を見て下さい(コチラ)。
学生の態度があまりにひどい。教員だって人間ですから感情があります。暴力はいけない、と知っていても、感情が抑えられなくなることを止めることが100%求められるのはむりではないでしょうか?
失礼な態度、というのをどのように定義するのか、という問題はありますが、原因は学生側ではないか、と思うのです。その原因を解決することなく、暴力だけを取り上げるのは、なにか合点がいきません。
やくざさんの因縁とおなじようなもの、といってもよいのでしょうか?ちょっと違うかな。第二次世界大戦の前の国政連盟みたいなもの?という方が正しいかもしれません。そんなわけで、悪口を言われ続けて、反発して手が出た場合、100%手を出した方が悪い、というのは不公平な気がします。悪口を言った人が半分以上悪い。
原因に対する解決無くしてペナルティを与えるのは、世論が間違えていると無風凧は断言します。
# 無風凧の廻りでも似たような事件がありました。原因を作ったのは体制側のメンバー。体制側の意見のみで判断が下され、本来何も悪いことをしていなかった無風凧の友人は、理由を確認しようとしただけで反体制とみなされて解雇となりました。
経済学において。効率的な投資は一般に「得意分野を伸ばすこと」。PPM分析して負け犬を外していく、というのはまさにこれですね。得意分野を伸ばす、という手法は、個人の趣味や学力、色々な場合で実感することができます。
ここで問題です。
1)大学学費をゼロにする=学問が得意でない学生に投資する
2)成績の良い学生に奨学金として投資する
どちらが効率的でしょうか?2)であることは明らかです。
学校の成績が悪い学生を、一概に排除しろ、という暴論を吐くつもりはありません。ただ、「やる気も無い大学生=モラトリアム以下の人種」を量産するために税金を使うというのは、あまりに「無駄」と考えます。それであれば、大学学費ではなく「得意分野を伸ばすための支援金」として配る方がはるかに効果があるでしょう。 分数の足し算ができない学生に経済学部は向いていません!(実際は、東大にもいるらしいですが)。
ひさしぶりに、「ひろゆき氏」の論に賛同しています(コチラ 参照)。
土曜日は詰将棋の日!
今週は、無風凧お得意の「双子の詰将棋(三つ子四つ子となることもありますが)」。先週の詰将棋(コチラ 参照)の修正作業中に思いついたものです。
今回の主張は2つ。
①形が前回とほとんど同じ(コチラ 参照)!。今回もVUCA(つまり、駒種非限定)の時代になっている部分もあるのですが、42だけは桂から変えられません。
②無仕掛けの出現マジック(初期画面と詰上がりで、駒が出現しているだけ。初期の駒はそのまま)。
最近、無仕掛けの出現マジックを、いくつか発表してきました。
二枚出現:2022年11月12日
三枚出現:2023年1月14日
四枚出現: 今回
今回は4枚。皆様、お楽しみいただけますでしょうか?
19手詰。もちろん、玉は11で詰みます。以遠打と成生のキズがあります。初手33角では詰まないと思いますが、不安は残ります(樹形図分解して、柿木正方向で2時間チェックでの確認です。余詰検索は48時間で、最後まで行かず、でした)。
少しだけ背景。 前回発表した作品は、1月7日発表作の余詰修正作。余詰のご指摘を頂き、随分反省をしました(ご指摘には本当に感謝しています)。そして、余詰検討しているうちに、見つけたのが今回の筋です。筋、というよりは配置パターン、という程度かもしれません。
注とお断り: 三輪勝昭様がスマホ詰パラでご提案なさった「飛車角二枚」の出現マジックとは異なる「出現」をしています。その意味で、定義が違っていることをお断り申し上げます。
東京工業大学と東京医科歯科大学が合併します。その名前の発表があり、東京科学大学になるそうです。
無風凧は、東京ICO大が良いと思っていたので、ちょっと残念です(コチラ 参照)。
ネット上の記事を見ていると、英語名称が東京理科大学とかぶるのではないか、という意見が多いようです。確かに紛らわしくなりそうです。
無風凧的には。専科大と東科大 が紛らわしい。漢字を見た瞬間の判断です。専と東は意外と間違えやすい? 専門職大学とか専門学校とか単科大とかありますが、その一種?と見えてしまいます。
というところで、変な名前に決まったなあ、、、という気がします。
# 至誠小学校や成徳小学校の名前の決まり方のごたごたを見ていると(コチラ など参照)、東科大は、どの程度の人の支持を得ていたのだろう?という気がしてきます。
政党を英語で書けば Political Party.つまりの「政治におけるパーティー」。
パーティー=Party。皆さんも卒業式や誕生会などで経験したことがあるでしょう。あのパーティです。
語源は、「部分」を意味する「Part(パート)」。
国を司る政治の「部分を担う」という意味で「Party」なのです。
ところが。
大きな「Party」が力を持つ。「ちいさなParty」が「提携して大きなParty」になっていく。
