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2022年6月

Lezginka(好きな音楽2022年6月)

久しぶりに、この名演を聞きました。

1991年6月7日、モスクワ放送交響楽団(指揮フェドセーエフ)の来日公演で、アンコール演奏されたハチャトゥリアン「レズギンカ」(コチラ 参照)。この演奏は語り継ぐべき名演の一つでしょう。アンコールですから、演奏の甲乙より勢い重視な演奏だとは思うのですが、奇跡の勢い。息をするのも忘れるほどの演奏です。この日の演奏を聴いた人は幸せです。

ついでなので、Lesginkaをまとめて聞きました。

フェドセーエフの演奏を聴いた後に、ハチャトリアン指揮のモスクワ放送交響楽団の演奏を聴くと(1962年)、、、ハチャトリアンの演奏は「バレエ(踊り)」であることを忘れていない演奏。フェドに比べると、物足りなさを感じます。

この後に、シモノフ指揮モスクワフィルハーモニーの演奏を聴くと、、、感想を書くのは控えさせていただきます笑。

今回、Lezginkaの演奏を10個ほど聞きましたが、予想以上にというか、驚きの名演はもう一つあって、1980年、吹奏楽コンクール全国大会の大阪市立城陽中学校(コチラ 参照)。大人顔負け、とはこのことでしょう。

そうそう。1991年のモスクワ放送響のトランペット1番は、V.プーチン氏に似ているように見えるのは私だけでしょうか(1分40秒あたりをが分かり易い)。ご確認下さい。

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庭に水(電力逼迫問題)

梅雨が明けたと思ったら、ここ数日、うだるような暑さです。テレビでも、熱中症対策が連呼されています。そして、熱中症対策を行う際に必ず問題になるのが電力逼迫問題。簡単に言えば、エアコンなどで消費する電力が、供給電力上回る可能性があるということです。

供給量を上回ったらどういう問題が起きるか、、、第0近似では、全部停電してしまう、が答えでしょう。もっとも、電力供給網の研究も進んでいますから、停電の地域はごく限られるだろう、とは思いますが。

しかしそもそも、本当に必要な電力が消費されているのでしょうか。今回問題提起するのは、28度を守りましょうというキャンペーンです。本来は、エアコンの設定温度は28度にしましょう、電力の使いすぎに注意しましょう、という意味のものでした。しかし最近は、熱中症にならないようにするために、外気温が28度を超えると、即エアコンをつけよう、と連呼しているニュースキャスターを見かけます。本末転倒の結果を導くこと間違いありません。

「庭に水、新し畳、伊予すだれ、透綾〔すきや〕ちぢみに、色白の髱〔たぼ〕」

という蜀山人の狂歌がありますが、これなんて、言葉を聞いただけで涼しさを感じます。怪談話も良いでしょう。そう。電力を使わなくても涼は取れる。こんなことを書くと「気持ち的に涼しくなっても、体に対するダメージは変わらない」と主張する輩も沢山いることでしょう。しかし、28度は「安全を見越した(安全係数を入れた)」目標値です。それ以上の部分は、個人の状況(体力)やその時の状況ではもっと高い温度でもよいという判断ができること、そして、少なくとも昭和の夏は30度超えでも扇風機などで過ごせていたことに鑑みれば、一律に28度にしなくてはならない、というものではないことに気が付きます。

電力逼迫の問題は、実際は家庭内だけではないのですが、チリも積もれば山となる。皆さん、それぞれの涼しさを求めるという対策を考えてみませんか?

 

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尼崎USB事故

尼崎で、市民の個人情報が入ったUSBメモリーが紛失した事故。最終的に見つかりましたが、なかなか収束しません(コチラ など参照)。

今日は、この事故を事例に「業務委託」のねじれについて私論を展開します。

この事故は、尼崎市が作業を委託した企業の USB 紛失事故です。紛失自身は、ナチュラルリスク(以下NR)を考えると、どんなに厳密に管理したところで防ぎようがありません。(もっとも、今の時代、USB の持ち歩きが良いかどうかについては異論がありますが。とはいえ、セキュリティに守られたクラウド上に置いたとしても、NR がなくなっているわけではありません。)

問題は、USB の紛失責任がどこにあるのかということです。というのも、尼崎市から受託した企業は、再委託をしていたからです。再委託を受けた企業を尼崎市に報告していなかった、という点も問題視されています。この場合、紛失責任はどこにあるのでしょうか。

尼崎市にとってみれば、委託した先の企業の紛失だから、第一義としては一次請けの企業が責任を果たすべきと考えるでしょう。一次請けの企業はもしかすると二次受けに責任を転嫁するかもしれません。とする二次受けの企業は、雇っていた契約社員に全部の責任を押し付けるでしょう。

このように考えると、最終的には過ちを犯した人に全部の責任が負わされることになります。(余談ですが、これって、刑法における実行犯主義と全く同じ構造になっていますね。)現実的に考えれば、末端に行けば行くほど、金銭的な補償能力は低くなります。結局、何の補償も行われないという結末を迎えてもおかしくありません。

