英語聞き流し(好きな音楽2022年11月)
今月になって。
ふとしたことで「英語の聞き流し」の Youtubeを聞き始めました。Youtubeには、数多の「聞き流し」が存在します。
視覚情報で「英語を読む」と理解できますが、「耳だけ」だと、半分もわからない。。。。え?無風凧の英語力、こんなに落ちてたの?と危機感にさいなまれています。
もっとも。英語の聞き流しは「BGM」ではなくなり仕事の進捗が遅れます。「コーヒータイムだけにしなくては」と考えています。
今月になって。
ふとしたことで「英語の聞き流し」の Youtubeを聞き始めました。Youtubeには、数多の「聞き流し」が存在します。
視覚情報で「英語を読む」と理解できますが、「耳だけ」だと、半分もわからない。。。。え?無風凧の英語力、こんなに落ちてたの?と危機感にさいなまれています。
もっとも。英語の聞き流しは「BGM」ではなくなり仕事の進捗が遅れます。「コーヒータイムだけにしなくては」と考えています。
統合を発表している東工大と医科歯科大。名称を一般公募しているそうです(コチラ など参照)。
無風凧の提案は、「東京IKO大学」です。
IKO = 医工
だと思った方。多いのではないでしょうか? それがキッカケではありますが、無風凧の真意は違います。
Infinite Knowledge and Opportunity
つまり、東京「無限の知識と可能性」大学 という意味です。いかがでしょうか?
みなさんも「東京IKO大学に 行こう!」と思いませんか?
無風凧の恩師の一人の飲み会での戯言(名言?)。
「人類は、知能が発達しすぎていずれ滅びる運命でした。サーベルタイガーも恐竜も、自分の長所がいずれ身を滅ぼしてきたのです。しかし、テレビという”バカ発生器”を発明し、自ら知能を下げていくという手段で種の絶滅を避けることができるようになりました」
しかし、無風凧は「テレビ全盛期を過ぎても、人間の知能は衰えるどころか更に発展しているな」と感じていました。
そんななか、時代はスマホ全盛期。先日、こんな記事を発見しました。
「スマホ中毒になると「小6の脳」で成長が止まってしまう(コチラ 参照)」
なるほど。
テレビでは「知能を下げる力」が足りなかったから、「スマホ」という「知能を下げる機械」をつくり、種の保存を謀っているのか。
このように考えると、色々な意味で合点がいきます。その意味では、先日、「イーロン・マスクはTwitterを潰すつもりだ」という記事を書きましたが(コチラ 参照)、人類の知能を下げる活動への反抗、即ち「人類の知能を伸ばそう」という行動のように見えます。そして、その活動は、人類が「知能が発達しすぎて絶滅」することへの第一歩。マスクは人類の敵!ということになります(笑)。
まあ、上記記事も半分冗談で読んでほしいと思いますが、スマホ依存症や、SNSにたよる「つながり依存症」、そしてIoTのようなすべてがつながる世界は、どこからカタストロフが起きます。どこかで歯止めが必要なことは間違いないことです。皆さん、スマホから解脱しませんか?
うまく説明しないと、天下の暴論として炎上すること必至の税金案です。しかし、ある一点を除けば、現代日本の課題の80%以上を解決できるのではないか、と自負しています。
それは、「世帯人数税の導入」。
以下を読む前に、11月8日の記事(コチラ) をお読みください。
例えば、東京都の世帯人数が何人だか、ご存知ですか? 1.92人 です。すでに二人を切っています。夫婦だけ、という世帯も多いでしょうが、それ以外も多い。独居もある。核家族・独居家族以外は、2.87%しかない。(コチラ 参照。令和二年の国勢調査です)。
これでは、以下のような問題が生じます。
1) 独居老人問題
2) 一人っ子、学童保育問題
3) 年金問題(年金だけでは暮らせない問題)
更には、「独り口は食えないが二人口は食える」というように、一人暮らしは「無駄」が多い。だから、家事を守る人がいて(もしくは分担して)家計を守る。この家計を守る、には「家事をきちんとGDP換算する」という意味を込めています。家事はロハだとしているから、日本の経済がおかしくなっていくのです。昔は、隠居した老両親を子供が面倒みる、というエコシステムが出来ていたのですが、それが崩壊しているのが現在だということが出来ます。
これらを、解決するには、「世帯人数税」を導入するのが良いでしょう。加えて「世帯人数補助金制度」も併用しましょうか。
3世代6人以上、が標準になるうように、税金額・補助金を導入する。8人で暮らしたくなるような制度にする。
8人で暮らす家を東京で探すのは、現在は無理でしょう。だとすれば、地方に住むようになる。結果として地方活性化につながる、などなど、いいことづくめです。
きょうはまず、ここまでにしておきます。続きは改めて。
今週は、「四駒で作る四辺形の面積最大(?)」を考えてみました。如何でしょうか?
