「貢献」は本当に世の中のために必要だろうか?
企業教育をしていると「世の中に貢献する」という話が何度も出てきます。ピッチでのプレゼンテーションを初めとして、世の中に貢献するために、という言葉は耳障りも良いですし、共感を得やすい。大学生の就職活動でのエントリーシートにも、「会社に対する貢献」は、よく書かれる内容です。
しかし、世の中が平等で安定であるために、この貢献というのは本当に必要なんでしょうか?もちろん、幸せの総量を増やすことに反対するわけではありません。でも、本当に効果があるのかな、ということをちょっと考えてみた、というのが今日の内容です。
二次元の閉空間における多粒子問題を考えてましょう(分子動力学法を知っている方なら、話が早いと思います)。粒子間には2体の相互作用として引力が働いていると考えます。適当な初期条件の下、シミュレーテッドアニーリングなどの方法で安定解を求めることができます。この安定解、引力ではなく斥力だとしても同じ答えになります。(もちろん、初期値が違いますから、粒子位置の見た目は違うかもしれませんが、物理的な特性は同一になります)
引力が自分に対して施しをしてもらう方、斥力が他人に対して貢献をする方、と考えれば、してもらってもしても結果は同じになるではないか、と考えてしまいます。
だとすれば、本当に貢献するということが必要なのだろうか。平等を安定解と考えるのであればあれば、他人との相互作用がないこち、すなわち、迷惑をかけることも貢献することもないことの方が重要です。これはつまり、自立することの方が重要、ということを指し示してるのではないかと考えてしまいます。
独りよがりの、言葉足らずで申し訳ありません。元物理屋の無風凧。ちょっと暴走気味の妄想をしてみました。
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