少し話は飛びますが、大臣が不祥事を起こしたさい、総理に任命責任を問う、ということがあります。個人的な行動や、不注意な発言ですら総理大臣の進退に関わります。

知床の遊覧船事件。これに対して国の責任を問う声も大きいですが、結果としてどうなるでしょうか。認可を与えた時点で、色々な決まりがが遵守されているかどうかの検査は、どこの責任で行うのか、が論点です。(個人的には国の責任だろうと思っていますが)

これは、USB メモリの責任問題と全く逆の思考ですね。

元に戻ってUSB の話。本来、業務委託をせずに尼崎市の内部で業務が完結するのが原則である、ということに異論がある人は少ないでしょう。最も、経営に長けている人にしてみれば「人的時間的能力とコストの関係」から、業務委託に賛成する人もいるかもしれませんが、原則論としては内部完結というのが原則です。

その視点に立ってみると、業務委託をするという判断をした時点で、責任は尼崎市にあった、と考えることができます。少なくとも、自分達は知らなかったと被害者面するのはお門違いだと無風凧は考えます。

法人や組織は、一人の人だなしえないことを集団で行うためにあるものです。成し得ることと大きくなる反面、様々なリスクが生じます。そのリスクは、その法人や組織が負う、というのが正しい姿だと、無風凧は主張します。

 

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COVID-19: 下げ止まってきたかな?

ひさしぶりに、COVID-19の統計データ記事です。データは、インプレスのカレンダーをご参照下さい(コチラ 参照)。

新規感染者数に関して、それが果たして意味があるのか、という議論はありますが、一周回って一つの指標として新規感染者数扱うことは意味があると考えています。

さて。インプレスのカレンダーを見て気がついたことをいくつか。

まず、約1ヶ月間、新規感染者数自身は大きな変化を示していません。いわゆるプラトーの状態です。完全に撲滅方向に働いているのであれば、少しずつでも減っていくことが観測されると思うのですが(包絡線としては減っていくということです)、1ヶ月近くも変わらないというのは下げ止まったと判断した方が良いように感じます。

次に、表示期間を2020年1月からに設定してみてください。以前言われていた4ヶ月周期というものは存在していないことが分かります。これは、昨年8月オリンピック直後に急減した理由はやはり不明ということになります。感染者数や患者数が減ったことは望ましいことでしたか、理由がわからないというのはまたいつ感染拡大するか分からないということの裏返しなので、科学者としては慎重な態度が必要です。

最近、顕著に新しい株が見つかったという話はありません。そういう意味では、弱毒化が進んだというのは正しい判断なのだろうと考えます。

とはいえ。今は夏場です。ペシミスティックなことを申し上げるつもりはありませんが。現在プラトーになって感染者が残っていることは、次に寒くなり始めたとき、次の10月11月あたりの感染拡大に向けて、危険が残っていると考えて問題ないでしょう。

ゼロコロナが可能であるか否か、もしくはそれが好ましいかどうかはここでは論じませんが、もし、感染の爆発的な増加(昨年の8月のような)を避けたいのであれば、今しばらく、我慢の時過ごさざるを得ないと、数理科学的に考えます。

 

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論破王の「日本人の平均給与を上げる方法」

論破王の「日本人の平均給与を上げる方法」が盛り上がっているようです(コチラ など参照)。

内容を転記すると下記のようです。

《低給外国人労働者のビザ停止。
 日本国民全員に最低限の生活費支給。
 配偶者控除の拡充。
 年金受給者の労働には年金支給額引き下げ。
 高等教育無償化。

 生活の為に無理して働く人が減ると、働き手を確保する為に昇給が起きます。
 また、自動化が進み生産性も上昇》 以下略。 

論破王を論破するつもりはありませんが、聊か、日本の実情に合っていないように思います。

もっとも大きな誤解。というか前提の違いと言った方が良いかもしれませんが、、、日本人のほとんどが「上昇志向」「努力」をすることが前提だということです。まあ、生活のためには仕事しろ、少しでも良い生活をしたい、とか「地域のために貢献したい」という気持ちがあることが博之案の根底にあります。

しかし。実際は、どうでしょうか? 生活できるだけの最低限の給料をもらえれば、あとはきままに生きたいと若者が多い中、最低限の生活費を貰ったら、しごとをしなくなる人が増えるというほうが、的を射ていると考えます。さらには、労働人口が減れば、供給力が弱体化しますから、外国人労働者の存在は今まで以上に顕著になります。それが無ければ、モノが不足し、物価向上。だからと言って、機械化やAI化がそれを代替できるというレベルには今はまだなっていません。結果として、「上級国民のみ」が健康で文化的な最低限度の生活ができるようになる、と予想します。

更には、高等教育を無償化すると、平均が下がることは火を見るよりも明らか。ひいては、やる気のある学生の「やる気」をそぐことになり、結果として国力の低下、国際競争力の低下を招きます。

ということで。

論破王を論破するなどというだいそれたことはできませんが、将棋でいう三手の読み、をしてみました。

 

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あららら、、、

20190610 はなちゃん先生:まるたろうさんから聞いたのだけど(コチラ 参照)、無風凧さん本当にお疲れのようね。今日はトレーニング無し! 美味しいペペロンチーノ食べて、早く元気になってくださいね。

写真出典 2019年6月のはなちゃん先生
はなちゃん先生のアップ写真! お宝物ですね。

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ナルコレプシー?