さらに言えば、Partyに所属しなければ「政治の一部を担う」スタートラインに立つ=立候補すらできない(実際は無所属でもできますが、当選する確率は限りなくゼロに近い)。
昨日も立憲民主党と維新の会が手を組むという話が出ていました。
Partyがだんだん「全体」を目指す、、、なんとなくおかしい気がしませんか?大きなPartyに対抗するために結託するのは、支持でも合意でもありません。戦略です。
ネットの時代、新しい「政治の仕組み」を作ることができると考えています。
久しぶりに、COCID-19に関してのEvidence Baseの話(注)。
この図は、John Hopkins UniversityのDashboardの1月18日(日本時間)午前6時半のものです。日本全体の感染者数と死亡者数の推移を示しています。横軸は週単位です。
上が感染者数。下が死亡者数。感染者数の週次は第7波を越えていませんが、死亡者数は超えている。これは何をいみしているか。
1)カウントされていない感染者=自宅療養で治る人や、そもそも発症しない感染者が増えて生きている、ということを意味していると考えられます)
2)そもそもとして、重症化率・死亡率が上がっいる。
どちらかですが、今のところWHOの発表では、オミクロン以降に2)を示す兆候は無いようです。ということは、1)が増えている、ということに帰着します。
では次に。(できれば、コチラ を先に読んでください。)
無風凧は、第8波の週次の死亡者数のピークを2500人程度。そして、死亡者のピークは2月と予測しています。上述の2500人は前倒しで「実現」してしまいました。死亡者ピークは、感染者数ピークの後に来ますから、その意味では、死亡者の週次の数字はまだ増える可能性がある、とこのデータは物語っているようです。
死亡率は季節性インフル程度、とのことですが、それでも感染者数が増えれば絶対数が増えます。その点を忘れてはいけません。
そして、感染者が増えれば「変異株が増える可能性が高い」ということも事実(コチラ 参照)。感染拡大対策を今一度、徹底しませんか(注2)?
注: 死者の内訳や、死因の究明など死者数の算出方法には異論がありますが、まずは、JHUのデータを信じての議論です。データを信じる信じない、は別のスレッドにしましょう。
注2: マスク不要論者をはじめとする通常に戻すべき派の方へ: 今の感染状況が季節性インフルエンザなら、学級閉鎖や学校閉鎖になるレベルです。高齢者向けに、同様の施策を考え、徹底することを考えませんか?
また、国民のコンセンサスとして、「COVID-19での死亡率は、年齢別に〇〇%です。それを許容する社会にしましょう」というキャンペーンを張ってください。今大切なことは、「マスクをするかしないか」、ではなくて、「致死率を受け入れることができるかできないか」が最も根本の問題ではないでしょうか。
最近。ちょっと聴覚過敏が顕著です。なので、電車などでは耳栓をしています。
ところで。耳栓って、なくしやすいいと思いませんか? ついつい片方がなくなってしまう。
先日。ヒャッキンに行ったときに「ひもでつないでいる耳栓」を発見しました。普通の耳栓がひもでつながっているだけ。子供用の手袋がなくさないように毛糸でつながっているのと同じです。
たったこれだけですが。なくさなくて済みます。
もう半年以上、無くしていない。無風凧史上、最長不倒です。お陰で、すこしだけ楽な毎日を過ごしています。
サッカーの本田選手や、イエール大学の成田准教授が口火を切った「ラーメン2000円論争(コチラ など参照)」。
ホリエモンの1万円発言もあったりして、エンタテインメントとして楽しく見ていますが。。。成田さんではないですが「適正価格はいくら?」となると、経済の初級問題として面白いものになります。
まず。「ラーメンの適正価格は何を基準に作成するのか」という問題。
それから、成田さんがいう「消費者物価はどの程度の上昇率が適正か」という問題。
ともに、大学1年生でも答えられるはずですが、経済学者が本気で考えてもすぐには答えが出てこない難問でもあります。今日は後者を考えてみましょう。
「消費者物価指数の上昇率は、2%が目標」と黒田さんが言ったのはもう10年近く前です。世界経済の安定のため、消費者物価指数は2%上昇が適正という「世界のコンセンサス」が採れています。(本当に2%が最適であるか、については論争があります)。では、ラーメンが2013年に700円だったとして。10年後に幾らであるか。 700× 1.02^10 =700 *1.22= 850円。成田さんのいうような2000円、という数字は出てきません。
バブル前の1982年ころ、無風凧の記憶ではラーメン一杯350円~500円程度。それから40年、価格は1.02^40=2.2倍程度になります。これでも700~1100円。というか、、、今の実売価格、意外と2%の伸びをしてきたのではないのかな、と思ってしまいます。このように考えると、成田さんのいう価格は「いつの価格を基準に考えるのか?」が大切なことになります。
成田さん、2000円はどこから出してきた数字ですか?