右図は、詰将棋とは呼べないほど簡単な5手詰めですが、初心者にはちょっと難しい鴨。というのは、99角の利きが22だということを忘れて、初手に22飛成(涙)とするかもしれないからです(さすがに、それはない、とは思うのですが)。
左図は、なんと平行四辺形になっています! 詰将棋としては、こちらの方が簡単だと思います。4つの駒が作る四辺形の面積は同じです。
さて。
先週、面積最大であろう正三角形を発表したので、今週は「四角形の面積」という課題をたてて考えました。4隅にコマを置いた詰将棋を、無風凧はどうしても作れなかったので、次善の場所はその次の場所、、、、として現在までに見つけた最大がこれです。(今週は持ち駒無しの条件です)。
そうそう。将棋盤の面積は8×8で64で考えています。だから、次に大きな四角形は60。3番目は56.5,そして4番目がこの詰将棋と同じで56です。
先週と同じく、将棋の升目を「正方形」として距離を計算していることをお断りしておきます。
# 空気ラボの「同一検索」はしていますが、それ以上の同一作検索はしていません。先例をご存知の方がいらっしゃりましたら、ご教示ください。
ちなみに。この詰将棋を作っている過程で見つけましたが、面積最大の三角形は、簡単に作れます。面積は32になりますが、理論値です。一例をあげると、
玉方:11玉
詰方:19角92飛
ですね。
ここ数日、体調がすぐれません。最初は「COVID-19か?」と戦々恐々としてのですが、熱も出ないし咳も出ない。理由を色々考えているうちに思い当たったのが、とある記事。たしかに、あの記事を見てから体調崩しました。それは、
小池都知事、節電のために「タートルネック」着用を推奨
というリードの記事(コチラ 参照)。この記事を見てから、体調を崩しいているようです。
無風凧は、子供のころから首回りがこそばゆい。冬にトックリ(昔は、タートルネックではなくトックリセーターと呼ばれていました)を嫌がって親子喧嘩。今でも毛糸のタートルネックをなんては、想像しただけでも総毛立つ(無風凧は猫ではありませんが笑)。
ということで、上記記事を見てから、無風凧は落ち着かない。睡眠も浅くなっています。この記事だけも体調を崩しています。今後、街中に増えると思うと、、、いまから予期不安。だから、小池発言は、無風凧的には「タートルネック・ハラスメント」なんです。
小池さんはそういうつもりはない、というでしょうし、世論的にも「タートルネック・ハラスメント」は「ありえない!」でしょう。でも、無風凧にとっては、タートルネック・ハラスメントは死活問題です。
さて昨日の続き。尼崎市長選挙の結果です。
7月の参院選で勝った維新。その維新の候補.が落選した、というのが多きなトピックでしょう。そして、維新の本拠地は大阪ですが、その隣の市である尼崎で負けたというとは、Opinion の拡散効果が薄れている、ということです。
代表の馬場さんは、「次の統一地方選で600人」と公言しています。大きな目標を持つことは悪いことではありません。否、望まれることでしょう。しかし、ここで大きな問題があります。
「出る杭は打たれる」。無風凧の提唱している「ランキング理論(社会学的ランキングの動理論)」によれば、ランキングは「オーバーシュートする」のですが、まさに「出る杭は打たれる」でしょう。
維新の会は、確かに勢いもありますし、いま、ランキングが伸びているところでしょう。しかし、600人を目指すこと自体が「オーバーシュート」に相当すると、無風凧は分析しています。来年の国政選挙の時点で400~450人程度が「質実剛健」に規模を大きくしていく場合の最適値だと考えます。
このことの証左は。参院選で中条きよし氏を擁立し、見事当選しました。中条氏の集票力は大きなものがあったと思います。しかし、国民視線で考えれば、いわゆる「タレント議員」に見えている。国会の発言で、自分のCDを紹介したりコンサートの話をしたりするのは、個人の資質・常識の問題であり、党の責任とは思いませんが、「急激な規模拡大のための宣伝戦略」と捉えられます。堅実な「拡大」をしていない。その結果、「オーバーシュート」を起こすものと考えます。オーバーシュートすると、必ず反動があります。反動の結果で、解党、という結果になるリスクも考えなくてはなりません。発展的解党は否定するものではありませんが、オーバーシュートによる解党は、失敗の結果です。
民主主義(というよりは、選挙主義)において、集票がすべてを決めることは言うまでもありません。これを変えることは、無風凧の生きている間には無理でしょう。だからこそ、地道に規模を大きくすることにより、最終的な「地位の逆転」を行うしかありません。
尼崎市長選挙を戒めとして、戦略の立て直しを考えてみてはいかがでしょうか?