昨夜。食後でも無い仕事中に急に睡魔が襲ってきました。

「あ、やばいかも」と思って、布団に潜り込む、、、PCの電源を落とす時間もないほど、瞬間で落ちてしまいました。

3時間後には起きて仕事を再開してのですが、、、これって、ナルコレプシーでしょうか?

 

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休め!

20210310 まるたろう: 無風凧さん、休め!

写真出典 自前のM5
まるたろうにも心配かけてしまいました、、、ここのところ、疲れが取れなくてほとんど何も結果が出せない状態です。少し休もうとしているのですが、気持ちの上で休めていない。こんな状態は久しぶりです。

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COVID-19:大阪で何がおきていたのか?

20220622 ImpressのCOVID-19情報サイトから(コチラ 参照)。右図は、今年になってからの大阪府の新規感染者数を表したものです。

これを見て。無風凧は「大阪で何が起きていたのだろう?」と不思議な気持ちになります。

それは、真ん中あたりに平坦な部分(Plato)があるからです。

一般的なSEIRモデルに従うとすると、Platoはなかなか出にくい。というか、複数の原因の足し合わせでしかPlatoは出てきません。

では、どういう原因があったのか、、、無風凧の頭の中はぐるぐる悩んでいます。

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国の在り方を決める最も基本的な課題

N党立花氏の「報道ステーション」での放送事故?が盛り上がっています(コチラ 参照)。

今回は、この件をネタに国の在り方について考えてみます。

この放送事故と言われているもの簡単な経緯は以下です。

1)報道ステーションという番組が、N 党立花氏に対して出演依頼、その際に日本の安全について発言をしてくれるように依頼。

2)その際、番組表は立花氏に対して「議題以外のことは発言しないように」との依頼をしていました。

3)番組内で、立花氏は、「番組が日本の安全問題外の発言と考える発言」をしたとして制止されました。立花氏は番組から退出しました。

4)その上で、後日、「個人の発言を制止するのはなんたることか」ということで番組は告訴しました。

なぜ無風凧が、この事故を「国のあり方を決める基本問題」とまで言い切っているのか。

それは、自由と自由のぶつかり合いだから、です。もう少し丁寧に説明すれば、多様性を求める社会はどこかで矛盾を起こすということです。さらには、憲法が矛盾を孕んでいるということを言えます。(無風凧はよく「タバコのみの平等」と呼んでいるものと同じ問題です)。

言論の自由ということに鑑みれば、番組も立花氏もお互いの自由を守っています。しかしその自由が、相手側の自由を侵害しています。立花氏にしてみれば自分の発言が止められたことが自由の侵害でしょうし、番組側にしてみれば、依頼した内容意外に対する条件を決めた上で出演を依頼し、番組進行を滞りなく進めるという番組側の自由を、立ち話が違う話をすることによって侵害した、ということになります。

一言で多様性の社会多様性を認めるということは美しいことのように思えるかもしれません。総論として多様性を認める社会ということに反対する人はいないでしょう。しかしこのように、多様性同士がぶつかり合った場合、お互いを認められないという場合が出てきます。一種の宗教論争ですね。

多数決で決める、独裁者が決める、裁判で決める、、、色々な解決方法はあるかもしれません。しかしそのようなどちらかに偏らせる結果を求めなくてはならないという事象が起きる時点で、多様性を認める、という事に矛盾が起きています。

この問題をどのようにコンセンサスを取るのか、言い換えれば多様性に対する考え方のコンセンサス。もし多様性を認める社会を求めるのであれば、多様性に対する考え方のコンセンサスだけは多様性を認めることができないということになります。つまり、矛盾です。

日本は和の国と呼ばれ、世間様が決めていくというルールを今まで遵守してきた国です。しかし、個人の自由という概念が入った時点で、世間様のポジションが少し後退しました。その結果が、上記の矛盾です。この矛盾、どのように解決すれば良いのでしょうか。

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世界史は社会に出て必要か。

昨日の続き(コチラ 参照)。昨日は、「数学社会に出て必要か」を論じましたが、今日は世界史です。

皆さん世界は社会に必要だと思いますか?何千年も前のエジプトの歴史、中国の歴史、トピックで言えば十字軍の遠征、、、など、皆さんの今の生活にどれくらい役に立っていますか?

こんなこと考えると、世界史は直接今の生活に必要ないという人が多いのではないかと思います。でも、数学ほど不必要論が出てくることはありません。なぜなんでしょうか?

