数学教育最大の課題
朝日EduAで、戦う数学者芦沢光雄教授の記事が紹介されました(コチラ参照)。
芦沢教授の主張は、まったくもってその通りだと思います。でも、もっと本質を突いてほしい、と思い、今日は私論を展開します。芦沢教授の批判を目的にしているわけではありません。賛同しているからこそ、もう一歩先を、と考える次第です。
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数学教育に何を求めるのか。この問いに対する答えが、芦沢教授に限らずほとんどの数学教育者、いや、数学に限らずすべてのカリキュラム関係者の議論から抜け落ちているのが現状。教育に何を求めているのか。
明治新政府の時代は、富国強兵、脱亜入欧という明確な答え。そして手法として「先達においつけおいこせ」という問題意識があり、まずは真似る、次に学ぶ、が許されていた。その名残で、水準としては西欧レベルに達した後も(=問いの答えに達した後も)、教育手法の変更はなく、同様の手法で知識体系を伝授することにまい進してきた。その結果、1980年ころまでの「日本の教育」は世界最高水準を保つことができた。
ゆとり教育は、それに対するアンチテーゼとして設定されたと捉えることができる。知識体系を伝授することのアンチテーゼとして、「簡便化した知識体系」となってしまったことが、ゆとり教育の失敗の原因の一つ。そして、それ以上におおきな原因は、「教師・教員にその意識がなかった」。つまり、旧式の教育を受けてきた教師・教員は、それが是であり、アンチテーゼに慣れるまでに時間がかかり、現場的な混乱が生じた。
さて。21世紀になって、あらたに大きなカリキュラム改定を試みることになる。情報や探求の課目をいれることにより、カリキュラムの見直しを行っており、大学共通テストも2024から変更される。では、教育に何を求めるのだろうか、そしてその答えは、現場に浸透しているだろうか?
応えはともに否である。その証左は、引用した芦沢教授の記事そのもである。知識体系を教える、という大筋は変わっていない。そして、「カリキュラムを考える人が、古い人たちである」ことも変わっていない。カリキュラムを考える人が、その道の「専門家」であることも変わっていない。教育に何を求めるか、何を学んでもらうかは、変わることができない。
改めて、数学教育に何を求めるのか。それをもとに、今の知識体系自信をスクラッチして、新たにビルドしてほしいと無風凧は考えます。
(無風凧ならどうするか、の素案はありますけど、今日はそれが主題ではないので割愛。でも、かなり違いますよ、、、)。
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