追伸: ここでも、昨日の話の続きになりますが、「自分の目の黒いうちに」ということを考える「長老」が跋扈してはいけません。馬場さんはまだ58歳、ですが、65歳で引退するつもりで、それまでの「長期戦略」を立てることをお勧めます。
昨日は、大きな政治ネタが二つ。一つ目は、寺田総務相の辞任(更迭)。そして尼崎市長選挙。
今日は、寺田総務相の話をきっかけに、持論を展開します。
自民党の大臣・閣僚人事は、
① 首相が使いやすい人を選ぶ
② 派閥の調整をとる
そのうえで、付随するかのように
③ その人の得意分野を考慮する
という順番に見えます。①と②は、②の方が重要かもしれません。
この決め方、組織論の中では大きな問題を持っています。つまり、現代組織論とは対極的な決め方を行っていると考えられるわけです。
例えばリーダーシップ一つとっても、今はServant TypeのLeadershipが求められる異なりますが、大臣人事は今でも結果としてTopDown. 権威主義的であることは仕方がないとしても、専門性が低いことは、次の問題を生みます。
それは、官僚の跋扈。結果として、官僚vs国会の対立を生み出し、国民は蚊帳の外。結果として「人事権」という形で官僚左遷の仕組みをつくってしまい、専門性がより下がった「施行」がなされる。
更には。大臣に選ばれるためには、という打算的行動がなされます。選ぶ人は、ほとんどの場合「年寄」。つまり、権威慣性の法則がせいりつしてしまい、いつまでたっても「若返りができない」という現実を生みます。つまり、「政治の若返り」をする「駒としての大臣」が若返っても、彼ら彼女らを選ぶ人はいつまでたっても「爺さんたち」ということになります。
岸田さんも65歳。一般的には役職定年を超えています。ご自身の「早目の退陣」が必要なのではないでしょうか?
YES.
そうとしか思えないような言動が続いています。先日、このブログで「大量解雇は技術の新陳代謝の為」と書きましたが(コチラ 参照)、Twitterに関しては、それ以上のものがあるのではないかな、と感じています。
マスク氏は、Twitterを潰すためにTwitterを買ったのではないか。
無風凧的は、Twitterは無い方が良いメディアだと思っています。理由は、Clusterが必要以上に大きくなるから。若しくは、必要以上に大きなクラスターになってしまったから。
人の可処分時間は、人的クラスターの大きさ比例します。人類始まって以来、この傾向は変わっていません。そして、西暦2000年をこえ、人の可処分時間は24時間を超えようとしています。その時に出てきたのが、FacebookやTwitter。Metaverseに第二・第三の活動域を求め、人は24時間以上の活動を始めています。
24時間を超えた活動時間は人間の精神を蝕みます。だって、「虚数」な時間を生きているようなものですからね。最近、ASDやADHDが話題になりますが、それは人が虚数時間を生きるようになってきたから、でしょう。
虚数時間から実時間に戻るには。クラスターを小さくするしかない、と無風凧は思っています。以前、マスク氏は同じことを考えているな、と感じたことがあります。
だから、今回も「Twitterを潰すために買った」のではないか。財力で「人類を救おうとしている」のではないかと思っています。無風凧がしたかったことを、マスク氏が実現してくれそうです。
少し買いかぶりすぎ、でしょうか。いずれにしても、Eマスク氏によって、結果としてTwitterがつぶれることがだけは、間違いなさそうです。
この詰将棋。23の飛車は13でも良く、56飛車は以遠であれば、どこでもOK. それらのどれかは、多分先例があると思っています。(空気ラボでは見つかりませんでしたけど)。でも「正三角形に一番近い詰将棋」という気づきがあったので、アップすることにしました
つまり、王、飛、飛の位置が、盤上で最も正三角形に近い形、という珍型詰将棋です。
右の飛車と下の飛車、あなたならどちらから成りますか?
注: 全部調べ切ったわけではありませんが。これよりも正三角形に近い形は、99,19,52に置く形形があります。その場合、三辺は、8と√65、√65です。その形(と並行移動と回転)では、詰将棋を見つけることに成功していません。次に正三角形に近い初期配置がこれです。三辺が、√17、√17、√18です。同じ比率の正三角形は存在していて、6,√34,√34です。今回見つけた詰将棋は、無風凧の知る限り、一番正三角形に近いことになります。なお、マス目が正方形を仮定しています。実際の将棋盤の3.5x3.9を入れると、違う結果になる可能性があります。
就職面談・エントリーシートなどで必ず訊かれる項目の一つが「学生時代に力をいれたこと」略して「ガクチカ」です。
ボランティア活動・地域貢献など、ガクチカを書くために行っている、と広言している学生もいます。つまり、奉仕をする心をもっていないボランディア(奉仕活)を行っていることになります。
無風凧は、この風潮に大いに疑問を持っています。
大学生が大学生の本分である研究に邁進した場合、ガクチカとして評価されない、ということは、どういうことでしょうか?
