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大きな音(好きな音楽2022年8月)

今月は、とある演奏家と話した内容を少し膨らませて。

演奏家にとって、大きな音を出す、ことは持って生まれた才能、だと無風凧は考えています。もちろん、繰り返しの練習で、だれでもあるレベルまでは大きくなりますが、それを超えて大きな音、届く音、を出すのは「才能」です。

だから、大きなホールで万人を魅了することができる演奏家は、それだけの「才能」があるわけです。

「小さないけれどキレイな音に味がある」ということもあるでしょう。それは否定しません。でも、「物理的には小さな音だけどはっきり届く音」で演奏しなければ、聴衆に音楽は届きません。その意味で、演奏家は大きな音を出せなくてはなりません。

音の大きさ、自身は物理的には振幅の絶対値(の二乗)ですが、届く音というのは、それだけではない。例えば、倍音の比率、位相がそろっているか、立ち上がりがシャープであるとか、いろいろな要素が絡んでの「大きさ」。だからこそ「才能」と言い換えることができるのでしょう。

でも。それを超えてやはり「物理的に大きな音」は才能として必要な気がします。

音楽的な意味での「大きな音ってなんだろう?」。改めて考えています。

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