ということで、「消費者物価指数向上の観点では、2000円が適正は根拠が薄い」と結論できそうです。
補足: 成田さんが「物価が上がっていく必要がある」という意味で2000円と発言していることは理解しています。だから、否定はしません。ただ、例としてラーメン2000円、はちょっと適切ではなかったような気がします。
蛇足: 缶ジュース。一本100円の時代が長かった。そして、今でも120~130円。 これは明らかに「もっと高くなっていても良い」例でしょう。ドトールのコーヒー。1985年ころは150円。今230円。1.7倍。 物価指数的にはもう少し上がっていても良いかもしれませんが、企業規模が大きくなっているので、企業努力の範囲と言えそうです。
最近のAIブーム。無風凧はある意味で「恐ろしいなあ」と思うことがあります。今回は、「400年前にAIがあれば、ガリレオは助かったのか」を考えてみましょう。
ガリレオは、天動説を唱えた人。そして「それでも地球は回っている」と言って拷問にあった、と語り継がれています。まあ、裁判の史実がどうかは別にして、当時AIがあったら、ガリレオの「天動説」は救われたのでしょうか?
考えるべきは3つでしょう。
1) ネットがあったとして、データマイニングをした結果として天動説が支持されたか。
2) 太陽や星々の動きをデータ解析して、物理現象としての天動説を導出できたか。
3) それを世論が支持することができたか。
人は、正しいと思うものをだけを信じる動物です。だから、自分が信じていないものがいかに真実であっても否定する。物理的や化学などの実験をしてみせても否定する。だから、ネット上に「地動説が正しい」という世論が多ければ、Web上をスクロールしてデータを集めても、その結果として導出される結果は「地動説」。ChatGPTをはじめとする「優秀なChatBot」も、地動説を支持していたことでしょう。
太陽や星々の動きのデータを解析して天動説を導出できたか。これもおそらくは否。というのも「天動説のモデル」が無い限り、教師無しに天動説を唱えることはあり得ません。その意味で、AIに「正しいモデル」を入れることは重要です。
そして、これが最も大切。結果としてもし「天動説」が示唆されたとしても、当時のローマ教皇庁はその結果を支持しない。だからキリスト教下の国民は、天動説を支持することはない。
つまり、、、ガリレオは助からなかったということが導出されました。
さて。
今の世の中でも同じようなことが起きていないでしょうか。例えばCOVIDー19に関して、「報道される資料」は、だれかが信じることができたもの。将来予測も同様。このように考えると、人工知能がいくら賢くなっても、人の知能が上がらない限り結果を正しく運用することができない。
物理現象のように「世論とは関係なく真実は一つ」の場合でも、上述のように「間違い」が支持されることがありうる、という話です。前回(コチラ 参照)の社会ランキングの扱いと同様と考えてよいのかもしれません。
続きはまた後日。
先週、余詰で検討としていた年賀詰3、三度目の正直!で本日再度アップします。(先週1/7の記事もご覧ください。コチラ)
タイトル: スマパラの2023握詰+無仕掛け出現マジック=年賀詰3
2023のスマパラの握詰のお題は、角2,金3,銀2、香2,歩3、玉方の玉 です。今年は双玉ではなかったので、無仕掛けに挑戦しました。
出現マジックは狙いました。冬休みに「幻の城」を少し勉強したので。(1/7の記事にも書きましたが、今回の出現マジックは、三輪勝昭様がスマホ詰パラで発表された「2枚の出現マジック」とは異なっています。3枚出現しています。)
本当は、玉を除くすべての配置駒で「変更可能=VUCAの時代シリーズ」にしたかったのですが、42だけはどうしても歩でないとダメなようです。
それから、銀を一枚盤面に置くのも必須なようです。ただ、53の場合は成銀でも良い。ということで、変更可能条件は下記の通り。
1) 銀は必ず使う。 51成銀、53銀、53成銀 のどれか。51成銀の場合は、次の2)に従う。
2) 歩と香は、42を除いて入れかえ可能。但し、5筋に置くもの(51もしくは53になります)は、成香もしくは と金 にする。 15,25,35は、歩と香どれでも良い(握り詰の範囲で入れ替えてよい)。
柿木の余詰検索、PCを約3日間回し続けましたが、その範囲では出てきていません。また、樹形図描いていくつかの危なそうな局面で順方向に詰手順検索もしています、、、単なるいいわけですね。 もし、また余詰あったら、この素材はいったん諦めです。うまくできていることを祈りつつ、、、
想定している詰手順(15手詰)
▲33角 ▽22飛A ▲12銀B ▽同玉 ▲13金 ▽同玉 ▲14金 ▽同玉 ▲32角 ▽13玉 ▲22角成C ▽同玉 ▲23金 ▽11玉 ▲12飛D
A: 飛に限定。香は同手数駒余り。
B: 金の場合は7手目が14銀になる手順前後のキズ。本当は同角の紛れの検討が一番不安です。
C: ここは、▲14金に▽12玉▲22角成▽同玉▲23金 の迂回手順のキズあり
D: 最終手余詰多数発生。▲21角成▽同玉▲22飛▽11玉▲21飛成 にしたかったのですが、、、