加えて。ガクチカには「リーダー経験」に相当するものが必要なのだそうで、皆さん無理でもリーダー経歴を書こうとする。しかし、実際の組織においては、リーダーばかりでは活動できないことは火を見るより明らか。チームロールモデルを考えるまでもなく、適性というものがあります。しかし、「評価されるため」のロールは限られるわけです。
このような「形骸化したガクチカ」を求める風潮に、無風凧は強く反対をします。
11月15日、宇宙船地球号の乗組員は80億人を超えました。
無風凧が子供の頃、40億人を超えたという記事を読んだ記憶がありますから、一炊の間に倍増したという感じがあります。
日本は既に減少基調に入っています。でも世界規模で見れば、国連の予測によるとまだもうあと10億人ぐらいは増えるそうです。
地球の適正人口どれぐらいなのかな、と改めて考えている今日この頃です。
無風凧は、法律の専門家ではありません。が。門前の小僧ということで、時々、井戸端会議レベルでコメントを求められることがあります。
先日行われた行政書士試験の問45について、ちょっと話題になったので、今日はその話。というのも、大手予備校の解答が論点ずれを起こしていて、受験生が「間違えた」と思って苦しんでいるのではないかな、と思ったから。(とはいえ、無風凧は絶対の自信があるわけではありません)
問題概要などは、とあるさんのYoutube ほか、ご覧ください。(とあるさんのyoutubeは コチラ)。
大手予備校による解答例は、
1) Bの行った無権代理の追認を拒絶
2) Aが拒否しても信義則に反しない
3) だから、Cの要求をが拒否できる。
というのが、基本形。KeyWordsとして、無権代理、追認拒否、信義則というもの。
無風凧は、問題を無権代理と夫婦間相続との問題と読み解き、
あ)Bの生前に無権代理の追認をしてないこと、
い)日常家事代理に代表される夫婦間の責任範囲の外
う)よってAは要求拒否できる
という回答を第一案とします。予備校と無風凧案の一番の違いは、2)と い) ですね。信義則でつっぱねるか、日常家事代理ではないから責任の外である、とするか。
そもそも、信義則というのは、倫理的な理想像 を指している言葉です。最高裁S48年7月3日の判決を準用すると、この問題の場合は、Cの権利を守ることが倫理的な理想像を指していると考えられます。信義則を用いた結果が、Cの不利益になるような判決はありえない、というのが主張です。
(個人的には、信義則という言葉を安易に使わないようにするために、法律や判例があり、判決自由や試験の解答には「信義則」が出てくるべきではない、とまで考えています)
さらに。実は1)でいう「追認拒絶」というのも、Keywordとしては、受け入れにくい言葉だと感じます。つまり、Bの死亡前に「追認しているかいないか」という事実が必要であり、B死亡後についての「拒絶」は「可能か否か」を問うことになります。B死亡以前に追認していたら、そもそも論としてCの要求を拒絶できないわけですから、条件としては、「追認していない状態」であることが必要なのだという論です。
さて。もう一つ論じなければいけないのは、BとCが契約をしているときに「契約の相続」。
S48年7月3日の最高裁判決では、債務に関しては無権代理の拒絶はできない、と結論していますが、これは親子の場合です。この問題は「夫婦」ですから、前述のように「日常家事代理」という責任範囲が示されていますから、いま、拒絶をすることは可能です。
少しくどくなりましたが、結論は同じですが、必要となる論理はかなり違いますし、準拠する判例も異なります。大手予備校の先生方、如何でしょうか?
この二週間で、IT系企業の解雇が続きました。Twiitter, Meta(facebook), Amazon。
各社なりの理由はあると思いますが、やはり、収益視点(予測)、でしょうか?
無風凧は思うのですが。収益視点なら、今、解雇するのは早計だと思います。現在の規模をキープすることは、雇用創出の視点からも賛同されるのでしょう。マスクだって、ザッカ―バークだって、ベゾスだってジャシーだってわかっている。その方が株主への説明もしやすい。
ではなぜ、いま大量解雇なのか。
おそらくなのですが、、、技術の進歩に見合う人材を準備したいのだと思うのです。今のWeb3やAIの技術は、今の30代のエンジニアまで。10年後の世界を担うエンジニアは、次の世代のエンジニアなる。その場合、「新しい価値」を生み出すこと自体が次の時代のエンジニアだということを意味しています。そして、、、古い世代は邪魔でこそあれ、戦力にはならない。
だから、大量解雇して、人的新陳代謝をよくする。
無風凧はそのように考えるのですが、皆さんはどのように考えますか?
