2社か3社かは問題ではない(東芝問題)
来週24日、臨時株主総会が行われる東芝。形式的には(分かり易く言えば)、会社分割案が2社か3社か、ですが、本質的な問題はそこではないように思います。
無風凧が学生の頃は、東芝は超優良企業でした。以前記事でも書いたように(コチラ 参照)、応援したい企業のひとつです、、、が。2015年の決算遅延以降、そしてウエスティングハウスの暖簾問題で特に顕著になったように思いますが、迷走が続いています。
このごたごたの本質は、今表象化している2社分割か3社分割か、ではないように思います。株主と経営陣の問題でもない。これは、みずほ銀行のシステムトラブルが、技術問題ではなく、人事問題だ、といわれているのと同様です。
問題点は、(ほかの企業も同様ですが)大きく2つ。
1)実力以上に大きな組織になったこと。もしくは、組織維持の能力がなくなったこと。そして、それを維持しようとしていること。
2)株式会社という資本と執行の関係に矛盾があること。
後者2)については無風凧が申すまでもないと思いますので、今日は1)に特化します。
西室さんの時代に、飛躍的に業績を伸ばして「世界の東芝」の確固たる地位を築いたと無風凧は理解していていますが、その際に、組織体制が出来ていなかった。粉飾が行われるような成果主義とか、いう問題ではなく、Team Buildingの問題という意味での組織体制です。(もっとも、成果と体制を分離することは非常に困難ではあります)。
東芝の会長ともなると、経団連をはじめとする社外の仕事も増えてしまい、社外との「調整」が、社内の合意とは異なってくる。その調整が出来なくなった。会社の利益代表であるはずの会長が、「より広い意味での利益のために」社員の合意を取りにくい形での意思決定を行う。これだけでも、組織としては弱体化します。その上で、西室さんの場合、漏れ聞こえた範囲で恐縮ですが院政を弾いている時代が長かった。影響力たるや絶大なものがあったと言われています。組織が大きくなり、ある意味で官僚主義的になってしまったところに、ロイヤルティを下げるような意思決定が続いた、といえば、組織論っぽい言葉になるでしょうか。その影響で、2000年代の東芝は、組織としての根本が弱まってしまった分析しています。
大きくなりすぎたのだったら分割して小さくすればよい、と考えると、分割案は肯定されるように思いますが、それは正しくない。
組織の分割は、大きな会社であればあるほど「クローン」を生み出します。旧態然とした東芝のまま、表向き2つ、もしくは3つの会社に分割されるだけです。なぜかって?行動原理や意思決定の手法が変わらないからです。表面上の原理手法の変革ではなく、組織文化としての手法の変革は、組織の分割では実行できません。それなりの準備、覚悟、人材、そして計画が必要です。
今提示されている2社案や3社案を精査したわけではありませんが、「意思決定の手法が変わらない=それを決めようとしている株主総会のメンバーに変更がない」ので、結果は明々白々です。
でも。いうまでもありませんが、ここで2)が課題として挙がってきます。現行の「株式会社」では、意思決定の手法(=株主総会における多数決)を変える手段がない、のです!これは、致命的です。この部分を解決しなければ、東芝の問題は好転しないと無風凧は結論付けています。
と言ったところで、いささか長くなってきたので、今日は、ここで終わりにします。
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