第8波が吹き荒れる中、「咳をすると周りのひとが嫌がるだろうな」と思い、最近のど飴をなめることが多くなりました。
少しの「咳」でも、不快に思う人はいるでしょうから。
デブ対策でのど飴も舐めなくなって幾星霜、久しぶりに舐めると意外と美味しい。
いわゆる「かりん系」「龍角散系」などなど、どれをなめても「美味しい」と感じます。
2,3日の間は、とても幸せな気分だったのですが。
一日に、10個を超えて舐めると、皆様もご経験があるかと思いますが、舌が荒れてきます。熱いコーヒーを飲めなくなります。
ここで。
「のど飴とコーヒーどちらをとるか」
という究極の選択を迫られました。そこで無風凧がとった策は。
「コーヒーの方が優先順位が高い。だから、人と接する間だけ、のど飴を舐める」
幸い、いまは個室での仕事が多く、リアルでの人との会話はほとんどない。結果として、一日に5個程度にまで減り、舌の荒れも治ります。
そして。
研究をしながらおいしいコーヒーを飲んでいます。
久しぶりに、ランキングについて真向からの記事です。
論理的な正しさと多数決の正しさ、この比較って難しいと考えたからです。
簡単な例で説明しましょう。無数凧の趣味の一つ、将棋で考えます。将棋は、今やトップ棋士ですらAIを参照するほど。電脳戦がなくなって公式戦がなされていませんが、藤井聡太五冠もコンピュータで研究しているということですから、私たちアマチュアでは、AI が神様に近くなっています。
将棋のAI について考えてみると。
かつてはプロ棋士のの過去の将棋、つまり棋譜をデータベースとして教師あり学習型に作られていました。しかし今は、ルールだけを教えて、人工知能で教師なしに学習した将棋プログラムの方が主流になっています。
これをランキングの考え方で翻訳してみましょう。人間のさした棋譜のデータベースに従う、というのは、社会的ランキングが用いられていることと同様。そして、機械なし学習の方は、論理に従った原始的ランキング。将棋の場合、勝つことが正しい、と定義することができますから、原始的ランキングが社会的ランキングを凌駕していることを意味しています。
論理が成立する世界であれば、社会的ランキングは正しい結果を導かない、ことを示していると言い換えても問題ありません。つまり社会的ランキングは何なくなるのか、という今回のタイトルの質問に行き付けます。
答えは否。
論理が成立する世界という言葉を間違えてはいけないということ。例えばラーメンの味は、論理的な正しさを証明することができません。社会的ランキングが絶対的な正しさを持たざるを得ないものを、AI に任せてしまうことは、厳に慎まなくてはならないと言い換えてよいでしょう。その意味では社会的ランキングは、永久になくなることはありません。
このことから。
私たちが色々な判断をする場合、民主主義では多数決で決められることが多いわけですが、論理的な正しさがあるものを多数決で求めることは誤っています。論理的な正しさがあるものなのか、社会的なランキングが正しさの源泉なのかを見極めた上で、人工知能の結果を用いなくてはなりません。将棋は AI、ラーメンは人気。このような切り分けでできることが必要なことになります。
皆さん、ランキングを正しく理解して賢く生きましょう。
野良猫を保護することを目的としていた「ねこホーダイ」が、サービスを停止しています。
野良猫保護は賛同を得られたのだと思いますす。しかし、「終生の面倒を見なくてよい」ということには、「生き物をモノ(無生物)として見ている」というビジネスモデルには、反感が集まりました。
テレビタレントの坂上忍さんも動物愛護活動をしていますが、大変苦労されているようです。
ということで、今日は動物保護活動はビジネスになるのか、を考えてみます。
実は。
動物保護活動と医療は似たビジネスです。
病院は、患者が増えなければビジネスとして成立しませんが、医療行為の目的は患者を減らすこと。
動物保護活動は、保護対象の動物が増えなければビジネスとして成立しませんが、保護活動の行為自体がそのような動物を減らすこと。
病院は、ビジネスとして成立しているように見えます。でも、無医村、無医島があるように、だれでもどこでも、というビジネスにはなっていません。これは、結果として「患者の絶対数」が、「医者の維持費」を賄う数より少なくなるからです。結果、患者はいるのに医者はいない、という状態が生じます。
動物保護活動も現状でビジネスは成立していません。これも保護対象動物は多いのに、「それを賄う飼い主数=動物を維持するだけの財力」が不足しているからです。
動物愛好家は沢山います。でも、保護対象動物を保護するには資金が足りない。寄付やボランティアでは限界があります。
ということで、動物保護活動は、いまのところ無医村とおなじ構造で「ビジネス不成立」になっています。
さて。
では、どのようにすれば、かわいそうな動物たちを助けることができるでしょうか。それはまた改めて。
昨夜は。ちょっとした思い付きで寝袋で寝ました。家の中でキャンプ気分を楽しもう!という魂胆です。
寝袋は冬用。寝袋の上に掛け布団と毛布。そうそう。ベッドの上です。
結果。
家の中の寝袋は、思っていたよりも快適でした。
よく、柴わんこがベッドの間などの狭いところに潜っていきますが、その気持ちが分かるような気がします。狭いがゆえに、空間占有率が上がって、「自分の寝床感」が増える、と感じているのでしょうか。