今の世の中の、ある一面を端的に切り出した記事を見つけました(コチラ 参照)。
記事のあらすじは。
「二塁塁審をしたいた、若手だった話者は、年かさの審判たちの前で口をつぐむという形で誤審に手を貸してしまったことを、今でも公開している」
最後の「後悔している」は、この話者の反省ですが、場の雰囲気や長幼の序、そしてその場の雰囲気、で正しいことを言い出せないことが良くあります。そして、その場で済むような小さなマモンだでいあれば影響の範囲は小さいのでしょうけど、この記事の場合には影響は相当大きかった。
無風凧が小学校の時。騎馬戦でのことです。無風凧が見た分には、「紅組の手が一瞬早かった」のですが、判定は白組の勝ち、周りの数名の児童も「赤が早かった」と主張しましたが、判定はそのまま。後日、なんとその瞬間の「写真」がとられていて、やはり紅組の勝ちでした。その際に、審判だった教員は「審判は絶対です」と言って、ついぞ謝らなかった。
こういうこと、日常茶飯です。さらに言えば、上述の野球の例で「誤審を主張」したら、協調性がないだの我儘だのと言われてしまい、周りのメンバーからスポイルされてしまうことは火を見るよりあきらか。件の二塁塁審の脳裏にはそれがよぎったのかもしれません。ここは大人になって、先輩の言い分を認めよう、、、
でも、
世の中で間違えていることを間違えている、と言えないことほど、危険なことはありません。フランクに言い合える環境を作ることこそが、全体最適への近道です。
無風凧の友人が所属している組織でも、質問や意見をよくメンバーに対して、「会議が遅れるから」「全体の方向性は議長が決めるから」という理由で発言を認めない、ということが横行しているそうです。これって、完全に独裁、、、つまり、悪いものを悪いと言えない状況です。
これでは、日本の未来は暗くなります。
皆さん、正しいことを正しいと主張していますか? 主張できるように努力して生きましょう。
かきねのかきねのまがりかど
たきびだたきびだおちばたき ♪
今朝起きたときに、この歌が頭の中を流れていました。同様なので忘れることはないでしょうけど、不思議な感じがしています。
ところで「たきび」。
無風凧が子供のころは、よく「たき火」をしていました。裏庭の草刈りをした時、納屋を作り直して木くずが出た時、大掃除をしてゴミが出たとき、、、ほぼ毎週たき火をしていました。たき火というより、ゴミ焼という方が正しいかもしれません。
でも、最後にたき火をしたのはいつだろう?もうしばらくしていないなあ、、、と同時に。たき火をする風物詩も見かけなくなりました。
時代の流れではありますが、たき火をして、その周りに近所の人が集まって、という風景は、地域コミュニケーションの一つの形式でした。そのようなつながりが最近は無くなってきました。
古き良き風習。残してほしいなあ、、、と思いながら、「たきび」を口ずさんでいます。
今週は、問題図(上図)と詰上がり図(下図)を両方載せちゃいます。というのは、無仕掛けの出現マジックだから。
出現マジックは、詰将棋作家の三輪勝昭様がスマホ詰パラ等で発表されています。無風凧の作品はその足元にも及ばないのですが、今回、「無仕掛け」で実現できたので、このブログで発表。問題図と詰上がり図を見比べて下さい。金と龍が出現しただけ、というとてもシンプルな構成です。
とはいえ。実はこの作品、既発表作の微修正です(コチラ 参照)。スマパラにも修正前のものは発表しています。その時とは、玉の位置と持ち駒が変わっています。
詰将棋としては、3手目と4手目がちょっと面白いかな?それ以外は、ほとんど並べ詰めです。
この詰将棋、無仕掛けの出現マジックというだけではなく、玉方の配置駒の駒種がすべて非限定(違う駒種に置き換えることができる)という変な特徴も持っています。無風凧は「壁詰将棋」と呼んでいますが、それは過去の記事をご参照ください。(コチラ 参照)。
11月11日はポッキーの日と思っているあなた! きょうは、もっと重要な日です!!
