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公正さ、の定義。

宿題を一つ忘れていたので、今日はそのネタです(コチラ 参照)。

公正さ、って何でしょうね。野球の判定の公正さと、人事評価の公正さ。どこが違うのでしょうか。

その前に、「温度計」の公正さをについて考えてみましょう。

温度計は、温度が高い/低い、を水銀の高さで表す器具です。温度が高いほど膨張して水銀が高く、温度が下がれば水銀が下がる。これを発見し、再現性があることを証明し、そのうえで、「全員がそれを認めた」から、温度計は出来上がりました。最後の「全員がそれを認めたから」の部分が大切です。

野球の判定は、機械(AI)によっての判定が、「人力での判定よりも正しい」ことを「全員が認めた」から、AIを使おうという主張が強くなっています。

では人事評価。これも、何らかの方法で「全員が認める」順位付けをすることができれば、少なくともその順位が「公正な評価」と呼ばれることになります。でも、ここで大きな問題が一つ。「全員が認める順位付け」を作ることができるのか? きっとできない。であれば、少しだけ緩くして「多数決で最も沢山の人が賛成する順位付け」もしくは「もっとも反対する人が少ない順位付け」を公正な評価と定義する。これであれば、少なくとも公正に一歩近づいたように思います。そのうえで、「再現性」が認められれば、もうほとんど「公正」と言ってよいでしょう。

実際は、、、このレベルですら「公正な評価」は実現できていない。なぜかって?人事評価は「上司」がするものだと、暗黙の了解があるから。あれ?ここで皆さん気が付きますよね? 野球は「アンパイヤが判断するもの」。人事は上司、野球はアンパイヤと呼ばれている人だけで、評価をするから、もめごとになるのです。

このように、野球と人事は同じロジックで「公正ではない」ことが証明されました。

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