年の瀬(付: これも地方自治?)
まるたろう:年の瀬、無風凧さんはパソコンの前で何かカチャカチャしている。仕事が終わらないんだろうなあ、、、
写真出典: 自前のM5
今年ものこり一週間。やり残したことが沢山あり、色々焦っていますが、焦るばかりで眼も頭も指も昔ほど動きません。随分寂しい笑。
さて。今日のネタは、長野の公園廃止問題。(コチラ など参照)
この問題、無風凧視点で見れば、沖縄の基地問題と同じ構造です。沖縄県人=騒音被害を訴えた人、というアナロジー。原発も同様でしょうか。さらには、高校時代に社会の時間に議論になった火葬場創設問題、でしょうか。全体最適を考えれば、局所が我慢することで達成できる問題でしょうが、当事者にとってはたまったものではありません。(注: 長野の公園廃止に関して騒音被害を訴えた人は、公園を廃止という主張を強く主張していないように見えますから、アナロジーは「立ち位置」としての比定だと考えて下さい)
全体最適の方は、第三者が増えれば増えるほど、当事者は分が悪くなる。(もっとも、もっと行けば逆張りの人権主義者がでてくるかもしれませんが)。署名活動などはじめようものなら、日本中から「公園廃止反対」が届く。もしかしたら、海外からも届くかもしれません。Web技術の進歩で、情報伝達が早くなり、昔なら「地方」つまり当事者間の問題で解決できていたものが、全国問題となってい仕舞います(という無風凧も、このようにして記事を書いているので、同類といわれるかもしれません)。
地方の問題は地方で。その原則を作らなければ、早晩、日本はネット独裁国家に成り下がってしまうでしょうね。
⇒ ネット独裁国家は。
① 多数決が優先され、個人の人権は無視される。
②多数決はインフルエンサーの動向で結果が決まり、法律や判例よりも優先される
③だれも責任を取らなくなる
という特徴を持っています。いわば、ネットが神になってしまうわけです。
| 固定リンク
コメント