今日も、寝袋で寝てしまいそうです。
2022年4月1日から、日本における「成人」が18歳になりました。
そして昨日、一回目の「成人の日」を迎えました。ネット上、意外との記事にならなかったなあ、、、18歳or20歳論争は、ほとんどありませんでした。というのは、各自治体が「成人式の対象年齢は20歳(コチラ など参照)」と発表していたためでしょう。と同時に、例年「若者の暴走」が記事になっていましたが、今年はそれも見られなかった。3年振りの「制限のない成人式」なのであれるかなあ、、、と思っていたのですが、その傾向は見えませんでした。
成人の日の原型は、奈良時代から行われていた「元服」「裳着」です。いわゆる「大人になる通過儀式」。この時点から「大人」として認められるという意味では現代と変わりません。ですが、古来、15歳ころ(諸説あります)だった儀式が、第二次世界大戦後に20歳になったという経緯があります。その意味では「18歳に若年化したことにより、昔に戻った」ともいえるでしょう。
でも。実際は人生50年時代の15歳と、人生80年時代に20歳では、「割合」でいえば、50年時代の15歳の方が年嵩になります。多分ですが、当時は人口の中央値だったのではないでしょうか。富士山型から釣鐘型を経て棺桶型になってしまうであろう日本で、現在の中央値は48.4歳(2020年、総務省発表)。老年化が進んでいます。この老年化は「社会の中心となる層」の老年化の原因の一つです。だから、今は「40歳はひよっこ」という扱いが多い。どうかすると、50歳でもまだまだ、という感じです。
廻りを見ていても、「成人してもまだまだ子供」「社会の中核としての働きをさせてもらえない」人が多い。特に、意思決定の部分では、明らかに劣っている。。。というか、権限移譲がされていない。つまり、爺さんたちは、「18歳はおろか20歳でも30歳でも本気で成人とは思っていない」
そのように考えると。
成人式は50歳、というように「高年齢化させる方がよかったのではないか」と考えてしまう無風凧です。
お正月休みが終わり、またぞろCOVID-19の感染者数が増えてきました。全数把握は止める、という話もありましたが、結局ニュースバリューがあるんでしょうね。今でも報道されています。
COVID-19による一日の死者数も過去最高を記録しました。この死者数は、COVID-19に罹患していたらすべてカウントされますから、「直接の死因のみ」という訳ではないようです。基礎疾患が無ければ重症化も死亡もしない、という話もあります。しかし、COVID-19によって人生が幾許か短くなったことは間違いないでしょうし、超過死亡数もプラスのままです。
COVID-19が弱毒化し、死亡率が下がったことは事実でしょう。報告されていない感染者数を考慮すれば、現在考えられている以上に死亡率は下がっているでしょう。しかし。感染者数が減っていないことも事実。そして。COVID-19に関して真理があるとすれば、
感染者数が増えると変異確率が増える。⇒ 変異を減らすには感染者数を減らすしかない。
変異することでワクチンを回避するウイルスが出現する可能性が増えます。ワクチンの効果が半減すると、重症化率が上がります。ワクチンの効果を守るためにも「感染者数を減らす」ことが重要になります。
繰り返しますが、「感染者数が増えると変異確率が増えます」。だから、感染者数を減らすための最大限の努力をしましょう。
東京都の小池都知事が、年始早々ぶち上げてくれました。チルドレンファーストの5000円バラマキ(コチラ など参照)。
エコノミスト、政治屋、そのほかいろいろな方が言いたい放題言っていますが、おおむね「反対」の方向です。
1) 一律ではなく、必要な世帯におくるべき。
2) 5000円は少ない。
御意見はもっともかもしれません。でも。チルドレンファーストの言葉に隠されてしまい、もう一つの問題を突いてないいない。優秀な人にありがちな「課題は分割して小さくして解いていく」ことに慣れているため、「もっと根本的な問題=ほかの課題と相乗効果的解決」が視野に入っていない。
その相乗効果は、COVID-19のみならず、日本のGDPが上がらない。それは、つまるところ消費が少ないから。消費を上げるための工夫が必要です。少ないところからでも構わないから、消費を上げる。
その消費を上げるための施策の実現性が無い、という意味で、無風凧は「意見アリ」です。
5000円は少ないかもしれないけど、ないよりはまし、と考えれば、2)の反対は成立しません。生活困窮者に届けるという意味では、1)は必須。そして、「必要でない世帯」には「消費の拡大=GDP向上」の役割を担う仕組みにすれば、三方一両得です。そのために何が必要か。それは、生活困窮世帯は「まずは貯蓄」と考える世帯が多いですから、保護Moneyの意味を強調するためにも消費の拡大=すぐに使う、必要があります。
そのためには。時限Moneyとして配る、ことを提案します。毎月1000円。電子マネーで配る。時限です。今月使わなければ、来月は支払わないようにすれば、おのずと消費が増えていきます。これを5カ月、、、いや、1年続けるというのはどうでしょうか?
