入試制度の在り方
脳科学者の茂木健一郎氏と教育コメンテータの尾木ママの記事が面白い(コチラ 参照)。
4回シリーズでいろいろな放談していますが、今回はリードにもなっている
”茂木健一郎氏の受験改革案「僕はすべてAO入試にすべきだと思っている」”
に物申す、です。最近、大学での成績と入試のスタイルの相関がつまびらかになってきました。AO入試が入学後の成績が一番良い、と言われています。
だから、茂木さんは「すべての入試はAO」ということを提案しているのでしょう。記事の中では、AO入試の人はやる気がある。ペーパー試験入試の人は、第一志望の人でなければやる気がない、との理由で、AOを勧めています。
でも、本当にこれでよいのでしょうか?
AO入試で入学する、というのは、高校の成績が良い、ということが前提になります。言い換えれば平常点が良いことになります。さらには、大学の方向性にあっている人を入学させることになります。だから。「学校の成績が良い」ことはトートロジーに近い。
これ、日本における大学ヒエラルキーを如実に再現することになります。さらには「教育制度」の中の成績ピラミッドをより「固いもの」にしてしまいます。言い換えれば、秀才は増えるけど、天才は見つけにくい。
言い換えれば、アインシュタインやエジソンのような天才は見つけられない仕組みです。
更には。学校からの推薦書=内申書に相当するものに「よく書いてもらう必要」があります。これは、言ってみれば内申書のために「いいこちゃん」する必要が出てくる。つまり、学校の言いなりの学生が増えていきます。良い子ちゃん、ではありますけどね。
更に更に。人見えぬところの努力が見えません。一発逆転の手段が皆無になります。今言う「一芸入試」は、何か一芸に秀でている学生に対する門戸を広げました。AO入試のみ、となった場合は、一芸入試だけになっていくようなものだということができます。
その結果として、学歴フィルターはこれまでよりも堅固なものになり、所謂「勝ち組と負け組」の差を助長することになる。結果として、ジニ係数が悪化し、日本は革命になる、、、おっと、ここまで書くのは少し悪ふざけが過ぎましたか。
システム思考、もしくは、ミクロの関係をマクロに接続できれば、3手の読みです。
どのような入試制度が良いかはまた別議論としますが、少なくともすべてAO入試というのは、日本の将来を暗くします。
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