世界史が必要になる場合。それはおそらく、友達付き合いの中での会話の中で必要になってくることが多いでしょう。お互い知っていることが共通であれば話が弾みます。取引先との話の中で、アイスブレイクや、例を用いての説明の際に役に立つこともあります。

さらに。

取引先との話の中で、世界史の中のどの部分が会話に出てくるか、ということを事前に知っていることはできません。だから、雑学的教養的という意味で幅広く知ってる必要があります。塩野七生の歴史シリーズなんてまさにそのような位置づけでしょう。

これらを守って世界一は必要である、と結論づけるならば、数学も同じではないでしょうか?

日常の生活の中で数学必要になる場面はどこにあるか、日々感じることができる人は少ないかもしれません。でも、知っていることで役に立つという場合は世界一のように予測できません。

世界史が社会に出て必要だと思う人、ぜひ数学も一緒に勉強してみてください。

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数学は社会に出て必要か?

昨日の続き(コチラ 参照)。

これも良く言われることですが、「社会に出て数学は必要か?」。

足し算引き算など、所謂「読み書き算盤」の範囲を超えた、微分積分三角関数がよくやり玉にあがります。今日は、「数学は社会に出て必要である」という私論を展開します。

無風凧が必要だと思っているのは、「観察力と論理展開と厳密性に対する素養としての数学」です。そして、観察力と論理展開と厳密性を体得するツール(手段)として、微積も三角関数も欠くべからざる内容だという主張です。

三角関数を勉強する本質は、三平方の定理だけではありません。「周期するという考え方」を教えてくれます。いろいろな現象を観察する場合、周期があるのではないか、という観察の視点を与えてくれます。三角関数を知らなくても、「繰り返す」という言葉で表現できる、と思うひとは多いでしょう。では、2つの周期が足し合わさったような周期の現象を容易に発見できるでしょうか? 答えは否です。では、そのような現象があるのか?ビルの耐震構造調べる、橋の強度を調べる、などなど、2つどころかもっとたくさんの周期が重なった現象が見つかります。これらは、「周期がある」という観察手法の下で、発見される現象です。

自分はビルの耐震構造なんて調べないよ、という方もいるとは思います。そういう方は、自分の身の回りの様々な現象の中に、周期的に起こる現象として考えられるものになにがあるか考えてみて下さい。そうすると、周期関数が意外と身近であることがわかります。そして、その周期を説明しようとすると、、、その時に、三角関数を使って説明することがいかに明瞭に表せるか、経験できると思います。

微分も、証明法も、集合論も、、、すべて同様。知らなくても何とかなるかもしれない。英語を知らなくても日本の中では生活できますが、英語を知ることで友人も知識も飛躍的に増えることに異論を持つ人はいないでしょう。同様に、数学を知ることで、理解も表現も、、、無風凧の言葉でいえば、観察力も論理展開も厳密性も、各段に上昇します。そのために、数学は必要なのです。

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数学は暗記科目か?

東洋経済で、数学教育についての記事が連発されています(コチラ など参照)。

その中で、「数学は暗記科目か?」という内容について、無風凧の私論を展開します。

まず。

みなさん、1+1の答えは何ですか?という問いに、どのように答えますか?一応十進数を前提とすると、この簡単な計算は 2という答えを出せます。

では。1 が 何を意味しているか、考えましたか? + という記号の意味は? このように考えると、定義に相当するところは、記憶しなくてはなりません。この意味で、「数学にも記憶が必要」ということはまず記憶においてください。

続いて、答えの2。みなさんは瞬間に計算しましたか? それとも、記憶していましたか? おそらく、もう区別できないでしょう。少し難しくして、1から10までの自然数をたしたらいくつになりますか? 55と即答する人は、記憶していたに違いありません。そして、そのように記憶している人は、「算数(数学)が得意な人」と目されている人だと思います。

先日。経済系の大学生に、x^2 -4x +3= 0 の答えを出してもらおうとしました。学生いわく、「これは高校数1の範囲ですか?覚えていません」。正確には中学の時だと思うのですが、この学生は「数学は暗記科目」と思っているタイプだったんでしょう。

解の公式を覚えて無くても、 (x-2)^2 = 1 として、x-2=±1 とおいて解けるという人。この解法を「記憶」しているのではないですか? 少なくとも、無風凧は記憶しています。

例えば、少し進んで、極限の証明法としてのεーδ法。これも、「記憶」ですよね?