そう。「良い獣医の日」。
人間のお医者様も大切ですが、これからの世の中、獣医は大切です。わんこ、にゃんこ、キリン、うま、レッサーパンダ、、、の愛玩動物は言うに及ばず、使役動物も食用動物も、良い環境で生きてほしい。そのためにも、良い獣医が増えていくことを、心から願っています。
感染拡大が止まりません。第八波の到来が現実のものとなりそうです(コチラ, コチラ ほか参照)。
さて。右図を見て下さい。これは、ImpressのHP(コチラ 参照)からの切り出しに、無風凧が3本の線を加えたものです。階段状に示されているオレンジ色の線が2021年4月以降の累計死者数を示しています。大きく傾いているところが感染者数ピークに伴う死者増、フラットなところは、感染者数が少ない時期です。
①②③を見て下さい。後ろにくると、フラットな部分がフラットにならずに死者増がずるずると続いています。これが何を意味しているのか。
一つには、感染者ピーク時の重症者が、快癒せずに死亡に至る場合。重症者が多い分、ダラダラといつまでも死者が減らない。
もう一つは、感染者を減らしきることができずに、継続的に感染者が出ていたため、その当然の帰結として重症者から死者が増える。
(ただし、上記はコロナ感染者が別死因で死んだ場合を除いている、という前提です。このデータは、調べても出てきません。ちなみに、特殊死亡数でも同様のトレンドが出てきます)
ということで。
COVID-19の波があることや、ワクチンは重症化を抑える効果は認められますが感染拡大には相関がないこと、そして、感染拡大はある一定割合で重症化・志望者増に直結していること、などは冷静に考えればわかることです。あ、それから、第八波が来たときは、第七波を超えることも統計的には異論はない所でしょう。
再度皆さんにお願いです。感染者を広げないための最低限のルールを守りましょう。「社会を回すこと」と「感染者増」は相関を少なくすることができます。ルールを守って被害を少なくしていきましょう。無風凧からのお願いです。
先日。人間ドックに行った時の事。
血液検査のために採血する、というのは皆さん経験があることでしょう。でも。検査採決で「3回針を刺される」という経験は、あまりないのではないか、と思います。
無風凧は、血管が若干細いうえに、献血(200回以上)してるのでいわゆる「献血タコ」になっていて固い。だから比較的採血が難しい部類に入るらしいのだけど。
先日は、若手が刺して失敗し(左)、ベテランさんに代わって右で失敗。ベテランさんが再度左で挑戦して、それでも一発では入らず、グリグリとまわしてやっと。無風凧は、痛くて汗びっしょりになりました。
献血センターでは、左右やって出なくて「本日は無理です」となったことが何回かあるけど、採血で「3度」というのは随分久しぶりでした。ああ、痛かった。
家族の形態は、昭和以降大きく変化しています。
「家」「家系」が重要だった時代が、戦前の日本。
戦後も「サザエさん」の時代までは大家族。でも、その後、核家族化が進みました。パパ+ママ+子供二人。じいちゃんばあちゃんを田舎に残して若夫婦は都会に出ていく。都会で勉強して故郷に錦意を飾る、という考え方から、都会で独立する、という流れになりました。この頃から過疎化、という問題が顕著になり始めました。
その後、DINKS(Double Income No Kids)が、もてはやされるようになる。人口などに対するインパクトはあまり大きくないようですが、人々の考え方の中に、「裕福な暮らしをするには子供はいらない」という風潮が生まれてきたことは否めないでしょう。少子化が問題視され始めます。
そして。個人家族いいかえれば「独りで家計が独立」することが要求されるようになってきます。女性も自立して、独りでも生活ができるようになりました。
このように、家族の人数は少なくなっていく。「二人口なら食べれるが独り口だと食べられない」という言葉がありますが、要は、家族の人数が減ると、富の分配が高齢者層に向いていく。勿論、食べることが出来なくなる人もいますが、統計的には社会的なつながりを持っている高齢者層の方が、若年層より分配を受けやすい傾向になる。まして、政治の世界でも経済の世界でも高齢化が進んで、「老人に優しい日本」ですから、若年層は二重に苦しいことになる。
その結果が、昨今のニート現象ということが出来るかもしれません。つまり、高齢者にぶら下がっていなければ生きていけない若年層が増えてきていること。
さて。
ここまでが事実を述べたところで、ここからが主張。今の日本の国力を上げるには、家族の人数を増やす、つまり、大家族に戻していくことが必要だと無風凧は主張します。いきなり江戸時代のようにすることは不可能だと思いますが、30年かけて、「三世代住宅が当たり前」という社会にしていかなくては、若年層はより貧困になり、少子化が進みます。
少し、筆が滑った感じがしてきたので、この辺で今日は終了しますが、最後に主張をもう一度。
「三世代家族の増加が、日本の国力をあげる」
みなさま、如何でしょうか?
