ムサシノ学生服事件(その2)
昨日に続きムサシノ事件。なぜ、この事件にこだわっているか、といういと、現代のいろいろな問題をはらんでいるからです。
1) 制服をなくせば良いのではないか?
これが、根本的な解決であるかもしれません。しかし、それ自体は、現在ある「制服業者」のビジネスを奪ってしまうことになります。もちろん、長い歴史の中では淘汰されていくかもしれません。それに伴い、代替ビジネスが成長していくことでしょう。しかし、個別の「制服業者」の視点では、最適解ではない、ことは言うまでもありません。
2) 指定業者性という問題
制服(体操着なども含む)は、学校もしくは地域の指定業者が作製します。これも、いわゆる「民主主義」てきな考え方の下では課題をはらんでいます。指定業者としての癒着の問題です。しかし、競争入札制度にすると、中小は大手に勝てないことになりますから、それも問題。大手一辺倒になってくると、学校毎にオリジナルの制服が「地域で同一制服」なんとことになるかもしれません。
3) 制作可能数の予測の数理問題
受注数と制作可能数がわかれば、間に合うか間に合わないかは、即時に判定されます。今回のムサシノ事件の場合、想定外の事象が起きたとのことですが、AI(人工知能)を使って、予測できなかったでしょうか? 少なくとも、ある程度の幅をもって、予測することは可能だと考えます。受注上限を出すことも可能になります。大田区の弁当「玉子屋」のような「正確な予測」が可能になれば、、、もしかしたら解決できるかもしれませんが、現時点では無理なようです。
4) 補償
心情的な問題として、入学式に間に合わない学生や親御さんへの補償は必要ではないでしょうか? また、制服発注に関しては、入学式の前日までに納品する、ということは善管注意義務とかなんとか出すまでもなく、判断基準の一つであると考えます。ところが。法律のプロの視点はことなります。(コチラ 参照)。左記弁護士ドットコムの記事によると、
「会社の責任だとしても「慰謝料は原則認められない」」
のだそうです。さらには、私見として「私見にはなりますが、入学式に制服で出席をすることができなかったという点に関して、少額(数千円から1万円程度)には留まるものの、一定の慰謝料も認められる余地はあるように思います。」との記述。法律と国民の認識に随分大きな差があることがわかります。
さらには、
「制服というのは、入学式の時にのみ着用するものではなく、長期間に及んで使用するものであるため、単に入学式に納品が間に合わないとの事情のみでは、契約解除が認められないという判断もありうるものとも考えられます。」
となってくると、ハレの日、という日本人の常識すら法律はまもってくれない、ということになります。これも、国民感情とはずれるものでしょう。言葉は悪いですが、「社会しらずの法律バカ」の考えそうなことと言ったら、失礼でしょうか?
しかし、これも今後の問題の一つです。
などなど。
現代社会の抱える問題をいくつもはらんでいるのです。
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