このように考えていくと、、、数学が得意になるということの一部は、「暗記」が必要ということになります。

試験のように「制限時間内に答える」ための暗記ではなく、数学を理解するために必要な暗記があるということです。 数学は暗記科目ではない、という方々は、暗記を沢山しているという矛盾にぶち当たります。

無風凧は、経済数学はあまり得意ではありません。特に、初学者用の計算問題の場合、EとかIとか、経済学で用いる述語を用いて暗黙で使います。この「意味の変換」に時間がかかる。記憶があやふや、という感じで確認をします。この意味からも「数学には暗記も必要」と断言できます。

更には。未解決問題を解くためには、既存の手法を組み合わせ、仮説を立てて証明していくことになります。既存の手法を沢山暗記していれば簡単に解けるでしょうし、暗記していなければ引用することになりますが、これも、「外部メモリーに保存している」という意味で暗記の一形態だということもできるでしょう。

数学が得意になる。そのためには「暗記が必要」ということはできそうです。

 

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祝! 羽生永世七冠通算1500勝!

羽生永世七冠が、通算1500勝を記録しました(コチラ 参照)。

羽生さんはまだまだ現役、1500勝はただの「通過点にすぎない」ことは日本中のファンが知ってはいるものの、やはり「大記録」として祝したくなります。(本当の記録は、羽生さんが引退した日に決まる、それまでの勝利数です)。

ところで。若かりし日の羽生さんは、先手勝率が無茶苦茶高い棋士でした。先手で9割を超えたこともあります。ですから、ここ10年ほど、後手の方が勝率が良いと聞いて驚かれる方もいらっしゃるのではないでしょうか?

正確に言えば、絶不調だった2021年を別にすると、後手の勝率は昔から無茶苦茶悪くなったわけではない。全盛期でも6割程度の年がある。誤て勝率は、昔とあまり変わっていない。その代わり、先手勝率は、随分落ちてきたな、という感じです。

すごく奇異な感じがしているのは、無風凧だけでしょうか?

追伸: この一事をもってして、将棋は後手必勝のゲームかもしれない、と考えるのは少し行き過ぎかもしれませんが、、、

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食べログの計算式

驚きのニュースが入ってきました(コチラ 参照)。

ニュースによると,食べログの計算式が変わったことにより、評価の点数が下落。そのために売り上げが下がった飲食店が損害賠償を請求。なんとその飲食店が勝訴したのです。

つまり、食べログランキングの手法を変えることが、違法という判断がなされたわけです。

この判断は正しいのでしょうか。無風凧は、否と答えます。

食べログは、なぜ、計算方法を変えたのでしょうか。それは、自分のページの読者を増やすため。言い換えれば、より与論に従った計算を行うためです。ですから、食べログとしては、より正しい判断基準を作った、という立場になります。

この行為を否定してしまうと、食べログは読者が減っても評価方法を変えることができないということになります。これは、自由競争の社会の中で著しい違法行為だと言えます。

食べログの点数以外、例えば大学ランキングを決めるTHE もQSも、時代に合わせてその評価方法を変えます。同様に、食べログも評価方法を変えることは自然の理と言えます。

このような視点に立つと、裁判結果は不当である、と結論できます。

追伸。裁判所の判決理由は、優位的地位の濫用による独占禁止法違反だったようです。これを独占禁止法違反だと言うのであれば、大学入試も、就職試験も、全て独占禁止法違反ということになります。なぜかって?そもそも計算をしてるのは一社しかないからです。

 

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ブラック部活問題

ブラック部活問題。吹奏楽の名門市立柏高校の吹奏楽部で、自殺者が出たことにより最近ホットな問題になっています。吹奏楽大好き人間の無風会にとっても、これは由々しき問題です。

野球やサッカーなど体育会系のクラブも、練習練習でグラフ化していくことは容易に想像できますが、吹奏楽は、もしかしたらそれ以上かもしれません。というのも。体育会系の場合、チームプレーと言っても、野球は9人サッカーは11人もっと多くてアメフトで15人でしょうか。それに対して、吹奏楽の場合、コンクール常連校だと50人55人というような人数になります。同調圧力も、そのぶん強くなるでしょう。

このように考えると、文化系ではありながら吹奏楽部はブラック部活化することになります。(本当は、合唱部やオーケストラ部なども同じ構造を持っているのですが、あまり問題になったことはないように思います。)

スポーツの場合、相手に勝つこと、が一つの目的になります。そして、勝ち負けの判断基準はとてもシンプルに分かります。それに対して、吹奏楽の場合はどうでしょうか。コンクールがあることにより、何らかの形での勝ち負けが決まります。だから相手に勝つため、の練習が必要になってきます。スポーツの場合は、スーパープレイヤーが一人いることで勝ち抜く可能性がありますが、音楽の場合は、全員のレベルが求められます。こう考えてくると、吹奏楽部の方がスポーツ系よりもよりブラックな感じがしてきます。

無風凧は、吹奏楽コンクールは嫌いではありません。適度な練習の範囲において、目標を設定することができる、言い換えれば自分のスキルアップの指標にすることができるから。しかし、過度なコンクール参加は問題があると感じます。特に、名門校という名前を付けられてしまうと、自分たちの目標ではなく周りの期待による目標設定になってしまうでしょうから。

このブラック部活問題、もう少し深く考えてみたいと思っています。

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生八橋

修学旅行土産で「生八橋」を頂きました。西尾の生八橋。つまり、「おたべ」のようにあんこが入ったものではなく、生八橋だけ(あんこ入りをイメージしている方には、「皮だけ」というのがわかりやすいかも)。

久しぶりに食べましたが、ニッキの香りがストレートに伝わり、美味しいな、と思いました。

ところで、八橋の名前はどこから来たのか論争をご存じですか? 西尾の八橋は、仏説にもとづく子を思う親の話。三河にあった「八ツ橋」が名前の由来という説もあります。最も有名なのは箏の八橋検校の名前、ということになるでしょう。

無風凧は、八橋検校派です。

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人間が暑いときは、わんこも暑い!