都立高校入試のスピーキングテスト反対の世論が強まっているようです(コチラ など参照)。
反対運動は多いことは、昨日の記事で書いた「ルールの慣性法則」で説明がつきます。各論として、ESAT-Jが色々な課題を持っていることは理解できますが、それらはすべて「過去のルールと比較して」です。しかも「悪くなるかも」という推測による反対も多いので、慣性法則そのものです。
その意味では、為政者側の「戦略」が悪かった、つまり、官僚主義的権力主義的に押し切ることを念頭に実現を目論んでいたために、民意が反発するという結果に驚いているかもしれません。というのも、グルーバル化の流れ、テクノロジーの流れの中において、英語のスピーキング能力が必要になることに反論がある人はいないでしょうから。
東京都の大きな失敗は、「民意を巻き込めなかった=目標の共有が出来なかった」以外の何物でもありません。英語のスピーキングテストの必要性をまず合意をとり、そのための手段を議論し、そして実施にこぎつける、という当たり前のお作法を守ることが出来なかった。それが、今回の騒動です。
資本主義・官僚主義では、責任の在り処が必要。言い換えれば、責任者の独断が優先されることがあります。勿論それを否定するものではありませんが、現代組織論では、「組織の合意をとる」ところまで含めて責任だと考えられるようになってきました。Teal組織も、メンバー全員の合意をとるための組織形態です。
政府・行政も、民意を反映させるための新しい会議形態、もしくは公聴制度を作らなくてはならない時期が来ているのではないでしょうか?
<追記>
委員会形式で、委員会が分担として主に議論をすることは悪いことではありません。しかし、公聴会の開催と、底での意見に対する説明責任は存在します。返答する、というのは説明責任ではありません。説得までふくめて説明責任です。
ブラック校則。今の若者にとってみれば、「理解できない校則」というのは沢山あります。無風凧(気持ちの上では若者だが実年齢は必ずしも若くない)の視点でも、「理解できない」と思うものは多い。
では、なぜブラック校則があるのか。ブラック校則のほとんどは、「校則になった時代」を反映して、その時代の世論に従った形で校則のなっているものです。最初から「ブラックになること」が前提の校則ではない。
でも、一度、校則として決まってしまえば、「それを変えることは難しい」。この難しさは、多くの皆さまが経験あるのではないでしょうか?
紙ハンコ主義も同じ。何十年も前から、紙にハンコで進められてきた日本企業のルールは、DX化が叫ばれている現在においても、容易には変更できません。ルールの慣性法則、とでも名付けましょうか。無風凧の友人が務める大学では、今でもボールペン一本買うのに、3枚のハンコ付き書類を提出する必要があるそうです。(ボールペンくらいは自分で買うでしょうから、自嘲的にデフォルメして話してくれたのだと思います)。
いずれも。「一度決めたら変えられない」という日本人の特性を表しています。だから、ブラック校則の撤廃・改定はとても大変な作業です。
ルールの慣性法則。これが分かっている人が多いにも関わらず、日本人の基本的な行動様式です。例えば。新しい会社を作るときに必要な書類。ネット上にも沢山の「ひな型」があります。これらひな型は、言い換えれば先例。この先例を使う限り、ルールの慣性法則からは逃れることができません。ほとんどすべての省庁で「先例」主義ですから、日本は結局「ルールの慣性法則」からは逃れられないのです。
先日。ある組織の立ち上げに関係していました。時間がないからか人がたりないからかは知りませんが、他の組織が作った規定を「とりあえず」そのまま借用。そして、いざ組織が立ち上がると、その規定が「幅を利かす」ようになってきて、改定することもできない、、、これもルールの慣性法則の一例です。
新しい組織を作るというのは、昔のしがらみから逃れる唯一の手段、と言っても過言でない。そのチャンスを自ら放棄するのですからなにをか云わん、という感じです。
このように。紙ハンコ主義と、ブラック校則、に共通するルールの慣性法則は、日本をどんどん弱体化しています。
今週も「新飛車は取られるのか?」のシリーズです。というか。
この6週間、同じ形の詰将棋が続いています。場所が違うので厳密に同じ初形とは言えないのでしょうけど、玉、玉方銀二枚、詰め方飛車2枚、の相対位置は同じです。
今週は、左上に寄せてみました。17手です。難しい手はあまりありませんが、初手がちょっと盲点かも。どうぞお楽しみください。
過去の同じ形の詰将棋、下記もぜひご覧ください。
新飛車はとられるのか5(コチラ 参照)
新飛車はとられるのか6(コチラ 参照)
新飛車はとられるのか7(コチラ 参照)
新飛車はとられるのか8(コチラ 参照)
新飛車はとられるのか9(コチラ 参照)
今日でぎっくり腰1週間。
初期対応は間違えていなかったと思うのですが、、、今日もまだ、好転していません。
途中で、老人がぶつかってきて腰をひねったのが悪かったのか、新幹線での出張が悪かったのか、、、