中抜きの提案になってしまいましたが、今のままの5000円バラマキ施策から、時限5000円バラマキに変えるだけで、日本の経済は幾許か向上します。
(1/8 修正中: 1/7に修正をしたのですが、更に余詰が発見されました。なので現在修正中です。 以下の記事は、一度目の修正後のものですが、作品としては超手数の余詰あります。ご指摘くださった方に、最大級の感謝をお送りするとともに、ご愛読の皆様にはお詫び申し上げます)
土曜日は詰将棋の日!
今年の第一回は、「企画ものとして」はとっても自信作ですが、手順前後と迂回の傷があります。
企画の説明:
1) まず。今年のスマパラの握詰は「角2、金3、銀2、香2、歩3」 です。それを使った詰将棋です。(スマパラは引退したので、投稿しません)。
2) そのうえで! 「出現マジック」になっています。詰み上がりの図は、この初期配置図に詰方の駒が3枚加わるだけ。玉が雪隠に入って15数える間に、詰んでしまいました!(「出現マジック」は、冬休みから「幻の城」を勉強しているので、三輪勝昭さんへのオマージュです。でも、三輪さん流の「二枚出現マジック」の実現は難しく、3枚になりました。ちなみに、最終手余詰を使えば2枚になります。)
3) ちなみに。無仕掛け還元玉になっています。。。出現マジックで、無仕掛け、詰め方が駒を取らないので、当然といえば当然なのですけど。
4) 握り詰なのでおまけしてもらうとして。握詰の範囲で玉方の駒はすべて「変更可能」です(つまり、VUCAの時代シリーズ)! 51の金だけは、持ち駒の銀を成銀としての入れ替えになりますが、、、歩と香は、入れ替え可能です。(その上、1,2,3列の歩は桂に変えることができます。)。ただし。42を歩にするときは、53は成駒にしてください。、、、「VUCAの時代」については「2023年の年賀詰(コチラ)」も参照してください。
詰将棋としては。2手目の限定合だけが見どころでしょうか、、、、作り手としては、53の配置が、最も頭を使ったところです。
追記: 当初の図面・記事とは異なっています。42が歩の場合に、長手数の余詰がありました。上記図は、おそらく大丈夫とは思いますが、、、検討不足がありましたら、ご指摘ください。当初42歩の場合の(5手目45角が成立すること)をご指摘くださった方に、感謝とお礼を申し上げます。
正月。ふとしたことで、J.S.Bachのインベンションを聴きました。ピアノを習った方には、必ず「いじめられた記憶」がある曲です。なので、Etudeとしてとらえている方が多いのではないでしょうか?
今でこそEtudeのように使われるこの曲ですが、当時は「Invention=発明」だったわけです。通奏低音として扱われた居た鍵盤楽器を、両手つかって二声以上扱えるようにする先鞭をつけたのは、間違いなくBachの功績と言ってよいでしょう。その意味では、BachのInventionが無ければ、Beethovenのピアノソナタも生まれなかったわけです
さて、ここからが今日の本題。
BWV772から始まるInventionは、「インベンション=発明」と名付けられています。新しい試みを実現化することは、invention。最近、経済界で求められている Innovationとは、違う言葉です。新しい事業をおこせ、起業しろ、そのためにはイノベーションが必要だ、、、、というそのInnovationは、シュンペーターが本来は「New Conbination=新しい結合」と呼んでいたもの。ある時期から、シュンペーターがInnovationというようになり、今では世界の共通語のようになっています。でも、「新しい結合」です。右のものと左のものを「つなげること」がInnovation。
つまり。シュンペーターの定義した5つのイノベーションは、どれも「発明」は入っていません。想像や空想に相当する意味もない。新しい価値を生み出すのではなく、これまでの価値をどのように最大化するか、を論じているに過ぎない。
この視点で見ると、ビジネスモデルなんて言うものは、ほとんど「New Conbination」にすぎず、これまでの価値の再分配するのがせいぜいです。まあ、思いついた人の「経済的な利益」にはつながるでしょうけど、それ以上のものではない。大学における経営学もイノヴェーションに関しては滔々と語りますが、Inventionについては、ほとんど手つかず(経営系の教科書を見て下さい。本来の意味でのインベンションについての記述は、ほとんどありません。MOT系の教科書には、技術革新とか”InnovationのDiLenma”などという言葉は出てきますが、ごく一部で、インベンションの重要性を説いたものではありません)
このように考えると、いま、求められているものは、InnovationではなくInventionであることに気が付きます。InventionとInnovation。似て非なる言葉です。でも、言葉が変わると、意識が変わります。意識が変わると行動が変ります。
皆さん、2023年を「Invention元年」にしようではありませんか。
今年のお正月も発生しました、お節料理の遅配問題(コチラ など参照)。
あってはならない「ミス」ではありますが、人が人である以上、0にすることはできません。人は「ミスをする動物」ですから。これは、AIがどれだけサポートしても同じこと。逆にサポートが進むと「期待値は下がるけど起きてしまうと被害甚大」になってしまうと予測できます。
お節料理の場合。返金や謝って済む問題でしょうか? (少し敷衍して考えれば、結婚式当日のウエディングケーキで考えても良いでしょう)。
時期(タイミング)は、言わずもがなの「契約」です。その時間に間に合わなければ、「意味がなくなるもの」。少なくとも、返金して謝罪すれば済む、というのは「価値が等式で結びつかない」。
これを現行法では罰則規定がありません。言い換えれば、「おせちが届かなかったことで裁判沙汰にすることはないから、慰謝料の請求などを含め、消費者側は泣き寝入りするしかない」というのが実際のところです。
これ、おかしいと思いませんか?