Chirashi011024_1 6月も半ばになり、日差しがめっきり強くなってきました。皆様、熱中症対策は十分ですか?

人間が暑いときは、、、わんこも暑い! と感じています。特に、北の方が原産のわんこは暑くてたまらない!なので、「わんこの熱中症対策」もお忘れなくお願いします。

そんな中、環境省のホームページに、「ペットを車内に残さないで!」というチラシを発見(右図)。閉め切った車の中は、15分もすれば高温になります。あかちゃんの置き去りのみならず、ペットのおきざりにも十分配慮をお願いします。

皆様の大切な、わんこ。いつまでも一緒に楽しい毎日を過ごしましょう。

写真出典 環境省のHPより(コチラ

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激疲れな一日

今日は、朝起きたときから激疲れ状態。

「食事+散歩+寝る」をただ繰り返しただけの一日。途中でメールは10本ほど書いたっけ。

夕食。久しぶりにエビチリを作りました。冷凍の剝きエビでしたが、結構おいしく仕上がり、満足。エビチリ作ったのはいつ以来だろう?

ブログも手抜きして、これでおしまい。明日からまた、喘息前進です。

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宇宙の外にはなにがあるのか。

無風凧が幼稚園の頃。

「宇宙空間には何もない」ということを訊きました。真空状態だから何もない、ということです。でも、「宇宙空間には星がある」と思っていました。

そして、銀河系という言葉を知って(これも幼稚園の頃)、銀河系の外にはなにがあるのだろう?と悩み始めました。宇宙には銀河が沢山ある、ということを知ったのもそのころです。

そして。そのころから悩んでいるのが、「もっと外にはなにがあるのか」。

真空で何もない、と言っても、「そこに定規を伸ばしていくことはできる」と思ったのがキッカケ。そして最後に、「空間だけの存在は存在するのか」。ここまで幼稚園の頃に考えてことです。

祖父学校以降、ビッグバンの話や、宇宙の膨張の話、暗黒物質、背景放射など宇宙に関する知識はすこしづつ増えましたが、幼稚園の頃の疑問には答えられていません。それどころか、疑問はさらに深まっている感じです。

皆さん、宇宙の外には何があると思いますか?

 

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ちょっと太った感

20180602 ここ数日、2,3時間しか眠れない日が続きました。徹夜が続くと、勢い、夜中の飲食が増えます。食べる方は増やさなくても、コーヒーを飲む回数が激増。そんなこともあり、水太りでしょうか、体がちょっと重たいな=ちょっと太った感 があります。

この週末、コーヒーはちょっと控えめにして、早寝早起きの健康的な生活を取り戻して、「ダイエット」に邁進したいと思っています。

追伸:毎月10日は「はなちゃん先生」が指導に来てくれていたのですが、今は、天国から応援してくれています。

写真出典:2018年6月のブログより

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ちょっと不思議

ここ数日、ちょっと異変が起きています。

このブログのアクセス数が、うなぎのぼり。

でも、少し変です。アクセスタイミングほか、バラバラ。夜中も含めて、ホワイトノイズに近い。これは、、、人が閲覧しているとすると、起きえない状況です。というのも、寝ている時間に見ている人はいないでしょうから、夜中から明け方にかけては減らないと不自然。その不自然な時系列データになっています。

だとしたら、どうしてこんなにアクセス数がふぇているのか。ウエブをスクロールするロボットの数が増えたのかなあ、、、

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まぐろとかつお

シーチキンの原料と言えば、マグロと思っている方が多いと思いますが。世界的視点では、かつおでもシーチキンと呼ばれます。

そのまぐろとかつお。

今日は、贅沢なことに刺身で食べました。と言っても、スーパーでタイムセールになっていたので、散財という程ではありません。

マグロはびんちょうの赤身。カツオは生の刺身です。

甲乙つけがたい、というのはこう言うことを指すのでしょう。

ちなみに。今日は、ワサビしょうゆでカツオを食べました(コチラ 参照)。

 

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つばめの巣

まずは コチラ の記事をお読みください。つばめの巣を壊した若者の話です。6羽のヒナの内、一羽は助からなかったとのこと。

「世の中にはひどいことをする人が居るのだなあ。。。」と無風凧は憤りを感じていたのですが。

無風凧の通勤途上、小さなトンネルがあります。そのトンネルの入り口に、つばめの巣があり、3日前、ヒナがかえったばかりでした。ところが。本日の帰宅途上、その巣が跡も形もなくなっている! もちろんヒナも。

