数学は社会に出て必要か?
昨日の続き(コチラ 参照)。
これも良く言われることですが、「社会に出て数学は必要か?」。
足し算引き算など、所謂「読み書き算盤」の範囲を超えた、微分積分三角関数がよくやり玉にあがります。今日は、「数学は社会に出て必要である」という私論を展開します。
無風凧が必要だと思っているのは、「観察力と論理展開と厳密性に対する素養としての数学」です。そして、観察力と論理展開と厳密性を体得するツール(手段)として、微積も三角関数も欠くべからざる内容だという主張です。
三角関数を勉強する本質は、三平方の定理だけではありません。「周期するという考え方」を教えてくれます。いろいろな現象を観察する場合、周期があるのではないか、という観察の視点を与えてくれます。三角関数を知らなくても、「繰り返す」という言葉で表現できる、と思うひとは多いでしょう。では、2つの周期が足し合わさったような周期の現象を容易に発見できるでしょうか? 答えは否です。では、そのような現象があるのか?ビルの耐震構造調べる、橋の強度を調べる、などなど、2つどころかもっとたくさんの周期が重なった現象が見つかります。これらは、「周期がある」という観察手法の下で、発見される現象です。
自分はビルの耐震構造なんて調べないよ、という方もいるとは思います。そういう方は、自分の身の回りの様々な現象の中に、周期的に起こる現象として考えられるものになにがあるか考えてみて下さい。そうすると、周期関数が意外と身近であることがわかります。そして、その周期を説明しようとすると、、、その時に、三角関数を使って説明することがいかに明瞭に表せるか、経験できると思います。
微分も、証明法も、集合論も、、、すべて同様。知らなくても何とかなるかもしれない。英語を知らなくても日本の中では生活できますが、英語を知ることで友人も知識も飛躍的に増えることに異論を持つ人はいないでしょう。同様に、数学を知ることで、理解も表現も、、、無風凧の言葉でいえば、観察力も論理展開も厳密性も、各段に上昇します。そのために、数学は必要なのです。
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