ちょっと思い出話をしましょう。子供の頃、放課後の校庭でソフトボールをしている。特大ホームランを打ったけど、校舎の窓ガラスにぶつかって、窓が割れた。親がガラス代金を弁償した。
普段ならそんなに飛ばないはずが、たまたま「会心のホームラン)」。つまり予定外。でも、被害を与えたら、その弁償をする。ガラス代だけではなく、その設置するための費用や、修理するまでにあめが振り込まないようにするための工夫は、親や子供が行う。これが、当たり前。
この考え方からすれば、想定外のミスでも、弁償・補償はしなくてはならない。先のお節料理の場合、タイミング契約の部分も含めた意味での弁償・補償を行う必要があります。
これを法律で決める必要がある、というのが無風凧の主張。つまり、「人が人であるがゆえに起きた事故に対しての補償は、金銭で行う」「その額は法律で決めておく」。
今回のお節料理の場合は、違約金で10倍、というのが妥当な線ではないかな、と思います。今日のブログではお節料理の例だけですが、そのほかの全ての「時期に価値があるサービス」の補償を同様に行う必要があります。
# ここでもう一つ重要なのは、「宅配サービス」に外注している場合、その責任の所在を詳らかにしておくことです。受注元(上記の場合はお節料理の会社)が最後まで責任を持つこと、を意味します。
# そのうえで、宅配サービスの常套句「交通状態により遅配するばあいがあります」は、言語道断です。ここの詳細は日を改めて。
今日は、「他灯明」という言葉を考えてみます。
先日、とある先輩が「他灯明」という話をしてくれました。その内容を一言でいえば、「現代ビジネスは、他灯明の考え方が必要」というもの。つまり、Market In する商品開発を、他灯明と言い換えたお話でした。市場が欲しがるものを「他灯」と言い換えたわけです。
無風凧は、他灯明という言葉を聞いてまったく違和感はありません。上記の使い方を聴いても、「なるほど、こういう使い方もあるのか」と納得できます。でも、ググってみても、禅語のなかにも、「他灯明」という言葉は無いようです。自灯明と対になるのは法灯明。
自灯明とは、自分の進むべき道は自分で見つけよ、自分で行先の明かりを決めよ、という意味。
その対語となるなる法灯明は、「(仏法的)真理を道しるべとして生きよ」、仏法を目指して行先を決めよ、という意味です。
そして。他灯明という言葉は無い。上述のように「世間様の示す方向を行先を定めよ」という考えは、お釈迦様は説いていない、ということだと無風凧は考えます。
このように考えると。
現在のビジネス、特にマーケティングというものは、何れも仏教の悟りとは矛盾していることに気が付いてくれることと思います。市場が心理を示しているわけではない以上、法灯になりえません。だから、法灯明にはなりえない。ランキングは、市場=他灯の表現の一つです。私たちが「生きていく方向」を示してくれているわけではありません。つまり、「ランキングには騙されるな」。
聊か筆が滑ったところはありますが、今日は他灯明と言葉を皮切りに、ランキングまで論じてみました。
冬休み、たまにはお気楽な読書、をしています、、、と言っても、職業病でしょうか。気休めで読んだのが「論文の書き方(小熊英二著、講談社現代新書,、Amazonはコチラ)」。
この本には「学問には型がある」という副題がついていて、無風凧はそちらに惹かれて読む気になった、という感じです。そして、ここ数年で読んだこの手の How To ものの中では傑出している、と断言できます。
これまでは「現代文の書き方(扇谷正造)」を進めることが多かった。これは、判り易い文章を書くためのHowToもの。ビジネス文章がメインターゲットではありますが、遍く文章に通底する書き方のバイブルだと思っています。
今回の小熊さんの本は、「書く前」の準備の仕方に、扇谷さんとは違う構造があります。「学問には」と断っていますが、事業企画書を作成する場合でも全く同じ「構造」です。文章の構造ではなく「スタイル」「行動様式」「対策方法」という意味での構造です。
加えると、論文の「種類」というか「研究対象」による書き方の違いも方向性を示している。思想・哲学的な主張を行う場合と、数学の証明ではおのずと差異が大きい。その「差異がある」ことを明示してくれるだけでも、初学者にとっては大きな知識になります。
大学教員の端くれとして、無風凧もこのような教科書を書いてみたいな、と思いました。