どういういきさつがあったのかはわかりませんが、、、ひどいことをする人が居たものです。無風凧は怒りに震え、口もきけないほどでした。

引用した記事によると、鳥獣保護法違反になるのだとか、、、鳥獣保護法違反で死刑にしてやりたい、と本気で思っています。

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数量化を超えて

A.W.クロスビーの「数量化革命」。無風凧が最も「素晴らしい」と思う著述の一つです。

この本の中には、少しオカルトな話もありますが、それも含めて「数量化(数字で表すこと)」がどのように今の文明に寄与してきたかを著しています。

そして。

無風凧がこのブログで、細々と主張してきたことは、「ランキング革命」でした。ランキングの本質は、「順位付け」。「数量化」が不可能な場合も順位をつけることができる(順位付けしようとする)、ということで、数量化よりも「広い概念です」。自然数を実数、虚数に広げていく感覚?もしくは、代数における群と環の関係、と言えば、当たらずとも遠からず、という感じでしょうか。表現が広がっていきます。

その意味で、数量化から拡大した表現ができるのではないか、との挑戦です。ちなみに、数学で扱う順序集合は数量化ができたうえでの順序集合ですが、無風凧の言うランキングは、数量化が必須ではない。いや、数量化が不可能な場合に拡張しているので、今の数学で扱う枠組みをすこしだけこえているのではないか、と期待しています。

あいまいさを考慮したり、大数の法則での収束を考慮したり、ということで、最終的に「数量化に帰着する」ことができるか否か。これも大きなテーマになります。

もし数量化に帰着できない何かの法則性を見つけたときは、大発見!そう思いませんか?

先日の通り(コチラ 参照)、無風凧は数学の世界のトップを目指すことは諦めていますが、、、数学の世界を超えることは今でもあきらめていません。

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怠慢、ミス、能力差、故意の区別

先日、4630万円の誤送金事件が炎上しましたが、それ以外にも誤送金が報道されています(コチラ 参照)。誤送金以外にも、誤請求、誤発注、などなど、減少はいくつもあります。

無風凧の視点でみれば。金額の多寡は横に置いて、一定の割合でミスは起きます。これはリスク理論を持ってくるまでもなく当然の話。だから、多重チェックや、DXの力を借りて、ミスをなくそうと努力します。当然です。でも、絶対にゼロにはなりません。Natural Riskと無風凧が呼んでいるものです。

その際。注意深いか怠慢があったか。その区別は何処でつけることができるでしょうか? 実は、これもほとんどできません。集中力が高いときと低くなってからでは、ミスをする可能性は変わります。どんなに努力しても、過労状態ではミスは起きるでしょうし、昼食後に一瞬眠くなった時間にミスをする、というのは誰にでも経験があることではないでしょうか?

加えると、「人による能力差」があります。本の原稿校正を頼むと良く判りますが、人によって見つける個数は違います。つまり能力差です。完璧を求めることはできない、、、この能力差はどこが責任を持つ?さらには、最近、皆さんが知るようになってきた注意欠陥症症候群、いわゆるADHD。これも、区別することすらできませんし、よしんばできたとしても病気ということになれば、責任は問えないと思います。ならば、どこかが補償しなければならないとすると、だれ?任命者の責任ですか?

こうしてみると、NRも病気も区別すらできないことがわかってもらえると思います。

では、ここで。故意に誤送信したとします。これ、上述のNRや病気と区別することができるでしょうか?うそ発見器を使えばできるかもしれませんが、通常そこまでは行いません。さらに言えば、担当者は単純ミスでも、チェックの段階で気が付いた上司がそのミスのために自分に利益があるとして黙ってしまえば、うそ発見器でも発見はできない。NR+病気もふくめると、この手のミスは多すぎてだとすると、どうやって区別できるか?もし、方法を思いつく方がいれば教えていただきたいのですが、無風凧はできません。

よって。ここでいう「故意」での損失まで考慮したうえで「保険をかける」。それしか解決手段がないリスクだということに、行政は早く気が付かなくてはなりません。

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COVID-19:コロナ破産

COVID-19で生活困窮、国の制度で借金し、焦げ付いて自己破産。すでに5000人が自己破産したそうです(コチラ など参照)。

緊急貸付は、行政が考える中では早く対応できる方法だったことは否定しません。でも、その後の対応はお粗末だったと言わざるを得ません。

貸付したら、返済しなくてはならないのは自明。いつになった返済できるのか。誰も「いつCOVID-19から解放されるか」わからない。そんな中、借金を返済するアテ(時期を含む)は、「本質的に不明」。だから、貸し付けに頼る手法から、時期を考慮しなくても良い何らかの手法に発展させる必要がありました。

そのように考えている無風凧にとっては、5000人の自己破産は国策の犠牲者ではないか、と考えています。(もちろん、全員とは言いませんが、90%以上は国策の犠牲者だと思っています)。