ところで。今回はダイソーで買った一本150円の杖を使い、二刀流です(つまり、4本足になっています)。
この150円杖が、非常に秀逸。折り畳みも長さの調整も出来ない一本杖ですが、一本杖であるが故の「強靭さ」があって、安心できる。
これが150円か、、、、安い!って感じです。
とはいえ。杖無し生活になるのはいつだろう、、、と考えながら、痛い腰をさすっています。
まずは、右の図を見て下さい。これは、11月2日の日本全国の感染者数のグラフ。Impress Watchの「感染者カレンダー」からの転載(コチラ 参照)。
全数把握を止めたので、どの程度正しいか、の議論は横におき、増加に転じています。(全数把握をしていない、という意味では把握数よりも実態は多いということができるかもしれません。)
さて。無風凧は10月2日の記事で「12月頃から増加に転ずる」と予測していました(コチラ 参照)。この予測は、過去の統計解析(トレンド解析)によるものです。この時よりも1カ月半、早くなっています、というか下がり切れなかったのかもしれません。(理由はまだ解析中です)。
世論は、COVID-19はすでに一般インフルエンザ並みだという風潮です。でも、現時点では、感染者数が増えると特殊死亡数は予測を上回アリます。必ずしも「死因=主因」がCOVID-19ではないものも含まれていますが、統計の数字を上回る一つの要因であることは間違いないようです。つまり、軽症者数も多く、危険ではないと世論は動いていますが、結果としての被害者数は増えている、ということです。割合が下がっているから安全になっているように感じているだけ、なのです。
東京は11月2日、先週の同じ曜日に比べて1999人多い6346人が新規感染者数でした(コチラ 参照)。皆様、感染拡大だけは起こさないように、お願いいたします。
いま、ここに100人います。100人に同じ量と内容の料理が出ました。これは、果たして平等だといえるでしょうか?
多く食べたい人には、少ない、という不満があるでしょうおし、少なくて済む人には多すぎる、となるでしょう。それ以前にお肉を食べることができない人には、食べられないものが出て不満でしょうし、宗教上の理由で食べられない人が出るかもしれません。
こうなってくると、平等じゃないな、と思う人が出てくると思います。
では。宗教上の理由で肉食ができない人には魚を出すという「区別」をするとしましょう。単に嫌いな人は肉を食べなきゃいけないのに、宗教上なら食べなくて良い、というのは、嫌いな人にとっては不愉快に思うでしょうね。
このように考えていくと、「いろいろな区別」をつけたとしても、それも「不平の種=不平等」ということになります。
特別支援学級に行かせることが「人権侵害」という記事が出ました(コチラ など参照)。これ、当事者にしてみれば人権侵害と受け取ることは理解できます。でも、いまは、飛び級することができる児童生徒もいます。その子たちと同列に扱われないことは人権侵害とはいわないのでしょうか?
加えると、飛び級できる実力がある人が普通教室に通うことは、普通教室に通う学生特別支援学級に通わせていることに近いと比定ことができるかもしれませんが(ちょっと暴論です、深謝)、これが「人権侵害」と言われることはありません。
さらに言えば。上記は、普通教室と特別支援学級の2つですが、その途中のクラスに相当する人もいます、、、とすれば、一人ひとり、オーダーメイドの仕組みが必要ということになります、、、
ということで。真の意味で、全員が満足するような平等は、実現のしようがありません。あとは、どこに線を引くか。これは、改めて議論しましょう。
最近、本当に訃報が続きます。統計物理学の川村清先生も、10月12日に鬼籍に入られました。83歳。
川村先生は、故久保亮五教授の愛弟子。もちろん理論統計物理学者です。無風凧とは、よく知った先生です。卒業してからも、何度か阿蘇偽に行きました。そして、無風凧が修士だった頃、物理学会でのエピソードが思い出されます。
そのセッションで発表した学生が、質疑応答で非常に苦労している風でした。その時に、無風凧が「〇〇さん、Aのケース、考えていますか?」と質問しました。実際は、Aの答えをその学生が出していることを知っていたので、ちょっと息をついてもらうために出した質問だったのです。結果としてその学生は、最初の苦労していた質問にもすらすら答えることができました。
その席にいた川村先生、セッション終了後に無風凧のところに歩み寄ってきて、
「いや~、あの質問には助けられたよ。お陰で、かれはこのセッションのヒーローだ」。
川村先生に褒めていただくなんて、無風凧の方が舞い上がってしまいました。
慶應の名誉教授をしたあとも、たしか生物系の統計物理研究をなさっていると伺っていたのですが、このところご無沙汰していました。いきなりの訃報に驚きました。肺がんだったとか。そういえば、川村先生はタバコがお好きだったなあ、、、、
ご冥福をお祈りしています。合掌。
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