言い出せなかった誤審(読売新聞オンラインより)
今の世の中の、ある一面を端的に切り出した記事を見つけました(コチラ 参照)。
記事のあらすじは。
「二塁塁審をしたいた、若手だった話者は、年かさの審判たちの前で口をつぐむという形で誤審に手を貸してしまったことを、今でも公開している」
最後の「後悔している」は、この話者の反省ですが、場の雰囲気や長幼の序、そしてその場の雰囲気、で正しいことを言い出せないことが良くあります。そして、その場で済むような小さなマモンだでいあれば影響の範囲は小さいのでしょうけど、この記事の場合には影響は相当大きかった。
無風凧が小学校の時。騎馬戦でのことです。無風凧が見た分には、「紅組の手が一瞬早かった」のですが、判定は白組の勝ち、周りの数名の児童も「赤が早かった」と主張しましたが、判定はそのまま。後日、なんとその瞬間の「写真」がとられていて、やはり紅組の勝ちでした。その際に、審判だった教員は「審判は絶対です」と言って、ついぞ謝らなかった。
こういうこと、日常茶飯です。さらに言えば、上述の野球の例で「誤審を主張」したら、協調性がないだの我儘だのと言われてしまい、周りのメンバーからスポイルされてしまうことは火を見るよりあきらか。件の二塁塁審の脳裏にはそれがよぎったのかもしれません。ここは大人になって、先輩の言い分を認めよう、、、
でも、
世の中で間違えていることを間違えている、と言えないことほど、危険なことはありません。フランクに言い合える環境を作ることこそが、全体最適への近道です。
無風凧の友人が所属している組織でも、質問や意見をよくメンバーに対して、「会議が遅れるから」「全体の方向性は議長が決めるから」という理由で発言を認めない、ということが横行しているそうです。これって、完全に独裁、、、つまり、悪いものを悪いと言えない状況です。
これでは、日本の未来は暗くなります。
皆さん、正しいことを正しいと主張していますか? 主張できるように努力して生きましょう。
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