国の在り方を決める最も基本的な課題
N党立花氏の「報道ステーション」での放送事故?が盛り上がっています(コチラ 参照)。
今回は、この件をネタに国の在り方について考えてみます。
この放送事故と言われているもの簡単な経緯は以下です。
1)報道ステーションという番組が、N 党立花氏に対して出演依頼、その際に日本の安全について発言をしてくれるように依頼。
2)その際、番組表は立花氏に対して「議題以外のことは発言しないように」との依頼をしていました。
3)番組内で、立花氏は、「番組が日本の安全問題外の発言と考える発言」をしたとして制止されました。立花氏は番組から退出しました。
4)その上で、後日、「個人の発言を制止するのはなんたることか」ということで番組は告訴しました。
なぜ無風凧が、この事故を「国のあり方を決める基本問題」とまで言い切っているのか。
それは、自由と自由のぶつかり合いだから、です。もう少し丁寧に説明すれば、多様性を求める社会はどこかで矛盾を起こすということです。さらには、憲法が矛盾を孕んでいるということを言えます。(無風凧はよく「タバコのみの平等」と呼んでいるものと同じ問題です)。
言論の自由ということに鑑みれば、番組も立花氏もお互いの自由を守っています。しかしその自由が、相手側の自由を侵害しています。立花氏にしてみれば自分の発言が止められたことが自由の侵害でしょうし、番組側にしてみれば、依頼した内容意外に対する条件を決めた上で出演を依頼し、番組進行を滞りなく進めるという番組側の自由を、立ち話が違う話をすることによって侵害した、ということになります。
一言で多様性の社会多様性を認めるということは美しいことのように思えるかもしれません。総論として多様性を認める社会ということに反対する人はいないでしょう。しかしこのように、多様性同士がぶつかり合った場合、お互いを認められないという場合が出てきます。一種の宗教論争ですね。
多数決で決める、独裁者が決める、裁判で決める、、、色々な解決方法はあるかもしれません。しかしそのようなどちらかに偏らせる結果を求めなくてはならないという事象が起きる時点で、多様性を認める、という事に矛盾が起きています。
この問題をどのようにコンセンサスを取るのか、言い換えれば多様性に対する考え方のコンセンサス。もし多様性を認める社会を求めるのであれば、多様性に対する考え方のコンセンサスだけは多様性を認めることができないということになります。つまり、矛盾です。
日本は和の国と呼ばれ、世間様が決めていくというルールを今まで遵守してきた国です。しかし、個人の自由という概念が入った時点で、世間様のポジションが少し後退しました。その結果が、上記の矛盾です。この矛盾、どのように解決すれば良いのでしょうか。
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