給付金にすることが良かったか、と言われると、それも正しくない。それは、日本人の「貯金癖」。将来に備えて貯金しようとする人が多い。そうすると、せっかくの給付金が出ても、経済は回りません。だから、給付金だけでは解決しない課題です。

2年前から無風凧が提案してきたのは、「マイナカードに毎月付与される時限マネー」。今の次元マネーにすることにより、貯蓄ができないようにする。そうすると、消費が進む。ついでに言えば、マイナカードの普及率が上がる。

そうすれば、少なくとも自己破産者の数を減らすことができました。

今後、自己破産者の数は増えていくことでしょう。With Corona がまだどこまで続くかわからず、更に貧困が進む方もいらっしゃると考えます。今からでも遅くないので、時限マネーの給付、を考えてはいかがでしょうか?

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カツオは何で食べるのが美味しいか。

今日は、夕食に生カツオの刺身を食べました。

カツオを食べる時、いつも悩みます。

たれは何味が美味しいか。薬味は何が良いか。

たれの方は、醤油、ポン酢、マヨネーズ系、甘醤油系、、、が代表でしょうか。薬味は、ショウガ、ニンニク、そして辛子にワサビ。大葉もカイワレ大根も定番の内でしょうか。

今日はポン酢しょうゆにショウガとニンニクすりおろし、というパターンで食べました。もちろん、これはこれで完成形のうまさがあり、満足しています。

次回は、、、何にしようかな?

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天才教育?

文科省が、突出した能力の子供に対しての新しい施策を発表しました(コチラ 参照)。

数学や語学などに能力を発揮する人に、学外で高度な教育をうけたり、能力がゆえに人づきあいがうまくいかないことへのフォローがあったり、ということです。

無風凧は、、、自分のことをことを思いおこし、〇〇年前にこの制度があったら、、、ということを考えます。自慢ではないけど、中学に入学したときには中学の数学はすべて終わってました。まあ、この程度が「特別な能力」と言ってよいかどうかわかりません。特に、その後の人生を思い出すと、、、

途中で、数学から興味が移った、というのが問題。挫折というより、気が付いたら路線が変わっていた。数学をきわめるより、数学を道具として使うことを選んでしまっていた。もし、上述の施策が当時あり、それに参加していたとすると。数学をきわめることにもっと集中できただろうか?それとも、途中で挫折して、やはり数学を道具として使うことになっていたでしょうか?

そして。今も、なにかあると数学の世界に戻ろうとする無風凧がいることは間違いありません。でも、すでに世界のトップを目指すことは諦めている自分がいます。それは、とても残念なことですが。もし、制度があったとしたら、もっと数学出来ていただろうか?

歴史にたらればはありません。同様に、人生にもたらればはありません。でも、もしこの制度があったら、無風凧の人生はどうだったのだろう、と今日一日、考えていました。

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上智大告訴される。

非常勤講師への不払いが原因で、上智大学が労基署から告訴されました(コチラ参照)。

当該非常勤講師は、、2019年から2021年までの3年間で105時間75万円分の超過勤務があったのだとか。コマ数がわかりませんが、一年間35時間。通年科目が30コマだとすれば、一コマにつき1時間の超過勤務ということになります。1時間が約7500円。高いと思われるかもしれませんが、、、実際はどうでしょうか?(非常勤講師は、準備と講義と採点評価を含めて、一コマ当たり半年間で30万以下が相場だと思います)。

さて。ここで考えてみたいことがあります。無風凧が大学で講義一コマ(90分)を行う場合、準備に5~6時間かかります。これは、準備だけ。この時点で、県や都の定める最低賃金になんなんとします(一コマ講義して8000円程度と聞けば高級と思われるでしょうが、準備を含めると時給はやっと1000円超え程度です)。これに、レポートの採点や期末試験の採点など加わります。こちらは、人数(学生数)に比例する部分が大きいですが、実質無給です。

かつて。450人教室の講義を通年で持っていた時は、試験(中間と期末)の採点と評価だけでそれぞれ一週間まるがかりでした。でも。支払いは15コマ分だけでした。。。そうそう。出欠チェックもばかにならない。毎回30分以上かかります! 非常勤講師でしたから、相当苦労しました。

同じ科目を複数年すると。準備の時間は若干少なくなります。とはいえ、無風凧の科目の場合は時事ネタを入れますし、学年ごとに理解度が違うので微修正を行う、、、少なくなるのは、せいぜいパワポの作りこみの部分の半分程度、ということになります。

この3年間は、COVID-19対策で、オンライン対応するために資料を作り直す必要がありました。また、単に作り直すだけではなく、しゃべり方や進行の工夫が必要で、随分時間がかかりました。

そんなことを考えれば、本音でいえば、講義のみで2倍、評価採点は一人あたり1000円、という程度には支払ってほしいな、と思います。

そういう風に考えると、75万円の支払いは随分少ないのかも、と思ってしまいます。

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