早稲田大学さん、真摯な対応を無風凧も望みます
早稲田大学教育学部入試の国語の問題で、オモシロイ事件が発生しています(コチラ 参照)。
記事によると、長文読解の解答(選択方式)が、1) 回答を作った予備校によって異なる だけではなく、長文の作者の意図から正解がない場合もあるのだとか。
この事件に対し、作者からの問い合わせに早稲田大学が回答しない、としているのがオモシロイ。
入試は、正解があって、その正解に基づく配点を競うゲーム。とすれば、正解の説明は、公平性の観点からの主催者(この場合は早稲田大学)が行わなくてはならない、と無風凧は考えます。しかし、それを行わないとした時点で、とても興味深い事件です。
さて。
この事件のさらに面白いところがあります。それは、大手予備校の解答例が異なっている。これは、選択肢の作り方の甘さもあったかもしれませんが、「著者の主張が複数に読み取られている」ということです。良い文章・分かり易い文章なら、だれが答えを作っても正解は一つでしょうし、また、著者は自分の主張を記述してるわけですから、できるだけ誤解が無いような文章を書くものだと、私たちは思ってしまいます。
しかし、上述の早稲田大学の入試問題の場合、正解を万人が一つとは思わなかった、、、言い換えれば、「分かりにくい文章だった」。この時点で、作者はある程度の自戒が必要かと思います。問題を自分が解いてみて、正解がない、と騒ぐよりは、自分の筆力の向上を目指す方が建設的な人生を歩むことが出来ると思うのですが如何でしょうか?
さらに。そのような文章を選ぶこと、、、入試には適していなかったのかもしれません。
# その上で。 明文化した採点基準では測れない「学力・能力」があるのも事実。AIが人間を超えることが出来ない部分です。
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