多様性を認める社会とは
参院選が佳境に入ってきました。どんな結果になるのか、すごく楽しみです。
ここ最近の選挙、特に今回は、多様性を認める社会を目指す、という発言をしている候補者が多いように感じます。しかし、よくよく見てみると、多様性を認めるという意見を以外を認めないという、多様性を認めない方々多いようにも思います。
上記はすごく難解な文章になっていますが、要は「多様性を認めるという人は、多様性を認めない人を認めなくてはならない」ということです。一見矛盾しているように感じるかもしれませんが、論理的には破綻していません。
以前にも記事にした、The American Presidentという映画があります(コチラ 参照)。この中で、大統領(M,ダグラスが熱演)がこんな内容の発言をしています。
「アメリカは自由を認める国だ。だったら、アメリカの国旗を燃やすという自由も認めなくてはならない」
これも、また、真理です。
今日のニュースの中で、生稲晃子氏が「だれもが過ごしやすい日本を目指す」と言っているのに「同性婚を認めない」というのは矛盾だ、というものがありました(コチラ 参照)。これも、上述の論理構造でいえば、「過ごしやすい=多様性を認める」と考えるなら、「同性婚を認めない」と発言する多様性を認める社会こそが、生稲氏の目指す社会だと言えなくもありません。
このように、すべての価値観を統一化していこうとする圧力があることに、無風凧は不気味さを感じます。
注:この記事で、同性婚の賛否を無風凧はここで論じているのではないことは、改めてご確認ください。
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