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テロか革命か。

安倍晋三元首相襲撃事件。日本の安全神話は何処に、、、と思います。

今回の一連の記事を追っていて、無風凧は少し不思議に思うところがあります。それは、この襲撃事件は、「テロ(テロリズム)か」ということです。(コチラコチラ、など参照)。

Wikiによると、日本大百科からの引用という形で、「政治的目的を達成するために、暗殺、殺害、破壊、監禁や拉致による自由束縛など過酷な手段で、敵対する当事者、さらには無関係な一般市民や建造物などを攻撃し、攻撃の物理的な成果よりもそこで生ずる心理的威圧や恐怖心を通して、譲歩や抑圧などを図るもの」と、と記述されています。。

無風凧も、テロという言葉の裏には、政治的信条、政治的目的が必要だと理解しているので、今回の襲撃事件が「テロ」ということには違和感がある、ということです。

では、これは何なのか。報道されている内容を把握する限りにおいて、「一種の革命ではないか」と思うに至っています。

革命の意味もWikiから引用しておくと「権力体制や組織構造の抜本的な社会変革あるいは技術革新などが、比較的に短期間に行われること」です。今回の安倍氏襲撃は、権力体制の変革を目指したもの、という意味での革命です。

では、犯人に社会変革をの意図があったのか。巷間言われているような「宗教団体への恨み」は、社会変革を目指しているものではないように思います。しかし、(ここからは幾分無風凧の解釈が入りますが)「一家崩壊後の艱難辛苦に対する変革」と解釈すれば、革命の一種だと言えるのではないでしょうか。

また、革命と言えば市民革命のような「民衆蜂起」を想起しますが、市民革命なども、発端は個人の不満。それが横に繋がっていくことによって一斉蜂起と昇華していく訳ですが、今回の事件は、その横につながるというプロセスがなかったという違いこそあれ、プロセスは同一に見えます。

さらには、秋葉原刺殺事件などとの類似性を指摘している方も多いですが、無差別殺人や「自分が死刑になりたいから(自殺願望に基づく殺人)」というものとは明らかに根源が違います。

このように考え、まだもう少し考えが至っていないところはあるのですが、ある種の「革命」に分類されるのではないか、と思っています。

追伸: このように考えると、京都アニメの大量殺人事件も一種の革命と言えるかもしれません。声を上げられない、上げても無視される民衆の爆発。いわゆるインターネット世代の実力行使による革命の一つの形だと言えそうです。

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