土曜日ではないですが、年賀詰。(注: 1月7日に訂正しており、当初の記事とは異なります)
時代はVUCAと呼ばれています。VUCAとは「Volatility・Uncertainty・Complexity・Ambiguity」の頭文字で、一言でいえば、「不確実性が高い時代」という意味です。そういう時代は、法華経を読んで、心安らかに過ごしましょう。
さてこの詰将棋、タイトルは「VUCA時代に法華経三昧」。というのも、とってもVUCA(不確実性が高い)。玉方の34桂を除く3枚のコマはいずれも「歩、香、桂」のいずれかに変更することができます。全部歩でも、全部香でも、同じ詰手順。「初期の配置ゴマが不確実」な詰将棋なのです。
見方を変えれば、歩も香も桂も、一枚で「法華経」を表しています。お釈迦様が詰将棋を作ったら、きっとこのようになっていたでしょう笑。
VUCA時代を表した詰将棋かな、とおもって、2023年賀詰にしました。
# この詰将棋は、手順前後の大傷があります。
# 当初は、34桂も変更可能と思っておりましたが、検討不足でした。34の桂は変更できません。ご指摘くださった方に感謝申し上げます。
みなさま、新年のご挨拶を申し上げます。本年も倍旧のご愛読をお願いいたします。
本日で、このブログが創設されてから5367日となりました。これも、ファンの皆様あってのことです。ありがとうございます。目標の1万日目まで残すところたったの4633日です。みなさまと一緒に歩んでいきたく思います。
2022年も色々なことがありました。ロシアのウクライナ侵攻をはじめとして、国際状況は予断を許さない、という状況になりつつあります。年末のTV番組で「2023年は新たな戦前」とタレントのタモリ氏が発言しましたが、言いえて妙。
かつて。人の争いは「腕力(武力)」の時代が長かった。その後、20世紀に後半は武力から経済力へ。そして、情報力へと移り変わっています。このパラダイムシフトに、「為政者の思考が追い付いていない」。少なくとも、スパイの暗躍で信じられている範囲の「情報力」とは、いまの情報力は質が異なります。それが、新たな「戦争」の導火線です。
国会を見て下さい。論理的な正しさよりも「永田町の数の論理」もしくは「数は正義だ」と今でも言っています。しかし、国民視線で見ればすでにその「数の論理」は矛盾をしている。つまり、「永田町の数の論理」にすぎません。そして何より怖いのは、責任を取らない「数の暴力者」の台頭。ここではインフルエンサーと呼ばせていただきますが、一面だけから物事を判断し、論理的な正しさよりも「共感」をあつめることであたかも正しい意見のように見えてしまう。
さらには。そのインフルエンザ―が見えなくなっている可能性もある。インターネットの時代は匿名の時代。顔が見えないインフルエンザ―の存在は、脅威。加えて、Meme(ミーム=文化遺伝子=都市伝説と言っておきましょう)が跋扈する世の中は、ある意味では言論統制よりも恐ろしいものがあります。疑心暗鬼は、一度生じてしまうと消えることがありませんから。
結果として、経済戦争そして武力戦争への遡っていくことが予想されます。
解決の方向性を2つ提示しておきます。紙幅が限られているので、誤解を恐れていますが、まずは骨格です。
一つは、人の生活圏という意味でのクラスターを小さくすること。小さな政府とか道州制とか、色々な言い方はできるかもしれませんが、数の暴力が起きにくい環境を作っていくこと。これは、論理が数にかつ唯一の方法でもあります。
もう一つは、Internetの透明性でしょうね。ただし、これの実現方法は、無風凧にはまだ思いついていません。というのは、「絶対神」のような情報収集者の存在は必要であり、その意味では「見えないインフルエンサー」を排出してしまうからです。人工知能が幾ら発展したとしても、その「神」の位置に着いた瞬間に必ずクラックされます。つまり、インターネットの透明性は、どこまで行っても矛盾があります。この解決が必要。
無風凧のブログが1万日目を無事に迎えることができるよう、心から祈っています。
ニフティさんへ: その日(2035年9月8日)まで、無料ブログを続けて下さいね。
皆様の健康と御多幸を心よりお祈りしています。
2023年 元旦 無風凧
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