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国葬前提の政教分離

奈良で遊説中の故安倍元首相の国葬問題。賛否両論ではあります。メディアの行う世論調査は「調査主体」に意向が入っているためか、なかなか結果が安定しません。

今日は、国葬前提とした政教分離について考えてみます。

「国葬を行う場合、政教は分離分離している(してなければならない)・・・①」、という命題が成立するか、という問題です。

①の待遇は、「政教分離が成立してないなら、国葬は行わない・・・②」です。

論理学的に考えれば、①と②は同じことなのですが、日本語で読んだ場合に、違う意味に解釈できるます。論理学的には待遇は真で、逆と裏は必ずしも真ではないのですが、日本語の解釈の中として、逆や裏も真に読もうとする方々が少なからずいます。

②の逆をとって、「国葬を行わないなら政教分離が成立してない・・・③」と読む方がいらっしゃるということです。日本憲法は政教分離の大原則がありますから、③は許せない。だから国葬は行わなければならない。無風凧の周りに、このトンでもない主張を話してくれた方がいて、驚きました(注:友人は、これはトンでも理論だよ、という例で話をしてくれました)。

この伝でいえば、②の裏をとっても、トンでも理論を作ることができます。「日本は政教分離しているから国葬を行う・・・④」になります。この③の文章を、「政教分離しているから(それをアピールするために)、必ず国葬をしなくてはならない」と拡大解釈をする人もいるそうです(前述の友人談)。

実はここまでは前座です。今日の本題はここから。国葬という行為の中から、宗教を除外できるか、というのが本来の主旨。言い換えれば、①は命題として成立しているかという問題です。

国葬の定義として、「政府が行う葬儀」としましょう(現在、無風凧の調べた範囲では、法律では国葬についての明確な定義がなされていません)。その「葬儀」。宗教色を完全に排除した葬儀を挙行することができるでしょうか? 答えは否です。というのは、葬儀という行為は、宗教儀式として成立しているからです。否、宗教儀式以外を想定した葬儀を発想することができないから、と言い換えた方が良いかもしれません。

また、葬儀の形式は、「故人の宗教に従う」とした場合、いかなる形式であったとしても、故人の宗教に従うことになります。加えて(これは一種の極論ではありますが)、故人が所謂カルト教信者だった場合、故人の宗教に従った儀式が国家主催で行われるか、、、今の国民世論の中ではきっとNOでしょう。

更には、宗教儀式を想定していない葬儀を、故人やその家族が望んでいない場合、そもそも論として、葬儀が成立しません。

つまり、命題①は、命題として成立していないことになります。(「国葬」と「政教分離」が独立事象ではない、という意味です)。

などなど、書き連ねてきましたが。結論として、国葬を行う場合には、憲法の一部の書き換え、すなわち、「国葬は、故人および遺族の意志に従った宗教を社会通念上認められる場合に限り、故人およに遺族の意志に従った宗教形式で行う」が必要です。

 

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